第五章 こだまする歌
その夜、村では小さな祭りが催された。町から出た屋台が数店並び、提灯の灯が揺れる人々の間を、子供たちが
はしゃいで通り抜けていく。私は何も食べずに、一人その列の隅で軒から漏れる風鈴の音を聞いていた。少しず
つ人混みが途切れていくと、熊の面をつけた男たちが太鼓を手に現れた。彼らは低い唱えのような声で「おやす
み村の子よ、安らかに眠れ」と繰り返す。幼い頃の私には少し不気味だったが、慣れてくると不思議と安堵に変
わるリズムがあった。
しばらくすると、一人の老婆が私に近づいてきた。顔に深い皺を刻み、真っ赤な口紅が不似合いだ。母の幼いこ
ろからこの村に住む人で、私を見て目を細め、口を窄めたように笑う。
「久しぶりだねえ、お帰り。昔おまえを連れていたお姉ちゃんのこと、覚えてるかい?」
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私ははっと息を飲む。老婆の言う「お姉ちゃん」が誰を指しているのか、すぐにはピンとこなかった。小さな
頃、私は確か妹と呼ばれていたはずだ。その言葉を口に出しかけ、「妹がいなくなって……」と言った瞬間、老婆
は不敵に笑った。
「お姉ちゃん? ああ、へえ、お前の“妹”はあの子の妹だったのかい? 妹が熊に連れられたってみんな噂した
もんだけど……あの子は、もう二十年前のこと、ずっと前にねぇ」
どういう意味だろう、頭が真っ白になる。今日の祭りのことも、昨日拾った貝殻のことも、女の子の声も、すべ
てが一瞬にして繋がる。私は嗚咽を上げてしゃがみ込んだ。貝殻は夢だったのか、それとも現実か。自分の手の
平を見ると、そこには昨日拾ったはずの貝のかけらはなく、指の間には真っ白な貝のイヤリングの片方が、しっ
かりと握られていた。
「お姉ちゃん…?」
遠くで、誰かがかすかにラララとメロディを口ずさんでいるように思えた。海のように深い闇の中、祭りの灯が
消えていく。振り向くと、今しがたまで目の前にいた老婆の姿は消え、代わりに、幼いころと同じ白い服を着た
「妹」が私の前で微笑んでいる。──背中には、あの真珠のイヤリングが揺れていた。
「さあ、お姉ちゃん、行こう。みんなが待ってる」
懐かしくも切ないその声に、私は手を伸ばした。でも、妹の姿が一歩近づいた瞬間、ぱっと祭りの灯が闇に溶
け、人影も音も消えた。森からは蛍の光がひとつ、ふたつと覗き込み、不思議な風が「スタコラサッサ…」と木々
を渡っていく。
月明かりに照らされた小径に、私はただ一人残された。耳を澄ますと、あの子守唄の最後の「ラララ…」が、小
さくこだましていた。
--物語は終わらない。森は静かに、そして優しく、私の帰りを待ち続けている。