七年間、毎日欠かさずレスバしてきた相手が同じクラスの清楚可憐な高嶺のお嬢様だった。
興味を持っていただけてありがとうございます。
(※タイトルから想像するようなイチャラブ感は、ほぼほぼないです)
ソ:『――あなた、そんなことも知らないの? 通常の判断能力を有する人間であればおよそ考え辛いほど、知識の蓄えがないのね』
ア:『はいはい、知識マウント乙。相変わらず癇に障る物言いでしか相手と接する方法を知らない破綻したコミュニケーション能力者だなw それで、お前の言ってることが正しいってソースは?』
ソ:『これよ』(リンクを貼る)
ア:『あ、お使いご苦労様ですw』
ソ:『……本当、友人のひとりもいなそうな、いい性格してる』
ア:『液晶に映った顔真っ赤にしてる自分見て言えって話』
アキトこと、おれ――結城昭人は、いつものようにスマホの画面を睨みつけながら反論をぶつけていく。
返信が返ってくる時間は深夜帯と決まっているが、七年近くも継続された言い合いは最早、日課を超越して義務感すら感じられるやり取りだった。
世の中には単純接触効果みたいなのもあるが、これも一種のそれだと思う。
顔も声も本名も何も知らないどこぞの何某に、おれは哀しいかな愛着を持っているのだろう。
たぶん向こうも似たようなものだ。でなきゃこんな続くか、普通。
いわば……宿敵、である。
しかしどうせ時間を持て余した、女々しいおばさんだろうと思うと二重の意味で涙が出てくる。
きっかけは確か、小学四年生の頃。
姉の部屋から適当に借りた乙女ゲー〝革命姫ルウィス・パラノイアー〟の内容がちっとも理解できず、SNSでディスり気味に不満を書き綴ったことだっただろうか。
あのときのおれは、乙女ゲーというジャンルそのものに初めて触れたので〝意味不明〟としか感じられなかった。
しかしだからとってむやみやたらに公式やファンへ噛み付いたわけでもない。
ただ日記みたいに支離滅裂に思える設定や、キャラの言動についてどう感じたかを書きこんだけ。
するとどうだ。
『――FF外から失礼します。あなたが〝ルスパラ〟に対して不満を述べている原因は、根本的に新月の霧を同調圧力のメタファーだと理解できていないからです。摩天楼に関しても同様で、あれは世界であり、鳥かごであり、主人公そのものなんです。意識革命のお話なんです。何故そんなことも理解できていないのにあれがダメ、これがダメなんて言えるんですか? 理解できません。もう少し考えてから話してください』
は? な、なんだこいつ……めんどくせぇな。
それがソラクテス――ソラに対する一番最初の、正直な印象だった。
当然、俺は最速でブロックして無視を決め込んだ。それが最善だと幼いながらに直感してたんだと思う。
しかし翌日、別のアカウントからまた『なんで無視するんですか?』と連絡がきていた。
うざかった。本当は返信なんてしたくなかった。でも変に粘着されるくらいなら、はっきり言ってやった方が早いとも思ったのである。
そしてこれが、おれとソラの長きに渡る口論の始まりだった。
実際、ソラの言う通り断固無視すればそれでよかったのだ。
けど気まぐれが勝ったというか……小学生の時分は毎日がとても充実していた。だからその余裕からか、傲慢からか。相手してやってもいい、なんて風に思っていたのが本音である。
やり取りをするのがほぼ真夜中だけというのもあり、寝落ちするまでお互いを罵り合ったりくだらない口論を繰り広げ、やがて気付くとそれは日課になっていた。
この頃のおれはまだ、自分で言うのもなんだが負けず嫌いで正義感が強い方だった。
警察官の父に憧れ、同じ道を自然と目指していた真っ直ぐな子供。
でも中学生になって、そんなガキは融通の利かないうっとおしいヤツだと気付かされた。
小学生時代は仲良くしてた友達は半分は別の中学に。もう半分はおれを避け、陰で色々言っていた。
「馬鹿馬鹿しい……」
強がりの孤独を知った時、おれはソラとの日課をストレス発散目的でするようになっていた。
小四から始めて四年。やり取りの相手はたぶん、時間を持て余したしょーもない大人。
どうでもよかった。家族以外でつながりは〝そこ〟にしかなかったから。
高校受験だけは頑張った。見返してやろうと思ったから。
環境が変われば、何かが変わると思った。思っていた。
だが結局、おれの世界は何も変わらなかった。
そりゃそうだ、別におれ自身が何か変わったわけじゃない。
――昭人、一度レールから外れた人間が元の道に戻るのはとても難しいことなんだ。
父の言葉はやはり正しかったのである。
できない・足りない・分からない――だから、やらない・やれない・不安になる。
どうにもならない悪循環に陥ったおれの、高校という小さな世界での立ち位置は、いわゆる陰キャでも陽キャでもない〝浮遊層〟だった。
それでもこんなおれにも唯一の癒しがある。
それが同じクラスの品行方正、才色兼備。周囲の多くに慕われ、人生においておよそ妬み嫉み以外で嫌われることのないであろう完全無欠の高潔な淑女――八剱宙の存在だ。
真偽は不明だが、聞こえてきた話によればどこぞのお嬢様らしい。
まぁ、遠目で見ている限り当人はそこには触れて欲しくなさそうなので、クラス内でもあまり噂話をしているヤツもほとんどいない。(と思われる、ぼっちなので)
しかし当然ながら接点などあるはずわけもないので、おれは今日も今日とて後ろ姿なり横顔だけをぼんやりと眺め、いつものように家と学校を往復するだけの日々を送る。
帰宅後。夜になるまでに勉強と筋トレだけは、人一倍こなしておく。
特にこれといった趣味もなく、交友関係が狭い自覚があるのだから、それくらいは最低限だと確信していた。
そうして日付が変わる少し前。戦闘準備を済ませたおれはいつものようにベッドの中にいると、程なくしてスマホが振動した。
おれのスマホに何らかの通知をもたらすのは、今やもう家族とソラクテスだけだ。
ソ:『ごきげんよう』
ア:『ごきげんようw』
いつもの挨拶だった。今更この程度で炊いちゃう精神性は、お互い持ち合わせていない。
ソラクテス。本人も言っていたが、もろソクラテスのもじりだ。
あらゆる人間に片っ端から疑問をぶつけ、論破し続けた結果。他人の恨みを買いすぎて処刑されたが、自らの正義を最期まで信じ抜いた一種の殉教者。
毎晩レスバを仕掛けてくる人間には、一部を切り取って当てはめれば相応しくあるだろう。
ソ:『あの……』
ソ:『…………』
ア:『三点リーダーだけ打ってくるとか、構ってちゃん乙』
ソ:『違うの。あのね、その』
ソ:『…………』
またしても送られてきた意味ありげな三点リーダーに、おれは混乱した。
七年。そう、七年やり取りをしてきて全く初めての展開だったから。
(な、なんだこいつ。それっぽい雰囲気を出して心配させて、実は嘘でしたみたいな面倒くせぇダル絡みの切り口か?)
顔も名前も知らない相手にこんなことを思うのはナンセンスだが、ソラはその手を嘘をつく人間ではないと思う。無意味な罵り合いはしない……というか、そうプロレスみたいに越えたらやばいラインは理解しているのだ。
とりあえず、おれは待ってみた。そして十分が経とうかという頃、再び通知が来る。
ソ:『あなたはご両親と仲がいい?』
ア:『まぁ、いい方だと思う』
ア:『仲悪いのか?』
ソ:『分からない。でも私は良くはないと思ってる』
……ん? そもそもこいつ、親との仲を気にするような年齢なのか?
いやまぁ、いい歳した大人でも関係が良好じゃないこともあるだろうけどさ。
ア:『そう思う原因は? 何かあるんだろ?』
聞くと沈黙が訪れる。言いづらい事情でもあるのかもしれない。
返事が返ってくるまでにまた数分を要した。
ソ:『あのね、これは友達にも親戚にも話したことがないんだけど』
ソ:『……私、両親のどっちとも血が繋がってないんだ』
お、ぉ……予想以上のもんが飛び出してきたな。しかもなんか、話しぶりからして成人はしてなさそうな感じだよな。仮にそうじゃなくてもおれが想像している以上に幼い感じがする。
しかしなんて返すのが正解なんだろうか。最近、両親以外はこいつとしか会話していないから何が正しくて何が間違っているのか全然分からない。くそっ、こんなところでも人生の悪循環の弊害かよ。
手に汗が滲み、脳みその普段使っていない部分までフル稼働した結果。身体が熱を持つのが分かる。
そうして、絞り出した言葉は何とも頼りないものだと自分でも思った。
ア:『なんつーか、その……重い、な』
あれ、返事がない。もしかして滅茶苦茶、長文が送られてくる感じか?
困ったな。正直おれ、自分のことでいっぱいいっぱいなのにちゃんと相談に乗れる自信がない。
でも友達にもって言うくらいだし、顔が見えないからこそある程度信頼してもらえてるんだよな。そうだよ、リアルで七年だぞ。実質、小学校からの幼馴染みたいなもんだろ。
期待……されているわけではないだろうけど、できる限り応えたいと思うのは、たぶんソラとの絆みたいなものがおれにとって本当に唯一のものだからだと思う。
しかしそんな地に足のついていない心配は、まったくの杞憂だということがすぐに証明された。
ソ:『そう、だよね……迷惑ですよね、顔も知らない相手に突然こんな話をされても』
ア:『え』
ソ:『ごめんなさい、急に変なことを訊いてしまって』
ソ:『今日のことは忘れてください。それではおやすみなさい、アキト』
ア:『あ、おいっ!』
ア:『ソラ?』
結局。その後、ソラから返信がくることはなかった。
考えるまでもなく、おれは彼ないし彼女の心にいくつか埋まっているであろう地雷ワードの一つを、初手で勢いよく踏み抜いてしまったらしい。
「あぁ、ああ、あああっ!」
ベッドの中でひとり、ものすごい久しぶりに悲鳴に似た声をあげてしまうおれだった。
*
三日後、想像以上に精神的なダメージを受けて続けている自分におれは驚いた。
結局。あの日以降、七年続いたやり取りは唐突に終わりを迎えてしまった。
おれから話しかけに行くのも気が引けて、どうにもならない感じだ。
ここまでくると、どれだけソラクテスという存在に依存していたのか否が応でも理解させられる。
当然、学校でもずっとブルーだった。まぁ、それを気に掛ける相手もいないのでいつも通りなのだが。
しかしだ。さらに問題だったのはおれの高校での心のオアシス――八剱宙も、なにやら元気がなさそうだった。
疎いのでよく分からないが〝推しが辛そうだと辛い〟で、いいんだろうか。
別におれは彼女を異性としてどうこう想っているつもりはない。くしくも同じ名前だから意識してしまってるだけだ。
それでも周囲にいる友人が彼女を心配する様子は見られなかった。
彼女自身が悟られないように振舞っているようなので、当然なのだろうが。
何故おれにそれが理解できるか。理由は単純。
おれが彼女の友人でもなんでもないからだ。悲しいね。
どことなくうわの空で、わずかに陰を感じる彼女の表情は、まるで失恋したような落ち込みにも見えなくもなかった。
あえて言及するまでもなく八剱宙はモテる。とてもモテる。
整った顔立ちを好きになる者から、何気ない接触から恋に落ちる者、幸運にも彼女の生活の一部になって言葉を交わすうちに好きになる者まで。
高校生活たった一年で、我が校の男子の三分の一は振ったという噂まであるほどである。
下手に過半数を超えていないのが、噂のリアリティを底上げしている。実際、告白するハードルって高いしな。おれみたいな見守り組も多数存在しているはずだ。
現に彼女は、今日も今日とて放課後の校門前で告白されていたらしい。
おれがアキトのアカウントでネットニュースをチェックしながら歩いていると、今まさに告白の瞬間という話し声が聞こえてきたのである。
「――八剱宙さん、三度目の正直だ。ボクと付き合ってください…………!」
「高槻くん……ごめんなさい。何度告白されても私……」
「な、何故だッ!? 何故なんだ。ボクの何が不満なんだ。顔か? 財力か? 性格か? ボク自身がキミにとって不足していると評価されるなら甘んじて受け入れよう。だが、どうだ。キミは理由さえ教えてくれず、ただ断る。断り続ける! ボクのことをばかにしてるんじゃないのかっ!?」
「そ、そんなつもりは……」
「なら、教えてくれ! 何故だ!」
「……会って気持ちを確かめたい、ひとがいるから。だから、ごめんなさい」
なるほど。遠距離恋愛か。一途なんだな。それなら振り続けるのも納得だ。
まぁ、理由をはっきり伝えてこなかったところは傷つけまいとしたんだろうが、キープか何かと受け取られても仕方ない部分はある。彼女も決して完璧などではなくひとりの人間というわけか。
「……くっ、今さらそんな言葉で! 引き下がると思ってくれるなよ!」
「え……」
(おいおい、言ってることがさっきと違ぇぞ)
そして、想定していたよりも遥かに校門と近かったらしく。
曲がり角へ差し掛かった途端、走り去ろうとした男と正面衝突することに。
しかしおれは反射的に左手の指先から肘の側面を使い、向かってきた男を腕の力で弾いた。
振られたばかりの彼が尻もちをついておれの前で転がる。
「悪い、大丈夫か?」
とりあえず、おれのせいで転んだのは事実なので手を差し伸べる。だが、
「あ、歩きスマホなんざしてんじゃねぇっ!」
「うぉっ」
好きな相手の前での尻もちが恥ずかしかったのか、お返しとばかりに手を弾かれる。
さらに予想外にもスマホを取られ、投げ飛ばされた。しかも当てつけか、八剱宙の方へ向けてだ。
(……情けないやつ)
もちろん口に出すと面倒なことになるので、おれは黙って男の背中を見送ることにした。
するとあろうことか、あの男の代わりに目の前の〝生〟八剱宙に頭を下げさせてしまう。
「ごめんなさい、結城くん。通りすがりなのに迷惑をかけてしまって」
「えっ。あぁ、いや別に」
久し振りの会話ということもあり、足元のスマホを拾ってくれた彼女に我ながらなんとも素っ気ない返事だった。情けなさで言えばたぶん、他人のことを言える立場ではない。
にしても教室の外に出てもおれの顔と名前、ちゃんと一致してるんだな。意外だ。
「あ、画面も割れてない。本当によ、か――――……」
った、と。恐らくそう言いかけ、八剱宙はまるで時間が静止したように止まってしまった。
ら、落下の衝撃で変な画面に切り替わってしまったりしたんだろうか。
「あの、返してもらえる?」
「え、あっ。は、はい。ご、ごめんなさい」
「?」
一応確認すると、画面はSNSのプロフィールのところまで戻っていた。
特におかしな点はない。直言の発言も過去の失態を嘆く独り言であり、客観的に見てもそこまで印象が悪くなるようなことは書いていないはずだ。
おれは「それじゃ」と一言添えて彼女に背を向ける。
「あ、あのっ……」
「?」
「いえ、あの……ごめんなさい。何でも、ないです。また明日ね、結城くんっ!」
「??」
疑問符を浮かべているうちに、八剱宙はおれを追い越してさっさと帰路についていくのだった。
*
(分からない。彼女は、どうしておれを呼び止めようと思ったのだろう……)
ベッドの上でおれは考える。
まさか実はおれ、後ろ姿だけならとんでもないイケメンだった説ある?
(んなわけねぇか……)
その日もおれはソラとのやり取りがないため、普段よりも早く眠りについた。
これはもうあれだ、無趣味の老後みたいな気分である。
だが、二日後。おれにとっても衝撃的な事態が、昼休みに起こった。
なんと、だ。八剱宙が友人との会話を打ち切り、おもむろに席を立つと、自分の席で虚しく日々をやり過ごすおれのところまでやって来て、こう言ったのである。
「――あ、あのっ。か、革命はお好きですかっ?」
「……は?」
恐らくクラスの誰もが同じ気持ちだったことだろう。
居心地の悪い視線が刺さりまくり、何とも言えない空気が漂う。
「ご、ごめんなさいっ」
やや遅れて同じものを感じ取った彼女は、ハッとした後。ぼんっと顔を赤らめて教室から走り去っていってしまった。
おれは堪らず首をかしげる。周囲のひそやかな声もまぁ、恐らく似たような感情の発露に違いない。
「え? な、なんなんだ……」
にしても革命か。革命、革命……かく、めい?
物事には必ず理由があるものだ。頭がおかしい人物でもない限り、当人なりの理屈なり動機なり、きっかけがあるのは当然。
であれば、彼女が急に革命などと言い出した理由はなんだ?
友達でもなんでもない、他でもないおれに向かって。
「あ」
同じく遅れて気付く。
おれがソラと初めて話したきっかけの乙女ゲーが、革命姫ルウィス・パラノイアーのタイトルだったということを。
(可能性は、ある……)
アキトのプロフィールを見られたことはもちろんそうだが、なにより〝本名でSNSをやってしまう〟という小学生特有のネットリテラシーの無さが決定的だと思う。
というわけでおれも意を決して名乗り出ようとするも、当の彼女は放課後になるなり爆速で教室を退出してしてしまった。
ちらりとこっちを見てたので、思い上がりでなければ十中八九おれから逃げているのだろう。
(これはネットで聞いた方が早そうだな……)
かりにおれと話してたソラクテスの時の性格が素なのだとすると、普段は割と猫を被っていることになる。幻滅……するわけではないけど、七年もやり取りしてたら砕けて当然とも言えなくもない。
いや正直、初っ端からやや高圧的だったような。まぁ、それも小学生が自分の好きなものを不当に下げられたことへの条件反射だとすれば、納得はできる。
というわけで思い切り追いかけて変な噂になると本格的に高校生活が終わってしまうため、おれは大人しくのんびりと学校を後にする……はずだった。
(ん、なんだ……?)
校門の傍がやたらと人だかりができており、妙に騒がしかった。
もちろん気さくに聞きにいける交友関係はないので、忍ぶように聞き耳だけは立てておく。
「さ、さすがにまずいよな……今の」
「う、うん。い、一応何人か連絡してたけど……警察」
(警察?)
雰囲気的に誰か轢かれたというわけではなさそうだ。
「……あの連中、どっかで見たことあんだよな」
「だいぶ柄悪そうな大学生くらいだったろ? 接点あんのかよ」
「なわけあるか。俺は記憶力が良い方なんだよ……あっ、思い出した。一昨日、八剱さんに告ってた他校のボンボンいたろ? あいつとつるんでたんだ!」
複数人。当人不在。警察沙汰。
ここまで条件が決まれば、当てはまる結論は一つしかない。
「――おい、悪いんだけど。ちょっとその話もう少し詳しく聞かせてくれねないか?」
逆恨みの、誘拐だ。
*
(三人、か……死ぬ気でやればなんとかなる、か? いやせめて警察来るまではなんとかしねぇと)
どうぞやましいことに使ってくださいとばかりな廃工場。
そこに八剱宙と彼女を無理やり連れ去ったと思わしき、男が三人。
人相の悪いひとりが、見るからに頭の悪そうな面のふたりを連れている。
おれは裏手に回り、ひとまず割れた窓越しに中の様子を窺っていた。
「なんなんですか、あなたたち。こんなことして何になるって言うんです。お金ですか」
「金ぇ? なんだ、お前もいいとこの嬢ちゃんかよ」
リーダーらしき男が結束バンドで指を拘束された八剱宙の顎を触れ、軽く押し上げる。
「やっぱり顔は悪くねぇ。どうせその感じだと、頭もいいんだろ?」
「だったら何だって言うんです」
「いいねぇ。しばらくはそう強気でいてくれよ」
答える男が下種な笑みを浮かべたであろうことは、声だけで理解できる。
「するとアニキ」
「つまりアニキ」
「あぁ。嬢ちゃん、先にいいことを教えといてやる。オレはな、気の強い女と頭のいい女が大好きだ。何故だか分かるか?」
「興味ありま――――……」
言いかけた彼女の頬を、男は思い切り引っぱたいた。
薄暗い屋内に乾いた音が響く。
「いい子ちゃんの人生がぶっ壊れていく音が、俺の一番キモチイイとこを最高にシュワシュワさせんだよぉ」
(野郎ッ!)
数的不利を覆す手段を考えている時間はないと悟り、おれは中へ足を踏み入れる。
――だが、その時だ。
「ちょぉおおと待ったぁあああッ!」
不意に届いた声の先を、この場の誰もが一斉に見やる。
そこには一昨日、彼女に振られたはずの軽薄そうな男がいた。
意味もなく声をあげ、まるで見計らったようなタイミングで真正面から堂々とやって来た彼は、校門前で聞いた話から推察した通りの共犯ではないとすれば、ただの馬鹿だ。
「宙さんを離せ! 今なら見逃してやる。もうじき警察も来るぞ!」
彼の瞳は意味もなくきらきらと輝いていた。
さながら何度も練習した言葉を、舞台でようやく言えた大根役者である。
「高槻くん……」
八剱宙が名前を呼ぶ。しかしそこに安堵の気配は皆無だ。
その証明に男たちは彼を一瞬だけ目を向けた後、すぐに存在していないかのような態度を取ったからである。
「お、おい。聞いてるのかキミたち! ボクが来たんだぞ! 高槻ノブヒロの息子、高槻ノリヒコなんだ。どうなるかわかっているん――」
「るせぇんだよ、成金豚ァッ!」
「んぎぃっ!」
不用意に近づいた結果。殴られた豚が情けない悲鳴をあげ、冷たい床にのたうち回る。
噴水のように鼻血を出しながら、自分のことだけを考えている。
「ど、どうぢでぇ。ぐそぐがっ、違う゛ッ」
「約束? あぁ、約束な。あれは一つなかったことにしてくれ、ノリヒコ君」
「……や、約束」
「あんた、面倒なのに好かれちまったよな」
「あんた、不幸にも好かれちまったよな」
「そう、約束。豚の餌でもシチュエーション次第でごちそうに化けるって話なわけ」
やっぱり。想像通りだったわけだ。八剱宙の瞳が落胆というより、心底の呆れから来るどうしようものないものをみる優しい眼差しとなって、高槻に向けられる。
彼と彼女の目が合い、男が低い声で言った。
「で、やんのか?」
「ぐ、ぅ……っ! し、知らない! ボクは知らない! 関係ない! 元はといえばキミが断るから! そう、ボクは悪くない! 全部、キミが悪いんだ! 自業自得! 因果応報! ボクのものにならない女の子なんてどうなってもいいんだよ! こ、この媚売りの少女めがっ!」
一方的に吐き捨てると、彼は廃工場に二度と戻ることはなかった。
状況が再び、振り出しへと戻っていく。
「おぉ、おぉ。情けないねぇ。おい。てめぇら、周りちゃんと見張っとけよ」
「「はい、アニキ」」
「でもアニキ」
「俺らにも……」
「分ぁってるよ。だから顔は殴んねぇでやってんだろ。いつも」
そんなクソみたいなやり取りの後、男たちは一人と二人に別れていく。
彼らは自分たちの優位を疑わない。予定通りのことは全て終わり、後は自由な時間。
故に自然と緩む。多少は張っていた気が。だから、
(ここしかない――――ッ!)
と、おれは思った。
「ほんと、アニキああ言うけど。割と殴ってるよないつも、女の子」
「ほんと、アニキああ言うけど。女の子、卑屈になってるよないつも」
廃工場の裏手は見る限り人の出入りが全く感じられない。
そのため、二人が見張るのは恐らく正面のみ。
おれはゆっくりと背後から忍び寄り、一人を締め上げ、首尾よくもう一人は真っ向から殴り飛ばして気絶させた。
(父さんから対人の格闘技教わってて正解だったな、マジで)
今日ほど警察官の息子であったことをありがたいと思ったことはない。
ここまでおよそ数分と経っておらず、最良かどうかは分からないが最善を選べているつもりだ。
おれはそこらに転がっていた手頃な鉄パイプを手に取り、屋内へと戻る。
体格差でそれなりに劣っていたため、卑怯だのなんだのは言ってられない。
勝ちは前提なのだ。そのうえであらゆるリスクを下げるのは必要なことである。
合わせて一応、下準備も忘れず迅速に済ませておく。
「――ずいぶん素直じゃねぇか、泣いたり叫んだりしねぇのか?」
「声を上げれば、殴るとそう言ったでしょう?」
「言ったがねぇ。まぁ、いっか。その態度がいつまで続くか、見物だなぁ」
男がジーパンに手をかけ、脱衣を始める。
であれば、当然。一番重心が崩れるタイミングは脱ぎ掛けの片足が浮く瞬間。
おれはそこを狙って、男の背後から右脇腹へ鉄パイプのフルスイングをぶちかました。
「ァ、が――――ッ!? く、ぁッ……」
男が苦悶の声を上げながら半ケツで冷たい床を舐める。
「八剱……!」
「結城くん……!」
「指だせ、すぐ壊す!」
おれは工場内に落ちていたペンチで、彼女を拘束する結束バンドを手早く壊していく。
理想はこのまま走って人目のつくところまで逃げることだが、果たして間に合うかどうか。
「ゆ、結城くん後ろ……っ!」
「なにてめぇ、ひとにフルスイングかましてくれやがんだァッ!?」
「――――ッ!」
どうやらそう簡単にはいかないらしい。結束バンドの破壊と同時、おれは咄嗟に八剱宙を抱えて横に跳び、容赦なく頭めがけて振るわれた角材を間一髪で避ける。
「ごめん。大丈夫か?」
「う、うん……でも、どうして……」
「どっか連れてかれたって聞いたなら、そりゃ来るって。見てた他のひとがもう警察に連絡してる。だからあとちょっとの辛抱だ」
「…………普通、来ないよ」
「楽しそうだねぇ、お二人さん! しかしなんだ? ハハッ、舐められたもんだな。頭避けてそれで勝てると思われてんのかよオレ? あァッ!?」
頭を避けてしまったのは、根源的な忌避感情なんだと思う。
顔面を蹴り飛ばしたい気持ちと、顔面を蹴り飛ばしたら脳震とうで殺人にいたりかねないという気持ちは両立できるものだ。
それから男は会話がよほど気に障ったのか、男は怒りに任せて角材を膝で叩き殴った。
そのうえで角材を捨て、素手でのタイマンに臨んでくる。
恐怖はある。でも今、目を背けて明日を迎えてしまう方がずっと怖い。
だから、おれは言う。言って見せる。
「勝ち負けの問題じゃない。おれはただ今、やるべきこととやりたいことが一致した。戦うと決めた。逃げないと決めた。助けると決めた。これは覚悟だッ、宣誓だッ。おれは今日、おれ自身を革命する――――ッ!」
「ぁ……」
おれらしくない台詞なのは当然だった。
何故ならばこれは、革命姫ルウィス・パラノイアーの終盤を象徴する言葉だからである。
その意味を、彼女は確かに聞き届けてくれたと勝手におれは思う。
「恰好をつけてんじゃねぇぞォッ!」
「とりあえず、八剱さん。離れて、ここに人呼んできてくれると助かる」
「……う、うん。助け、呼んでくるから。絶対、呼んでくるからっ」
言い残し、彼女は走り去っていく。
男が追いかける気配はない。よほどおれのせいで頭に血が上っているようだ。
そして、そこから始まった数分に及ぶ殴り合いは、終始おれの劣勢だった。
というのもこの男、明らかに何らかの格闘技をかじっている。
こういうクズ野郎がボクシングで頂点取ったりするんだろうな、と思うと無性に腹が立ってしょうがない。負けるわけにはいかないし、なにより逃げられるわけにはいかない。
「そらそら、最初の威勢はどうしたァ! 一方的にボコられる気分はどんな気分だァ!?」
「う、ぐッ」
「どうだって聞いてんだろうがァッ!」
「が、はッ!」
そのための布石が、不意に廃工場内で響き渡る。
パトカーのサイレン音だ。
「―――ッ!?」
「はッ、偉そうなこと言って結局、お巡りさんが怖ぇんじゃねぇかよ!」
「な、がッ!」」
そうして、おれの優位で殴り合いが進むことおよそ二分弱。
あらかじめ入り口付近に置いておいたスマホから流れていた〝サイレン音の動画〟の再生が終わり、整髪剤か何かの広告が大音量で流れ始める。
途端、何が起きたか理解した男が顔を歪め、憎悪に近い感情をおれへと向けてきた。
「こ、殺すゥッ!!」
「できもしねぇことを言うのはやめといた方がいいんじゃねぇのか。お前の人生と一緒だよ」
思考を怒りに支配された男の脳内には、もはや逃げるという選択肢は存在していない。
さらに神経を逆なでるようにループ再生で設定したサイレン音が再び鳴り渡る。
ここまでくれば、おれが殴り合いに必ずしも勝つ必要はない。
単調な大振りをいなしながら時間が過ぎるのを待つ。一秒が永遠に感じられるような気分だったが、これも八剱宙のためだと思えば、空も飛べそうなほど勇気が湧いてくる。
そうして、ついに。その時が訪れた。
「――そこ、何をやっているッ!」
「やめなさい……ッ!」
突如、おれたち以外の人間の声が工場内によく響いた。
声の主は数名の警察官だ。今度は偽物なんかではない。紛れもない本物である。
警官を目にした男の顔から怒りが消え、みるみるうちに驚愕に染まっていく。
「な――――ッ。さ、サツだとッ、てめぇ! ど、動画じゃなかったのかァッ!?」
「どうせくだらない人生歩いてるお前らのことだ、パトカー来たら我先に逃げ出すつもりだったんだろ? ――だから一回、先に動画の音を聞かせた。そんだけだ」
とはいえ上手く再生できなかったら困りものだったのだが、万事うまくいってよかったと。おれは内心で、ホッと息をつく。
「て、てめぇぇえええッッ!」
殴り合いに勝つ必要は必ずしもない。確かにおれはそう言った。けどな、
「それでおれの気が済むわけねぇだろうがぁああッッ!!」
最後の拳と拳が交錯する。
だが、男は焦りと緊張で先程まであった狙いの正確性を明らかに低下させていた。
「がぁあッ!」
結果的におれの一撃だけが相手の顎を的確に振り抜く。
直後。衝撃を受け、男が白目を剥いたことを見届けると同時に。おれは意識を手放した。
最後に聞こえたのは、駆け寄ってきた八剱宙がおれの名前を呼ぶ声だけであった。
*
後日。件の男たちは大量の前科が芋ずる式に見つかり、あえなく逮捕となった。
その大半が性犯罪で、更生の見込みもほとんど見られないことから十年以上は確実に出てこれないだろうとのことだ。
恥ずかしながらおれはというと、あの日以降。学校で一目置かれるようになった。
友達かどうかはまだ分からないけど、少なくともクラスメイトとは仲良くやっていけている。
しかも噂に尾ひれがつきまくったのか、なんだか女子の距離が近くなった気もする。
ま、まぁ。おれは顔や身体で好きになったりはしないので大丈夫なんだが。
……って、誰に言い訳してるんだろうな。馬鹿馬鹿しい。
そうして、騒動が一段落した後の放課後。
おれはようやく八剱宙と顔を合わせてゆっくりと話す時間を作ることができた。
できたのだが……いざその時を迎えると、何から話せばいいか分からずお互い沈黙してしまった。
夕暮れの土手を歩きながらおれと八剱宙――ソラは、足並みを揃えてただ歩く。
「「――あ、あの!」」
で、いざ話そうとすれば、あまりにタイミングが悪かった。
「や、八剱さんからどうぞ」
「い、いえ。結城くんから」
「「…………」」
別段、言葉を交わしたわけではなかったが、せーので言うぞという空気が流れる。
数瞬後。おれたちは呼吸をそろえ、言った。
「八剱さんがあの性格と態度と口が悪いソラなのっ!?」
「結城くんがあの性格と態度と口が悪いアキトなんですかっ!?」
結果、恐ろしいまでに息ぴったりだった。
思わず自然と笑みがこぼれ、ずっと胸に抱えてきて誰にも離さなかったことも今なら……今だからこそすっと言葉にできる気がした。
「おれ、小学生の頃は自分で言うのもなんだけど、割と明るかったんだけどさ。中学になって周りと合わなくて上手く生きてこられなかった。でも、そんな日々の中にいたソラに救われてた。お前と話してる時間だけが、たぶんおれがちゃんと生きてた時間だった。だから、今まで。その、本当にありがとう」
精一杯の感謝を伝えた。すると彼女も優しく応えてくれる。
「……私、本当の祖父母も両親もそれぞれ別の事故で亡くしてるの。だから今の家族とはどちらとも血が繋がってない。妹ともとても仲がいいけど、やっぱり血は繋がってはない。でもね、血の繋がりだけが絆じゃないっていうのはちゃんと理解してる。理解してるけど、天涯孤独ってふとした時にいつも苦しいんだ。私だけ、別の世界にいるみたいな気持ちになってた」
でも、でもね……と彼女はまた逆接して続ける。
「アキトとお話しする時間だけはちゃんとした絆みたいなものを感じられたの。きっと顔も名前も知らない相手だったからだと思う。私もあなたと話している時は、世界に独りじゃないって思えた。だからこちらこそ本当にありがとう」
「ど、どういたしまして?」
「でもだからね……重いって言われた時、すごく悲しかったの」
「う、えぇ。ご、ごめん……」
彼女が小さく朗らかに笑い、一歩傍に距離を詰めてくる。
女の子の匂いが鼻腔をくすぐる。これはおれをダメにする匂いだ。だって好きになっちゃうだろ、こんなの。
「……えっと。その、ね。つまり、これからも一緒にいてください、アキト」
――ちゅっ。
突然の柔らかい感触がおれに襲い掛かる。
「うへっ!?」
「えへへ、初めて自分から告白しちゃった。返事はまた今度でいいからね、それじゃまた今夜っ」
くるりと踊るように身を翻しながら、夕暮れを置き去りにするように八剱宙は去っていってしまった。
こうしておれの、彼女のいる楽しい高校生活が始まったのである。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
現在はこの他、
『昔から何でも話してくれた幼馴染にある日突然「昨日、彼氏ができたんだよね」と言われ、クラスの女子に泣く泣く相談したら幼馴染の彼氏の幼馴染と付き合うことになった。』
というラブコメと、
『無感の花嫁』
という異世界恋愛小説を書いていますので、そちらもよろしければぜひご一読ください。
改めてありがとうございました!