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真夜中の図書館  作者: Nab
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第五章:予期せぬ結果



数日が経ち、美玲は真夜中の図書館への訪問を続けていた。健太郎は少しずつ人と話すようになり、母は小説を文芸誌に投稿した。どちらも小さな一歩だったが、確かな変化だった。


しかし、美玲に降りかかった代償は想像以上だった。頭痛は三日間続き、左手の痺れは一週間経っても完全には消えなかった。それでも、美玲は満足していた。他人を助けることができるのなら、この程度の代償は払う価値がある。


「おはよう、山田くん」


文学の授業前、美玲は健太郎に声をかけた。彼は以前よりもリラックスした表情で笑顔を返した。


「おはよう、佐藤さん。これ、読んでみてほしいんだ」


健太郎は一冊の本を差し出した。村上春樹の『海辺のカフカ』だった。


「実は、小説を書いてみようと思って」健太郎は少し恥ずかしそうに言った。「まだ下手だけど、できたら見てほしい」


「もちろん!」美玲は嬉しく思った。「見せてくれるの楽しみにしてる」


授業が始まると、教授が新しいプロジェクトについて説明した。


「来月、大学で文学祭を開催します。皆さんにはグループで文学作品の分析と創作に取り組んでいただきます」


美玲は健太郎の方を見た。彼も同じことを考えていたようだ。


「一緒にやらない?」美玲が尋ねると、健太郎は嬉しそうに頷いた。


授業後、マリが美玲に近づいてきた。


「あの子と仲良くなったの?」マリは健太郎の方を見ながら尋ねた。


「うん、話してみると面白い子だよ」


「そうなんだ」マリは不思議そうな表情をした。「でも、気をつけた方がいいかも」


「どうして?」


「ううん、なんでもない」マリは話題を変えた。「そういえば、お母さんの小説、どんな内容なの?」


美玲は母の小説について話した。それは若い女性が亡くなった妹の日記を見つけ、その足跡を辿る物語だった。美玲が知らなかった母の感性に触れ、感動していた。


「素敵な物語ね」マリは感心した。「私も読んでみたい」


その日の夜、美玲は再び図書館に向かった。今夜は誰か困っている人を助けたいと思っていた。


図書館に入ると、老人が静かに迎えてくれた。


「今夜はどなたの物語をお読みになりますか?」


「困っている人を助けたいんです」美玲は答えた。「誰か紹介していただけませんか?」


老人は考え込んだ。「困難を抱える物語は数多くあります。しかし、どの物語を変えるかは読者自身が選ぶべきです」


「でも、どこから始めれば…」


「直感を信じてください」老人はアドバイスした。「あなたの心が導くままに」


美玲は本棚の間を歩き始めた。無数の本、無数の物語。どれを選べばいいのだろう。


そのとき、一冊の本が目に留まった。「鈴木梨花の物語」


タイトルは見覚えがあった。鈴木梨花—それは大学の同じ学部の先輩だった。ほとんど接点はなかったが、名前は知っていた。


美玲は本を手に取った。ページを開くと、梨花の人生が描かれていた。彼女は文学部で優秀な成績を収めていた。しかし、最近のページには暗い記述があった。


就職活動に失敗し続ける梨花。自信を失い、うつ状態に陥っていた。そして、最新のページには衝撃的な内容が書かれていた。


『梨花は窓の外を見つめていた。十階からの眺めは美しかった。彼女は窓を開け、外の冷たい風を感じた。「もう終わりにしよう」彼女は呟いた。』


美玲は息を呑んだ。これは…自殺を考えているのだろうか。


「この人を助けなければ」美玲は決意した。


ペンを取り出し、最新ページの余白に書き込んだ。


『その時、梨花のスマートフォンが鳴った。大学の後輩からのメッセージだった。「先輩、就職相談に乗っていただけませんか」』


文字が本文に溶け込んでいくのを見て、美玲は続けて書いた。


『梨花は窓から離れ、メッセージに返信した。誰かに必要とされる感覚が、彼女の心に小さな光をもたらした。』


美玲は本を閉じ、深呼吸した。これで梨花は一時的に思いとどまるだろう。明日、実際に連絡を取ってみよう。


「大きな変更ですね」老人が後ろから声をかけた。


「必要なことです」美玲は振り返った。「彼女を助けるために」


「高潔な意図です」老人は頷いた。「しかし、代償も相応のものになるでしょう」


「覚悟しています」


老人は静かに微笑んだ。「心の準備をしておいてください」


美玲はさらに本棚を探索した。そして、もう一冊の気になる本を見つけた。「井上マリの物語」


友人の本に手を伸ばす前に、美玲は少し躊躇した。友人のプライバシーを覗き見るようで気が引けた。しかし、もし助けが必要なら…


本を開くと、マリの日常生活が描かれていた。彼女は明るく社交的な性格だったが、最近のページには意外な内容があった。マリは健太郎のことを心配していた。


『マリは窓際で一人佇む山田健太郎を見た。彼は以前から気になる存在だった。美玲が彼と親しくなり始めたのを見て、マリは複雑な気持ちを抱いた。山田には危険な過去があるという噂を聞いていたからだ。』


「危険な過去?」美玲は驚いた。マリは何を知っているのだろう。


ページをめくると、マリの懸念が書かれていた。健太郎は前の高校で何か問題を起こし、転校してきたという噂があると。しかし詳細は書かれていない。


美玲は困惑した。健太郎はおとなしく優しい人に見えた。本当に何か問題があるのだろうか。確かめるべきだろうか。


迷った末、美玲は健太郎の本を探すことにした。本棚に戻り、「山田健太郎の物語」を見つけた。


本を開き、健太郎の過去のページを読み進めた。彼の前の高校での記録に到達すると、衝撃的な事実が明らかになった。


健太郎は確かに問題を起こしていた。しかし、それはいじめの標的になり、ついに反撃したことだった。彼は自分を長年いじめていた生徒を殴り、病院送りにしてしまったのだ。それが原因で転校を余儀なくされた。


「これが噂の真相か…」美玲は安堵した。健太郎は加害者ではなく、むしろ被害者だったのだ。


美玲はマリの本に戻り、余白に書き込んだ。


『マリは山田健太郎についての噂の真相を知った。彼はいじめの被害者だったのだ。マリは美玲に心配をかけたことを申し訳なく思った。』


文字が溶け込むのを見て、美玲は満足した。これでマリも健太郎を正しく理解してくれるだろう。


時計を見ると、午前3時を過ぎていた。今夜はもう一人助けた。明日は梨花先輩に連絡を取ろう。


美玲が自分の本を読もうと中央カウンターに向かうと、老人が待っていた。


「今夜は二つの変更をしましたね」老人は静かに言った。


「はい。必要なことだと思います」


「特に一つ目は大きな変更です」老人は慎重に言葉を選んだ。「命に関わることは、最も大きな代償を伴います」


「どんな代償でも構いません」美玲は決意を示した。「人の命を救えるなら」


老人は深く頷いた。「崇高な決意です。しかし、忘れないでください。すべての物語は繋がっています。一つを変えれば、他にも影響が及びます」


美玲は考え込んだ。「他の物語にも影響があるんですか?」


「時に予期せぬ形で」老人は答えた。「明日、注意深く観察してください」


時間が迫っていた。美玲は急いで出口へ向かった。


「また明日」


外に出ると、体に激しい痛みが走った。まるで全身が火のように熱い。特に胸が締め付けられるような感覚があった。


「こんなに…すぐに…」美玲は苦しみながら歩き始めた。


アパートまでの道のりは長く感じられた。何とか部屋に辿り着くと、美玲はベッドに倒れ込んだ。痛みと熱で意識が朦朧としていく。


朝、目が覚めた時も、体の痛みは続いていた。特に胸の痛みが強く、呼吸するのも辛かった。体温計で測ると、38.5度の熱があった。


「これが代償…」美玲は理解した。


スマートフォンを確認すると、見知らぬ番号からメッセージがあった。


「こんにちは、佐藤さん。突然連絡してごめんなさい。私は文学部の鈴木梨花です。昨日メッセージをもらって嬉しかったです。相談に乗っていただけますか?」


美玲は弱々しく微笑んだ。変更が現実になったのだ。


「もちろんです。いつでも大丈夫です」美玲は返信した。


熱と痛みがあっても、大学に行くことを決めた。梨花先輩に会わなければならない。


キャンパスに着くと、体調は少し良くなっていた。教室でマリと健太郎を見つけた。二人は楽しそうに話していた。


「おはよう」美玲が近づくと、二人は振り向いた。


「美玲、大丈夫?顔色悪いよ」マリが心配そうに言った。


「ちょっと風邪気味で」美玲は答えた。


「無理しないでね」健太郎も心配そうだった。


「ところで、昨日は変なこと言ってごめん」マリが突然言った。「山田くんのこと、誤解してたみたい」


「え?」美玲は驚いた。


「実は噂を聞いてたんだけど、真相を知ったの」マリは健太郎に微笑みかけた。「いじめられてたんだよね。辛かったね」


健太郎は少し驚いた表情をしたが、すぐに柔らかく微笑んだ。「うん、でも今は大丈夫だよ。ここでは良い友達ができたから」


美玲は二人を見て嬉しくなった。変更が予想通りの結果をもたらしている。


授業後、美玲は約束通り鈴木梨花と会った。図書館のカフェで向かい合って座った梨花は、憔悴した表情をしていたが、微かな希望の光も見えた。


「突然連絡してごめんなさい」梨花は言った。「でも、メッセージをもらった時、本当に救われた気がして…」


「どういたしまして」美玲は微笑んだ。「先輩のお役に立てるなら嬉しいです」


「実は就職活動が全然うまくいかなくて」梨花は打ち明けた。「文学を学んだことが無駄だったのかなって思い始めて…」


「そんなことないです」美玲は熱を押して話した。「先輩の文学への情熱、いつも尊敬してました」


会話を続けるうちに、梨花の表情が少しずつ明るくなっていった。美玲は自分の経験や考えを率直に話し、梨花の話にも真剣に耳を傾けた。


「ありがとう、佐藤さん」別れ際、梨花は笑顔で言った。「また話せますか?」


「もちろんです」美玲は嬉しく答えた。


別れた後、美玲はキャンパスを歩いていた。胸の痛みはまだあったが、誰かを助けられた満足感がそれを和らげてくれた。


突然、マリから電話がかかってきた。


「美玲!大変なの!」マリの声は動揺していた。


「どうしたの?」


「健太郎が倒れたの!授業の途中で突然胸を押さえて…今、救急車で病院に運ばれたところ」


美玲の体が凍りついた。「え…どこの病院?」


マリが病院名を告げると、美玲は急いでタクシーを拾った。


「お願い、無事でいて」美玲は祈るように呟いた。


病院に着くと、マリが待合室にいた。


「どうなの?」美玲は焦って尋ねた。


「まだわからないの」マリは震える声で答えた。「急性の心臓発作みたいだって」


美玲は血の気が引いていくのを感じた。


「若くて健康だったのに、なぜ突然…」マリは混乱していた。


美玲は恐ろしい予感がした。健太郎の突然の発作…自分の胸の痛み…そして老人の警告。


「すべての物語は繋がっています。一つを変えれば、他にも影響が及びます」


これは代償なのだろうか。梨花を救ったことの代償が、健太郎に降りかかったのだろうか。


美玲は座り込み、頭を抱えた。もし健太郎に何かあったら…自分は許されるだろうか。


「美玲?」マリが不安そうに見つめてきた。「大丈夫?」


「ええ…」美玲は弱々しく答えた。「ただ心配で…」


時間が緩慢に過ぎていく中、美玲は決意した。今夜、図書館に行って健太郎の本を書き換えよう。どんな代償を払っても、彼を救わなければならない。


しかし、心の奥で恐ろしい疑問が湧き上がった。


もし自分が書き換えた物語が、他の誰かを傷つけ続けるとしたら…この力は本当に祝福なのか、それとも呪いなのか。

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