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 お(きり)襟巻(えりまき)を引き合わせて、

「どないでもな、こない(かあ)はんを持ちやはったよって、赤ちゃんは不幸せどす。……健やかにはよう育ちしいへんやろ。風船を買うのやかて、大きうなれば読み書き手習いしはるやろう思えば、前にお拝みした北野の天神はんで買うてきまっせ。歩くようにもならはるか。ひょっとして誕生日を過ぎんで死なやはりでもしたら、(さい)河原(かわら)へ行かはるやろ。やからな……お地蔵様を拝むのだっせ。かわいがってくれはるように。……そしたら風船屋のお爺はんがお念仏を言やはって、(あて)、嬉しいやおへんか」

 そんなことを、平気な顔で言う。

 清之助はあしらいかねた。たしかにさっきのフナ売りにもぎょっとさせられたが、お桐の言うことはそれにも増して度を超した酷さで、黙ってはいられぬところだった。とはいえ、この雑踏のなかでとやかく言って済まされることではない。

「お桐さん」

 と、改めて呼びかける。

「はい」

 お桐のほうは、たった今自分が言ったことばを忘れたように、すっきりした顔をしている。

「もうちょっと静かな場所を歩けないだろうか」

「ああ、あんたも静かなところが好きどすか」

「こう人に()まれてはやりきれない。これなら谷底のような場所のほうがましだよ」

「もうちょっと辛抱おしやす。しばらくはな、西へ行っても東へ行っても、(おな)いようにきつうおっせ」

 お桐の返事を聞きながら仕切りの綱をたどっていた彼は、その綱が尽きた(くい)の先にある丁字路(ていじろ)の正面に立っていた、巡査の顔に行き当たった。

 (ひげ)を生やしてはいるが柔和(にゅうわ)な巡査で、まるで舞台の若旦那(ぼんち)役がするような軽い足どりで足踏みをしながら、にこにことしている。……いや、所変われば品変わるというもので、芸者連れなんかで歩いていたら、東京ではビクッとするほどどやしつけられるのだが、この地の巡査はポケットから煙管(きせる)を覗かせている。

 足を止めて物珍しく眺めていると、

「わっ」

 と大声で(おど)かしてくる、女の声がした。

「おや、どこに出かけるんだい」

「どこへもないもんや。あんたはんが行方知れずで迷子になってしまやはったで、見なはれ、皆が連れ立って(かね)太鼓で探しに出たところだっせ、ほほほ」

 と大声で笑った女は、緋縮緬(ひぢりめん)前垂(まえだ)れを挟んだ帯のあたりでパンと手を打った。彼女は清之助が泊まっている、木屋町(きやまち)旅籠屋(はたごや)の、元気のいい年増のぽっちゃりとした女中である。その他にも三人ばかり、見覚えのある同輩たちが連れ立っていた。

 まだ梅も咲かず、正月も過ぎたこの時期は、宿泊客も少ない。宿屋もひまで、手の空いた女中が御堂へ参拝するのだろうとは理解できたが、赤い前垂れ姿が、清之助には不可解に思えた。彼女らは、仮装や盛装で寺社へ詣でる、おばけと呼ばれる京の節分行事の最中なのである。

「どうした、お(はかま)姿で着飾ったりなどして?」

「これかいな」

 と、慣れない手つきでつかみ上げて、

「ばけたのだっせ、仲居(なかい)はんに。……昨夜(ゆうべ)あたりも万亭(まんてい)大嘉(たいか)でお見やしたやろ。……あんたはんに御馳走(ごちそう)え」

 他の若い女中たちは、おとなしくにこにこしている。

「御馳走といえば、それどころじゃないんだ。……実はね、どこかそこいらから電話で伝えようと思ってたんだよ。少し話していたとおり、今夜京都を発つんだが、これからまだ見物を続けて、宿でゆっくり食事をしてると、汽車の時間が迫ってしまう。だから私の部屋に散らかしてあるものをひとまとめにして、(かばん)に突っこんでおいてくれないか。大事なものは一つもない。いつものお前さんらしく、適当にやってくれればいいさ」

「あないなこと言いやはる。どもならんえ」

 と大丸髷(おおまるまげ)の頭を振ったが、

「言いやはるな、わかっておすがな。お江戸はんなんかに指図は受けんえ。そないなことは先刻承知や。ちゃっと若旦那(ぼんち)から電話があったえ」

 と胸を叩いて言う。この若旦那(ぼんち)というのは清之助を京見物に招いてくれた友人のことで、この(たび)はお桐を案内役に付けたことをはじめ、諸事万端を仕切ってくれたのだった。

「そしたらどうどす、これから嵯峨(さが)へ行かはるか。……もう行かはったか」

「まださ」

若旦那(ぼんち)はあんたが、北野から二条へ戻って、嵯峨へ行かはると、こない言うてどしたえ。ちゃっとしやはらんと遅いがな、どないなもんえ」


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