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真夜中の図書館  作者: Nab
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第九章:新たな導き手



朝、美玲が目を覚ますと、体が異様に軽く感じられた。昨夜の発見で心の重荷が少し軽くなったのかもしれない。窓の外では、春の陽光が輝いていた。


スマートフォンを確認すると、マイケルからのメッセージがあった。

「午後2時、大学の中央カフェで会いましょう」


美玲は返信した後、支度を始めた。今日から新たな使命が始まる。潜在的な読者を探す—しかし、どうやって見つければいいのだろう。


大学に着くと、最初の授業は文学理論だった。教授の話を聞きながら、美玲は周囲の学生たちを観察した。彼らの中に読者になる素質を持つ人はいるだろうか。


「文学とは、究極的には人間の経験の記録です」教授は熱心に語った。「物語を通じて、私たちは他者の人生を垣間見ることができる。それは一種の魔法と言えるでしょう」


魔法—その言葉が美玲の心に響いた。確かに、真夜中の図書館の力は魔法のようなものだった。しかし、それは単なるファンタジーではなく、この世界の均衡を保つための重要な仕組みなのだ。


授業後、美玲は健太郎と文学祭のプロジェクトについて話し合った。


「小説の最終章、書き上げたよ」健太郎は誇らしげに言った。「読んでくれる?」


「もちろん」美玲は笑顔で答えた。


健太郎の小説を読みながら、美玲は驚きを隠せなかった。主人公が出会う様々な人々の物語が、見事に描かれていた。それぞれのキャラクターが抱える悩み、喜び、そして成長の過程。まるで彼らの人生を直接見ているかのようだった。


「健太郎、これはすごいよ」美玲は心から言った。「登場人物たちがとても生き生きとしている」


「ありがとう」健太郎は少し照れくさそうに笑った。「なんだか最近、人の気持ちがよくわかるようになったんだ。不思議なんだけど…」


美玲はハッとした。健太郎の言葉、そして彼の文章能力。もしかして、彼も潜在的な読者なのではないだろうか。


「健太郎、質問していい?」美玲は慎重に言葉を選んだ。「あなたは人の物語に興味がある?」


「物語?」健太郎は少し考えた。「うん、そうかもしれない。みんなにはそれぞれの物語があって、それを知ることは大切だと思う」


「もし…」美玲は言葉を選びながら続けた。「もし誰かの物語を変えられるとしたら、どうする?」


健太郎は真剣な表情になった。「難しい質問だね。でも、多分…その人自身が変わりたいと思っているなら、少しだけ手助けするかな。でも、完全に書き換えるのは違うと思う。それぞれの人生には意味があるから」


美玲は驚いた。健太郎の答えは、読者としての理想的な考え方だった。彼は間違いなく潜在的な読者だ。しかし、まだ彼に真実を話す時ではないだろう。


「素敵な考え方だね」美玲は微笑んだ。「あなたの小説にもそれが表れてる」


昼食時、美玲はマリと合流した。マリは医学部の参考書を広げていた。


「頑張ってるね」美玲は言った。


「うん」マリは明るく答えた。「あなたに話せてから、もっと真剣に取り組めるようになったの。本当にありがとう」


「どういたしまして」美玲は笑顔で答えた。「友達として当然だよ」


マリとの会話を楽しんだ後、美玲は約束通り中央カフェでマイケルと会った。


「こんにちは」マイケルは微笑んで迎えた。「昨夜はよく眠れましたか?」


「はい、不思議と深く眠れました」美玲は頷いた。「あなたは?」


「同じです」マイケルはコーヒーを一口飲んだ。「昨夜の発見について、考えていたんです」


「私も」美玲は声を低くした。「潜在的な読者について、何かわかりましたか?」


マイケルは慎重に周囲を見回した。「いくつか特徴があるようです。物語に強く共感する能力、直感的に人の気持ちを理解する力、そして何より、世界のバランスを正そうとする強い意志」


「それなら…」美玲は健太郎のことを考えた。「友人の一人が当てはまるかもしれません」


「そうですか」マイケルは興味深そうに前かがみになった。「どのような人ですか?」


美玲は健太郎について説明した。彼の繊細さ、文学への情熱、そして人の物語を理解する能力について。


「確かに可能性があります」マイケルは頷いた。「しかし、導入は慎重に行う必要があります。すべての訪問者が読者になれるわけではなく、また、なりたくない人もいます」


「どうやって彼を図書館に導けばいいでしょうか?」


「直接誘うのではなく、自然な形で興味を引くのがいいでしょう」マイケルはアドバイスした。「たとえば、あなたのお母様のように、物語として図書館の話をする。彼の反応を見るのです」


美玲は考えた。「そうですね。健太郎は物語に敏感です。きっと反応するでしょう」


二人はさらに読者としての責任について話し合った。マイケルは自分の経験を語り、美玲にアドバイスを与えた。


「最も重要なのは、バランスを保つことです」マイケルは強調した。「大きな変更を避け、小さな希望の種を植える。そして、人々が自分自身で物語を変えることを手助けする」


「わかりました」美玲は頷いた。「でも、まだ一つ理解できないことがあります。なぜ物語のバランスが崩れているのでしょうか?」


マイケルは深刻な表情になった。「現代社会では、人々が自分自身の物語から切り離されています。テクノロジーの発展、情報の氾濫、そして人間関係の希薄化。人々は他者の物語に共感する力を失いつつあるのです」


「それで読者が必要になる…」美玲は理解した。


「そうです」マイケルは頷いた。「私たちは橋渡し役なのです。物語と人々を再び繋げる」


会話を終え、二人は別れた。美玲は次の授業に向かいながら、今日の発見について考えた。健太郎を図書館に導くこと、そして他の潜在的な読者を探すこと。新たな使命が始まったのだ。


授業後、美玲は図書館で勉強していた。ふと、隣の席に見覚えのある顔を見つけた。鈴木梨花だった。


「先輩」美玲は挨拶した。


「あ、佐藤さん」梨花は明るく微笑んだ。「ちょうどいいところに。良いニュースがあるの」


「何ですか?」


「あの出版社、採用が決まったの!」梨花は嬉しそうに言った。「来月から編集アシスタントとして働き始めるわ」


「おめでとうございます!」美玲は心から祝福した。


「あなたのおかげよ」梨花は真剣な表情で言った。「私を救ってくれなかったら、今ここにいなかったかもしれない」


美玲は少し恥ずかしさを感じた。「私はただ…」


「いいの、言葉にする必要はないわ」梨花は優しく言った。「でも、不思議なことに、最近あなたのことをよく夢で見るの」


「夢?」美玲は驚いた。


「うん。あなたが古い図書館にいて、本を読んでいる夢」梨花は懐かしそうに言った。「なんだか心地よい夢なの」


美玲は息を呑んだ。梨花もまた、潜在的な訪問者なのかもしれない。


「それは素敵な夢ですね」美玲は静かに言った。「図書館は物語で満ちていますから」


「そうね」梨花は少し考え込むように言った。「あなたは物語が好きなの?」


「はい、とても」美玲は心を込めて答えた。「物語には力があると思うんです」


「力?」


「人の心を動かす力、時には人生を変える力」美玲は言った。「それは一種の魔法かもしれません」


梨花は興味深そうに美玲を見た。「あなたって、面白い子ね。また話したいわ」


「ぜひ」美玲は笑顔で答えた。


梨花との会話を終え、美玲はアパートに戻る途中、空を見上げた。夕焼けが美しかった。世界はいつもこうして美しい物語を紡いでいる。それを感じ取れることは、特別な贈り物なのかもしれない。


家に着くと、母が夕食の準備をしていた。


「ただいま」


「おかえり」母は振り向いた。「良い一日だった?」


「うん、とても」美玲は微笑んだ。「お母さんの小説はどう?進んでる?」


「ええ、主人公がようやく図書館の秘密に気づき始めたところよ」母は嬉しそうに言った。「不思議な力を持つ本たちの物語」


「読みたいな」美玲は心から言った。


「もう少し書き進めたら見せるわね」母は約束した。


夕食後、美玲は自分の部屋で「読者としての記録」を書き続けた。今日の発見、健太郎と梨花の可能性について、そして自分自身の成長について。


真夜中が近づくと、美玲は再び図書館へ向かった。今夜は健太郎の本をもっと詳しく調べてみよう。彼が本当に読者になる可能性があるのか、確かめたかった。


図書館に入ると、老人が静かに迎えてくれた。


「お帰りなさい、美玲さん」


「こんばんは」美玲は挨拶した。「健太郎さんの本を読みたいのですが」


「ああ、山田健太郎さんですね」老人は頷いた。「昨夜の会話を受けて、調査されているのですね」


「はい。彼には読者の素質があるように思えるのです」


老人は「山田健太郎の物語」を持ってきた。美玲は本を開き、健太郎の人生を読み進めた。彼の幼少期、いじめられた経験、そして文学への情熱の芽生え。


最近のページには、美玲との交流や小説を書く喜びが描かれていた。そして、興味深いことに、健太郎も時々奇妙な夢を見ていた。古い建物の中の図書館、無数の本が並ぶ光景。


「彼も訪問者になりつつあるんですね」美玲は驚いた。


「そうですね」老人は頷いた。「彼には強い潜在能力があります。あなたが彼の物語に触れたことで、彼の中の読者としての素質が目覚め始めているのでしょう」


「どうすれば彼を導けますか?」


「あなた自身の物語を少し共有することです」老人はアドバイスした。「完全な真実ではなく、物語として。彼の心に響くでしょう」


美玲は頷いた。次に、「鈴木梨花の物語」も読みたいと思った。老人が本を持ってくると、美玲は梨花の最近の様子を確認した。


彼女も同様に、図書館の夢を見始めていた。そして、不思議なことに、梨花は自分の経験を短編小説として書き始めていた。「真夜中の訪問者」と題された物語は、自殺を考えていた女性が不思議な図書館で救われる話だった。


「彼女も物語を世界に還元し始めているんですね」美玲は感慨深く言った。


「そうです」老人は微笑んだ。「それが物語の循環です。読者は物語を変え、時に保存し、そして新たな形で世界に返す」


美玲は二人の本を読んだ後、自分の本も見たかった。「佐藤美玲の物語」を開くと、最近の出来事が詳細に記録されていた。そして、最後のページには新たな一行があった。


『美玲は導き手としての最初の一歩を踏み出した。』


「導き手…」美玲は言葉を味わった。


「特別な読者の役割です」老人は説明した。「新たな読者を見つけ、導くこと。それは大きな責任であり、同時に栄誉でもあります」


「私にできるでしょうか」美玲は不安を覚えた。


「あなたならできます」老人は確信を持って言った。「すでに正しい道を歩んでいます」


その夜、美玲は図書館内を探索し続けた。様々な人々の物語を垣間見ながら、世界のバランスについて考えた。確かに、暗い物語が増えているように感じる。しかし、同時に希望の物語も存在していた。


「バランスを保つために、私たちは何ができるでしょうか」美玲は老人に尋ねた。


「小さな変化を積み重ねること」老人は答えた。「そして、何より大切なのは、人々が自分自身の物語を大切にするよう導くことです」


美玲は頷いた。自分の使命が少しずつ明確になってきた気がした。


時計が午前4時を指したとき、美玲は図書館を後にした。帰り道、夜空を見上げると、星々が美しく輝いていた。


「それぞれの星が、それぞれの物語を持っている」美玲は思った。「そして、すべての物語は繋がっている」


アパートに戻った美玲は、眠る前に決意を新たにした。明日から、健太郎と梨花を少しずつ図書館へと導く準備を始めよう。そして、自分自身の物語も大切にしながら。


美玲は窓辺に立ち、夜明けを待った。新たな一日、新たな物語の始まりを。

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