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龍の国にて  作者: しし
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3-4 薬草


3-4 薬草


日が昇る直前、まだ空に色のない刻。


私は野兎を長に託し、旅支度を終えようとしていた。


二十日もの留守になる。病人をひとり残すのは気がかりだったが、清空が長に掛け合ってくれたおかげで、世話を任せられることになった。


「私も、薬草採りから帰ったら毎日様子を見に行くから。安心してね」


清空の手がそっと背中に触れる。

その温もりと優しさが、胸の奥に静かに沁みていく。


荷をまとめ終えると、まだ眠っている野兎に、小さく「行ってきます」と囁いた。


長の家を出ると、東の空がうっすらと白み始めていた。

見送ってくれた長に軽く会釈をし、冷たい空気の中、私は歩き出す。吐く息は白く、身を切る冷気に思わず肩をすくめた。


食料、布、麓の村で売る品々──往復二十日分の荷物は、肩にずしりと重い。


けれど、この距離がどうしても必要だった。

私と龍の合流や離脱を、誰にも見られず行うために。


龍も村人も、帝国の目に触れれば何が起きるかわからない。

それでも、麓の物資は誰かが運ばねばならなかった。


長にとっては都合のいい話だったに違いない。文句ひとつ言わず山に向かう者が、ちょうど現れたのだから。


空が淡い光に染まり始める。

私は足を速めた。


 


アズールの手のひらに乗せられて飛ぶのは、これまでも何度か経験がある。

だが──冬の空を長時間、強風にさらされるのは、やはり骨が折れた。


それでもアズールは上機嫌で、空から目に入るものを見つけては声を上げた。


「見てー! あそこ、山に緑が残ってるよ。あったかいのかな?」

「湖だ、凍ってるよー。見える?」


一面の氷に雪の積もった湖は、幻想的でありながら、どこか厳しく閉ざされた気配をまとっていた。

私は言葉もなく、その光景に見入った。


「大杉が見えた! 根元の泉に──冬でも枯れない薬草があるよ!」


半日かけて、ようやく目的地が見えてきた。

アズールと清空は日帰りの予定。薬草を早く見つけなければ、帰りが遅れてしまう。


湯気の立ち上る泉と、そのそばにそびえる大杉が見えてきた。


「アズール、あそこに降りられる?」


「うん、大丈夫。広さもあるし、風も弱いよ」


アズールが大杉の根元に着地し、私が岩肌に足をつけた瞬間、張り詰めていた緊張がふっとほどけていった。


泉は、凍てついた森の中で湯気を上げている。

その周囲に、色褪せながらも生命力を感じさせる薬草が群れていた。


「あれが薬草?」


「うん、間違いないよ。根元に近いのが元気そう」



清空は袋を取り出し、採取を始める。アズールは葉に鼻を近づけて匂いを嗅ぎながら、「これもいる?」「これは匂いが強いね」と、無邪気に問いかけてくる。


そんなふたりの様子を見つめながら、私はそっと言った。


「……ありがとう」


それだけで、胸の奥が少しだけ軽くなった気がした。


 


薬草をひととおり採り終えた私たちは、大杉の根元で昼食を取ることにした。 泉のそばは冬とは思えないほど暖かく、思わず気が緩んだ。


干し肉の厚さについて笑いながら話していたとき、ふと、気になって尋ねた。


「アズールと清空は、どこの派閥に属しているんだ?」


アズールは大きく首を振った。


「特にないよ。よく分かんないし。朱映と清空がいれば、それでいい。俺は、できることをやるだけ?」


「私は中立派。本当は今すぐボレアルを助けに帝都に飛んで行きたいくらいだけどね」


──ボレアル。帝都の中庭につながれていた、銀の鱗を持つ龍。


その名を聞くだけで、“置物”のように扱われていたあの姿が脳裏に浮かぶ。 胸が少し痛んだ気がした。


そのとき、アズールがピクリと頭を上げ、小さな警告音を発した。


清空が即座に荷を遠ざけ、縄を手に立ち上がる。 私も小刀を抜き、アズールのそばへと駆け寄った。


──武装した五人の野盗が、木立の間から姿を現した。


二人が清空に向かい、三人がアズールと私のほうへ迫ってくる。


「若い女がいるじゃねぇか、運がいいな」 「頭、どうします?」 「男と龍は殺していい。女は売れる。連れてけ」


「清空!」


私の足元に淡い朱色の魔力が立ち上がり、アズールと清空を包む。


清空が叫ぶ。


「アズール、やりすぎて薬草全滅させないでよね!」


「了解」


アズールは軽く答え、私を自分の足元に収め、魔力の壁を展開した。


飛んでくる武器は壁に弾かれ、接近した野盗たちはアズールの爪で弾き飛ばされて次々に気絶していく。


清空の動きも鋭かった。


投げた縄が一人を絡めとり、そのまま地に倒す。

次の敵の攻撃を宙返りで回避しながら、空中で別の縄を放ち、さらにもう一人を縛り上げた。


野盗たちは、現れてから倒されるまで、十分もかからなかった。


清空が息を吐く。アズールは空を見上げたまま、ぽつりとつぶやいた。


「朱映、清空……どうするの?」


清空は答えず、倒れた野盗たちをひとりずつ見渡す。 息はあるが、意識はない。


「……慣れてる。何度も、こうしてきた目をしてる」


誰にも聞かせたくないような、静かな声だった。


このまま放っておけば、また誰かが襲われる。 かといって、どこかに引き渡す手段もない。

アズールがいる限り、村や役所には近づけない。


──それでも。


清空の手は、動かなかった。


アズールが私の方に顔を向ける。


「清空、こういうの苦手だよ」


私も、言葉を失っていた。


けれど、誰かがやらなければならないことだった。


この戦いは、始まる前に決まっていた。 私がアズールの足元にたどり着いた、その瞬間に。


勝敗ではなく──

「どう終わらせるか」という問いが、残されていた。


そしてそれを選ぶのは。


「……私がやる」


口にしたとき、自分の言葉の重みを、初めて理解した。


清空が顔を曇らせる。


「朱映……そんなの、あなたが……」


「私が連れてきた。責任は、私にある。……誰にも、させたくない」


自己満足かもしれない。けれど、自分の手で終わらせることだけが、私に許された選択だった。


小刀を手に、倒れた野盗のひとりに近づくたび、胸がずしりと重くなる。


怒りでも、悲しみでもなかった。ただ、必要なことだった。


「……二度と、誰も傷つけさせないために」


そう呟き、私は手を伸ばした。


ひとり。

また、ひとり。


終わるたびに、足元の土が赤く滲む。


私は目を逸らし、ただ、手を動かし続けた。


アズールは沈黙したまま、清空は視線を落としていた。


すべてが終わったとき、私はそっと膝をついた。 指先が、地面のぬかるみに沈む。


その肩に、清空が手を置いた。


「……ありがとう」


震えるような声だった。

優しさと痛みと、私への思いが、すべて込められていた。


私はただ、深く息を吐いて、静かに頷いた。

震える指先に、自分の限界を知った。



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