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龍の国にて  作者: しし
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3-3 依頼


3-3 依頼


一進一退を繰り返していた野兎の体調は、春が来る前にとうとう寝たきりになってしまっていた。

寝具の上に痩せた身体を横たえ、肩は厚手の毛布に深く沈み込んでいる。

時折こほんと咳がこぼれ、その音が静まり返った部屋に乾いた響きを残す。

その気配は、耳を澄ませなければ消えてしまいそうなほど、かすかだった。


冬の冷え込みで、村の出入り口にある泉は凍りつき、薬の仕入れが絶たれた。

外の世界と村をつなぐ、か細い命綱だった道は、今は氷の壁に閉ざされている。


「そんな心配すんなって……春になれば薬も来る。

くたばりゃしねえよ。お前の子の面倒は、俺が見るって決めてんだ」


顔色は悪く、唇も乾いてひび割れているのに、野兎はいつもの悪戯っぽい笑みを無理に浮かべていた。


私はその言葉に答えられず、膝の上で拳を握りしめた。

冷えきった床が膝に痛く、指先はかじかんで感覚がない。


──私の魔法は「力を与える」ものだ。

筋力や反射、集中力、持久力すらも一時的に強化できる。

けれど、それは力を出せる者にしか意味がない。


もう起き上がることすらできない野兎にとって、魔法は

……もう、風を当てるだけの慰めにしかならなかった。


それが、悔しかった。


 


雪混じりの風が村の細道を抜け、焚き火の煙を巻き上げていく。

アズールと清空は、火の前で膝を抱えていた。


「吐き気止めの薬草が、どうしても要るんだ……」


私はふたりの前で深く頭を下げた。

積もりかけた雪の上に、額が触れるほど低く。


「頼む。力を貸してほしい」


弱みを見せるのは、怖かった。

でももう、手段は選んでいられなかった。


一瞬の静寂のあと、ぱっと空気がはじける。


「まかせてー!」


アズールが尻尾をばっさばっさと振りながら、空中を跳ねるようにぐるぐると回る。


「来た来た来た! 朱映が俺たちに頼ったー!!」


「今の聞いた!? 清空!?」


「聞いたとも!! いやー感無量!!」


清空も凍った地面を蹴ってぱたぱたと跳ねている。

焚き火の火花が弾け、空気が一気に明るくなったようだった。


顔を上げて一体と一人を見上げる。

「そんなに……?」


「そんなにだよっ!」


声がそろった。


「朱映は今まで、野兎くらいにしか頼らなかったでしょ?

それが! それがついに! 私たちを頼った! そりゃもう!」


「オレら張り切るしかないじゃん!!」


一体と一人は勢いよく胸を張った。いや、アズールは胸というより首だったが。


「村の外まで運ぶの、任せて! 最速ルートで行こう!」


「長の説得は私がやる!」


その言葉に、私は戸惑いながらも笑ってしまった。

……少しだけ、肩の力が抜けた気がした。


 


村の集会場。

歪んだ木造の壁の中、囲炉裏の火が赤く灯っている。

長はその奥にどっかと座り、煙の向こうからこちらを見据えていた。


「いいだろうさ」


拍子抜けするほどあっさりと、外出の許可は下りた。


「ただし、条件があるよ。

アズールは帝国領には入らないこと。薬草のある龍の国の方向だけ飛びな。

あとは朱映、あんたには帝国領の麓の村に少しお使いに行ってもらおうか。薬草を取ってからでいいさ。


ただし行きも帰りも、村から離れた場所でアズールと待ち合わせしな。

場所は清空が知っている。

麓の村にはあんた一人で行くんだ。行けるかい?」


「はい、わかりました。ありがとうございます」


頭を深く下げ、長の前から退出する。


 


外に出ると、雪が静かに降っていた。

白い息がゆっくりと昇る中、清空が私の服の布をそっとつまんだ。


「長はちょっと酷いよ。

毎年何回かは冬の間にも麓の村に誰かしら買い出しに行ってるんだよ?

龍との合流場所って、麓の村から徒歩で十日くらいかかるんだ。

冬にあんな道、誰も歩きたがらないから、

本来ならお給金が出るんだよ……。

それなのに、朱映の足元見て……酷いよ……。

ごめんね、交渉するとか言って、何の役にも立てなかったね……」


私は清空の肩をそっと抱き寄せた。


「大丈夫。誰かしらやらなきゃいけないなら、やっておくさ。

野兎の薬草を取りに行けるんだから、給金なんていらないさ」


「だめ、だめだよ。

タダ働きさせてもいいやつだなんて思われたら、何も良いことなんてないよ。

私、今からちょっとでもお金がもらえないか交渉してくる。

金額の問題じゃないんだよ。“一度でもやった”ってなると、人は二度目も当然って思うの」


くるりと背を向けて、清空は長の部屋へと駆け戻っていった。


 


その後、村の女が近づいてきて、買ってくる物資や荷の受け渡しについて説明するからついて来いと言った。

清空を待ちたいと伝えたが、「長くなるだろうから」と強引に引っ張られた。


 


囲炉裏の煙の奥、清空はまっすぐに長を見据えた。


「……長」


「ん?」


「今回、朱映に給金を払わないのは、まずいです」


長は片眉を上げた。


「薬草を取りに行くことは許してる。

村のために動くんだ。

給金を惜しんでるわけじゃない。

皇子様なんだから、それくらい当然だろ?」


清空は静かに、だが力のこもった口調で言い返した。


「“皇子だから当然”なんて言い方をしてしまえば、朱映を“利用しやすい立場の人間”と村が思い始めます」


長の手が止まる。囲炉裏の火が、ぱちりと鳴いた。


「一度『無賃で動いた』という実績ができれば、次も頼めば動いてくれると考える人が出ます。

村の誰かが朱映を“使いやすい道具”と見始めれば、どんな派閥だってブレーキはかからない」


「中立派として言うのか?」


「はい。そして、朱映を守る人間としても言っています」


長はしばらく火を見つめていたが、やがてぽつりと呟いた。


「あんたも変わったな、清空。前はもっと冷静に、距離を置いて動いていた」


「そうですか?」


清空はそう答えると、膝をついて深く頭を下げた。


「朱映は“都合よく使える人間”じゃありません。

村の未来にとっても、あの子の信用は、大事に扱うべきです」


長は深く息を吐いた。


「……言いたいことは分かったよ。

だがな、村の財政はもう限界だ。皆が苦しい思いをしているのに、余計な出費はできん」


清空は息を呑み、静かに告げた。


「それでも支払うべきです。

朱映を、利用しても良い人間だと思わせないために」


長は目を伏せたまま沈黙し、やがて夜が更けていった。


 


朝──。

清空が長の部屋から出てきたのは、夜が明けた直後だった。


「通常の、お給金だよ!」


清空は、朝日に照らされた雪の中で、誇らしげにお金を手にしていた。

私はそれを彼女に渡そうとしたが、断られた。


「もう、わかってないんだから。

“弱みをつけばタダで動く”なんて村に思われたら、だめなの。

このお金は、朱映が受け取るの」


その言葉に、私は改めて思った。

──村での扱いが「お客さん」から「仲間」へと変わったのだと。

だからこそ、気をつけねばならないことがある。


 ──このお金で、麓の村で何か買って帰ろう。


 清空にはもちろん、アズールや野兎にも、何かひとつでも渡せたらいい。

 長旅になるだろうから、それほど多くは買えないかもしれないけれど。


冬の朝は冷たく、息も白く凍るようだったが、朝焼けの太陽は、今の私の気持ちのように、優しい色をしていた。





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