3-2 春祝
3-2 春祝
広場には爆竹の音が響き渡っていた。
あちらこちらの人の輪の真ん中で白い煙と大きな音が炸裂し、人々は皆、歓声を上げて楽しんでいる。
帝都でも春祝には悪霊を追い払うために爆竹を鳴らす風習があったが、それはもっと小ぶりなもので、神殿の前に整列して、順番に火をつけていくような慎ましい行事だった。
こんなふうに、子どもたちが手に持って走り回り、老人たちまで声を上げて笑っているような騒ぎは、記憶にない。
――まるで戦場だ。
破裂音が連続して響く広場の片隅で、私はアズールの隣に腰を下ろす。
晴れ渡った空へと、白煙がいくつも揺れながら立ち上っていく。
陽の光に透けたその煙はひどくまぶしくて、思わず目を細めた。
「……春祝って、こんなに賑やかなものなんだな」
ぽつりと漏らした私の声に、アズールが頷く。
「うん。冬の間ずっと閉じこもってたから、みんな爆発寸前なんだよ。
この春祝は、“春”を迎えるっていうより、“冬”を追い払うためのものだからね」
なるほど、と納得しかけたところで、広場の中心で怒鳴り声が上がった。
「てめえ、もう一回言ってみろ!」
「俺は正直に言っただけだ!」
「じゃあなんで“帝都の連中にチャンスをやろう”なんて話になるんだよ!」
酔った男たちの輪の中で、椅子を蹴倒す音が響いた。
とたんに空気が静まり返る。
広場の中央にぽっかりと空いた空白に、数人の男たちが睨み合いながら立っていた。
「……あー、始まった」
アズールはつまらなそうに広げていた翼をたたむ。
「毎年恒例、口喧嘩〜。
春祝のあと、決闘申し込む人が多いんだよね。
でも、今年はもっと多いかも?」
「多い……?」
尋ねると、アズールは少し困ったように首を傾げた。
「んー……人間のね、本当の気持ちは複雑で、俺にはちょっとわかんないや。
村の人に聞いたほうがいいよ」
「……そうか」
アズールは火のついていない爆竹を鉤爪の先で転がしている。
私は彼を励ますつもりで、わざと明るい声を出した。
「清空が戻ってきたら、火をつけような」
たたんでいた翼がぱっと広がり、アズールは嬉しそうに小さく喉を鳴らした。
「――やれやれ、うるさいな」
背後から聞き慣れた声がして、振り返ると、陽仁が肩をすくめながら近づいてきた。
彼はアズールに新春の挨拶をし、私の隣に腰を下ろす。
「新春おめでとう。……昨日、説明するって言ったよなって思ってさ、酒で潰れる前に来たわ」
「新春おめでとう。律儀だな、本当に」
陽仁は一呼吸置いてから、静かに語り始めた。
「今この村には、大きく分けて三つの派閥がある。
一つは“殲滅派”。
帝都の人間はすべて敵だと考える。
徹底抗戦主義で、話し合いなんて無駄だって連中だ。
あそこにいる、喚いてる連中の大半はここに属してる。
二つ目は“中立派”。
中立とは言っても、中身は殲滅派に近い。
違うのはやり方。
帝都の内部に入り込み、内側から崩すつもりの連中だ。
もっとも、帝都に潜り込んでいた者の多くは、すでに粛清されてるが……
今も少数だけど残ってる。手練れ揃いって感じだな。
三つ目が“穏健派”。
外の世界、特に帝都との関係を、少しずつでも回復すべきだと考えてる連中だ。
龍が捕らえられ、村の仲間も帝都に殺されてきたってのに、日和見やがって――って思う奴もいる。
でもな、戦ってばかりじゃ未来がない。
話し合いで道を作ろうとするやつらもいるってことだ」
「梨花さんは、ここに所属してるよ」
梨花――
その名前に、胸の奥で何かがかすかに波立った。
あの灰色のマントの女のまなざしが、ふと蘇る。
「……でも、梨花さんは穏やかな人に見えたよ。争いごとを起こすようなタイプじゃない」
「そうだな。穏健派の中にも色々いるからな。
これ以上、誰も死なせたくないって連中には、俺も少しは共感してる。
けど……帝都と“本気で”分かり合えるなんて思ってるやつは、どうかしてる。
龍すら道具にする連中だぞ? 話なんて通じるわけがない。
……悪い、俺の意見が入りすぎたな」
陽仁は持ってきた盃に酒を注ぎ、一気にあおる。
そして私を気遣うように、静かに言った。
「お前、帝都に知り合いがいるだろ?」
派閥――
どこに行っても、似たようなものか。
人が集まれば、争いが生まれる。
村はのどかに見えたが、それは私が“お客様”だったからだ。
「……今はひとりだけだよ。
私を気にかけてる帝都の人間なんて。
でもあの人は、少し浮き世離れしてたからな。
何の利益も示さず交渉に行けば、身ぐるみ剥がされて殺される──
それは私も、わかってる」
言葉が途切れ、再び空に立ち上る煙を見つめる。
陽仁はちらりと私の横顔を見て、ぽつりと呟いた。
「朱映。お前がどこに属するかは、まだ誰も聞かない。
でも、いずれは選ばなきゃならなくなるかもしれないぞ」
その言葉に応えるように、爆竹がひとつ、大きく弾けた。
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広場を外れた裏手で、清空は中立派の仲間数人と短く言葉を交わしていた。
「……で、どうなのよ。朱映くんって本当に“使える”の?」
焚き火の側で座り込んでいた男が、笑い交じりに言う。
別の一人もにやにやしながら頷いた。
「おいおい皇子様だぜ、あれは使えるよ。
戦力にもなるし、帝都とのつなぎにもなる。
やっと好機が来たってもんだ。
うまく懐に入ったな、清空。
手際がいいじゃないか」
その言葉に、清空の表情がわずかに翳る。
「……“うまくやった”なんて言わないで。
あの子を、何だと思ってるの?」
声に冷えた棘が混じる。
辺りがすっと静まり、火のはぜる音が響いた。
「確かに、朱映には帝都に戻れる可能性がある。
中立派としては、期待するのも当然。わかってる。
でも──道具みたいに扱うのは違う」
清空はそっと拳を握り、目を伏せた。
「私は、あの子を守るよ。
誰が何を言っても関係ない。
あの子を“道具として利用しよう”とするなら……たとえ仲間でも、ただじゃおかない」
仲間たちは言葉を失い、焚き火を見つめたまま黙り込んだ。
しばらくの沈黙の後、清空はふっと息をついて立ち上がる。
「行くね。……朱映もアズールも待ってるから」
そして彼女は爆竹を抱えて小道を戻っていった。
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広場の中央から、清空が人波をかき分けてこちらへ走ってくるのが見えた。
手には抱えきれないほどの爆竹を持っている。
――まさか、あれを全部鳴らすつもりなのだろうか。
清空を迎えるために、私は立ち上がった。
「陽仁、一緒に爆竹鳴らすか?」
「いや、実は人を待たせてるんだ。そろそろ戻るよ」
「そうか。じゃあ……一緒に鳴らせなくて残念だな」
私が笑うと、陽仁も少しだけ口元を緩めた。
彼の視線の先を追うと、少し離れた場所に、一人の女性が控えめに立っていた。こちらに気づくと、軽く会釈する。
「……またな」
そう一言だけ残して、陽仁は静かに歩き出す。
その背中を見送りながら、私はぽつりと声をかけた。
「教えてくれて、ありがとう」
陽仁は振り返らなかったが、手だけ軽く上げて応えた。
──どうやら、あの陽仁にも春が来ているらしい。
アズールがふいに目を開け、ぽつりと呟いた。
「終わった? 爆竹やる?」
清空が持ってきた山のような爆竹に、アズールは容赦なく火をつけた。
凄まじい音と煙が上がる。
清空とアズールは笑い、私はうろたえるしかなかった。
「難しい顔しないで、笑おう? 春祝だよー」
その言葉に、自然と頬がゆるんだ。
私は爆竹を手に取り、冬の残り香を吹き飛ばすように、次々火をつけた。
春が来る。そう信じたかった。