2-8 決闘
2-8 決闘
決闘は一週間後、決闘の広場で行われることになった。
私とアズールが対策を話し合おうとした矢先、清空は容赦なく私の背をひっぱたき、アズールの尻尾をぐいっと引っ掴んだ。
2対の抗議の視線をものともせず、指示を出す。
「そんなのより先にやることあるでしょ! オーリスのとこ行くよ!」
引きずられるように連れて行かれた先、丘の上の石碑の前で、オーリスは金の体を横たえていた。
彼は上機嫌に、石碑の表面に何かを刻み込んでいる最中だった。
「飲み込めたようだな。
三日か……想定内だ」
嬉しそうな顔でそう言いながら、爪先で石碑に新たな文様を刻み続ける。
どうやら、魔石が私の体に取り込まれることも、完全にオーリスの想定内だったらしい。
──いや、だったら最初に言っておいてくれ。
清空は必死に訴えた。
白羽と私の決闘がどれだけくだらないか、どうかオーリスが間に入って、やめさせてくれないかと。
でも、オーリスの答えは、やはりこうだった。
「やりたいのならば、やるがいい」
まるで、子犬同士のじゃれ合いをのんびり見守るような、そんな口調だった。
「短い人生だろう? 好きにしたまえ」
ああ、この龍は本当に、私たちのことを等しく“人間”として見ているんだと感じた。
そして不思議と、それが──嫌じゃなかった。
清空は諦めなかった。
今度は村の長でもある老婆に、
そして野兎にも止めてくれるように頼みに行った。
出された答えは同じだった。
「やると決めたのならば、やれ
やった後は文句を言うな」
ついに諦めた彼女はぽつりと私に言った。
「怪我しないでね。
後、怪我させないで欲しい」
「善処します」
それしか言えなかった。
野兎、アズールからの情報によると白羽は攻撃魔法に長けているが、
反面耐久力はあまりないとの評価だった。
狙うべきは魔力切れ、
魔法を避けて、相手の耐久力が落ちたところで勝利を取る方針を固めた。
仕事を終えたあと、アズールとの回避訓練。
早朝には野兎と、相手を傷つけずに確保する訓練。
この繰り返しを、一週間続けた。
アズール、野兎、私は、決闘の前日は円陣に座り、酒を一杯飲んだ。
夕暮れの広場の一角、日は徐々に伸びているが、まだ生暖かい風が吹いている。
私は飲み干した盃を片手に持ち、地面に向けて叩きつける。
「今日はもう休め、明日に備えろ」
「朱映はできる、やれる、頑張れ」
「わかってる、明日はやるだけだ」
男3人の真剣な前日祭を清空は冷ややかな顔で眺めていた。
──本気なのかな…、あいつら。
その顔には、呆れ、心配、そしてちょっとだけ、置いていかれた寂しさが混じっていた。
そして翌朝。空は快晴だった。
決闘の広場は、四方を崖と激流の川に囲まれた、逃げ場のない場所だ。
観客や龍たちは崖上から見守るのが常だが、なぜか桂馬と陽仁だけが川辺に立っていた。
「三対一は卑怯だぞー!」
観客席から、ひやかしの声が飛ぶ。
「二人は、朱映が川に飛び込んで逃げないためのフェンスの役だよ。
戦うのは俺だけだ」
白羽は私を睨みつけながら、そう叫んだ。
桂馬は気合十分な様子だったが、陽仁は明らかに浮かない顔で、
万が一のためか、長く太い縄で2人は互いの腰を繋いで立っていた。
太陽が高く昇り、オーリスとアズールが見守る中──
私たちの決闘が、始まった。
決闘は膠着状態に陥っていた。
最初こそ派手に魔法が飛び交い、私が避けるたび観客から歓声が上がっていたが、
やがて白羽の魔法の間隔が明らかに空き始めた。
彼の体力、あるいは魔力は、確実に消耗していた。
額には汗が滲み、唇が微かに震えて、
魔法が当たらないことに、彼が戸惑っていることは明らかだった。
私が間合いを詰めると、白羽は牽制するように魔法を放つ。
それはもはや攻めではなく、防御のための威嚇だった。
──どちらが先に限界を迎えるかの勝負だ。
私は彼の動作を観察していた。
清空は魔法を使うとき、必ず紐か縄を起点にしていた。
同じように白羽にも、何かしら“発動の鍵”があるはずだと考えたが、
彼はただ、掌を開いて撃つだけだった。
しかし、明らかに背後を見せるのを嫌っている。
回り込み、腕を取れれば──勝機はある……だろう。
じりじりと互いに距離を取り、広場を円を描くように歩き回る。
殺気立った沈黙が、時間を削っていった。
観客は一人、また一人と姿を消していった。
熱狂が冷め、いつしかその場には、野兎と清空、そして二匹の龍だけが残されていた。
──これは、試合というより“戦い”だ。
その静けさを破ったのは、白羽の叫びだった。
「……待っているんだろう、俺の魔力が尽きるのを」
彼の瞳は獣のように鋭く、笑っていなかった。
「だがな、俺も──待っていた
観客がいなくなるのをだよ」
両手を高く掲げた瞬間、空気が震えた。
魔力の塊が十数個、白羽の周囲に浮かび上がる。
息を荒げながら咆哮のような声を上げる
「……お前、本当にムカつくんだよ」
手を振り下ろすと同時に、魔力の塊が四方八方に向かって放たれた。
それらは私の真っ直ぐな位置を狙ってはいない。
狙いは散っている──いや、制御できていない?
「……俺の目線で避けているんだろう。見えてるよ」
白羽は息を乱しながらも、なおも言葉を続ける。
「これは、どこへ飛ぶか分からない魔法だ。
俺の意思がなければ、読みようがない!」
再び両手を上げ、第二波を構える白羽を前に──
私は、彼の足元の揺らぎに気づいた。
魔力切れは──もう、間近だ。
白羽は口調が徐々に崩れていった。
「ぽっと出のくせに、オーリス様に魔石もらってんじゃねえよ!」
私も息を荒げながら、応えた。
「それが何なんです?
器が小さくないですか?」
「“私”って何だよ、気取ってんじゃねえ! モテて気分いいか、皇子様!」
私は、息を整えながら睨み返す。肩が上下するたびに、体力の限界が近づいているのがわかる。
「少しは女性に優しくしてみては? ……できるなら、ですが」
「俺のが強ぇんだよ!」
「仲間を連れてなければ、強さも語れないんですね」
もう、決闘というより口喧嘩だった。
白羽は、最後の魔力を振り絞り手を振り上げた。
指先から現れる魔力の球が、周囲に浮かび上がった。制御の効かない、威嚇に過ぎない弾。
「やってやるよ!」
叫びと共に、無差別に魔力が飛び散る。四方八方、弾けるように。
崖の上から、清空の悲鳴が飛んだ。
「桂馬、危ない!」
その瞬間、1発の流れ弾が、川辺にいた桂馬を直撃した。
桂馬の身体がふわっと浮き上がり、姿を消した。
縄が引かれ、陽仁の腰が激しくのけぞる。
川に落ちる音は、世界のすべてを奪ったかのようで、一瞬、時が止まった。
桂馬の身体は激流に晒され、腰に巻かれた縄が彼をその場に留めていた。
「桂馬ァッ!!」
陽仁の叫び声と共に、彼は腰の縄を掴み、足を踏ん張った。
「引けねえ! 重さが……!」
冷たい水音の向こうから、桂馬の必死の声が聞こえてくる。
白羽はその場に膝をつき、ただ絶望を滲ませて陽仁を見つめていた。
私はふらつきながら駆けより、縄を握った。
「引くぞ!」
私と陽仁、縄を握って引っ張るが、力が足りない。
「白羽! 手伝え、朱映も限界だ!」
白羽は拳を握りしめ、唇を噛む。
立ち上がり、 一歩、また一歩と歩き出し、私の隣に立った。
「気合い入れろ!」
誰が叫んだのかは分からない、
その言葉を聞いた時、必ず助けると決めた。
次の瞬間だった。
私の足元から、淡い朱色の光が立ち昇った。
光は、縄に触れる他の3人――白羽、陽仁、そして水中の桂馬を包み込む。
3人に力が流れ込んだ。
白羽の顔に驚きが浮かぶ。
自分一人ではない、“誰かの手”が自分の上に添えられているような感覚があった。
「これ……まさか……」
陽仁も息を呑む。
「朱映の……魔石の力……!」
力を合わせ、縄を引く。
水飛沫が上がり、ぐっしょり濡れた桂馬の体が引き上げられる。
その場に、3人ともへたり込んだ。
朱映は、遅れて倒れ込んだ。肩で息をしながら、川辺の空を見上げる。
「倒れたのは、私か……負けだな」
静かにそう言った。
桂馬がびしょ濡れのまま、近づいてきて苦笑する。
「おまえ、結構いいやつだな」
白羽も、縄を手放して、ふぅっと息を吐く。
「……お前の勝ちだ。
オーリス様が魔石の後継に選ぶだけのことはある。……認めるよ」
陽仁もそっと頷いた。
「ありがとう。桂馬を助けてくれて」
朱映は答えなかった。けれど、わずかに目を細めて、頷いたように見えた。
崖の上では、喜び羽を広げ朱映を讃えるアズールの傍らに、
清空と野兎がその様子を黙って見守っていた。
そして、ぽつりと清空が言う。
「……馬鹿ばっかり、明日もちゃんと働けるのかな」
野兎は小さく笑いながら、一言。
「やれるだろ。そんなに弱くねぇよ」
広場の空は、夕暮れの光に染まり始めていた。