1-2 花偽
1-2 花詐
帝都の外に出るのは、久しぶりだった。
軍事演習で数回、野兎と共に参加したくらいか。
馬の手綱を握り、気をつけながら同行の騎士を確認する。
野兎を除けば、見覚えがない騎士ばかりだ。
『桂花の派閥の騎士か、もしくは新参の騎士か……』
1人の神官も同行しない、急拵えの龍捕獲部隊は、以前の烈鋭空の時の部隊と比べると随分と見劣りした。
もっとも年齢の高い野兎が、部隊のリーダーを務めている。
「今日は国境と帝都の間にある花詐の街まで行きます、
急ぎましょう」
私は野兎の指示に従い、馬の歩みを少し早めた。
野兎は物心ついたときから、私のそばにいる老騎士だ。
市井の者であろう野兎は、どういった経緯で私の近衛になったかはわからない。
野兎は私の武芸の師であり、外の世界の情報を私に教えてくれる人間だった。
翡翠空の推薦らしいが、あの上品な養母と、やや粗暴な野兎は結びつかない。
どこでこんな人物との接点があったのだろう?
翡翠空は、この国の正妃だ。
皇帝の正式な妻であり、妻たちの中でもっとも高貴な血筋を引く女性。
本来なら、皇子を産み、その母として帝国で権勢を振るうはずだった。
だが彼女には子が生まれなかった。
それだけで、正妃という立場は「形式だけ」のものになった。
私を引き取ったのは、その補いだった。
逆臣の血を引く子を養子に迎えることで、正妃という座を辛うじて保ったのだろう。
私にとっても、それは救いだったのかもしれない。
逆臣の一族として粛清されかけた私を、「皇子」として生かす方法だったからだ。
けれど、救いであると同時に、楔でもあった。
私は翡翠空にとって唯一の「皇子の母」でいられる証であり、
同時に、彼女を縛るための人質だった。
だから私は正妃の子として遇されながら、烈鋭空よりも継承権は下だ。
年長であっても、逆臣の血を引く私は「予備」だった。
桂花の息子達が壊れた時のための、替えの駒。
それが私の役割だ。
野兎を除く、この部隊の騎士たちも、護送などという言葉は綺麗だが、実際は監視役だ。
私が生き延びることなど、誰も期待していない。
それでも、翡翠空はひとり私を見送った
その姿を思い出し、胸が詰まった。
道中はほとんど会話もなかった。
野兎は必要最低限の号令を発するだけで、あとは黙々と進軍を続けた。
騎士たちも私とは視線を合わせようとしない。
——まるで、すでに死人を護送しているような空気だった。
花詐の街が見えてきたのは、日が傾きかけた頃だった。
低い石塀と赤い瓦屋根が夕日に照らされ、金色に染まっている。
遠くからでも人々のざわめきが聞こえてくるほどの賑わいだった。
「隊列を崩さず、中央の宿舎まで向かいます」
野兎が言うと、騎士たちが頷き、自然と馬の歩みが整う。
帝都を離れたのは久しぶりだったが、街の人々は私を見ても特に驚きはしなかった。
——いや、見て見ぬふりをしていたのかもしれない。
それとも、私が誰なのかを知らないだけなのか。
「朱映空様、お顔を隠したほうがよろしいかと」
野兎が小さく言い、私は被っていた布の端を顔にかけた。
宿舎に着くと私は直ぐに奥の部屋へと通された。
野兎は馬の交換が必要かどうか見てくると言い残し、部屋を去り
監視役の一人の騎士のみが残った。
もう少し演技をすれば良いものを。
私の護衛ならば外に注意を向けるはずのその騎士は、
ただ強くその視線で縛るかのように私を見つめていた。
花詐の街、花の欺きか…。
その名に違わぬ扱いだ。
野兎の話では、桂花のお膝元ということだった。
『道中での暗殺の可能性を視野に入れるか』
私は小さくため息をつき、野兎が差し出すもの以外は口に入れないと決めた。
夕飯時、野兎と2人で食事を取る。
他の騎士は別室に下がった。
野兎は先に自分が食べてから私に食事を提供し、
私は冷めきった食事を口に入れた。
帝都では、私は翡翠空に守られていた。
成人してからは私が翡翠空を守っているつもりだったが、
外に出るとやはり違うことに、気が付く。
「野兎、済まない
お前には苦労をかけている」
そっと呟くと野兎は首を竦めた。
「まぁこれが仕事ですよ
朱映様も、そんな暗い顔しないで。
せっかくの花詐の街、なんなら楽しみますか?」
ニヤけた顔で良い店を知ってるんですと勧める野兎を呆れた表情で見つめた。
「いけるわけないだろう」
野兎は私が小さな頃からそうだったように、少し困ったような笑顔を私に向けた。