八
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お桐は襟巻を引き合わせて、
「どないでもな、こない母はんを持ちやはったよって、赤ちゃんは不幸せどす。……健やかにはよう育ちしいへんやろ。風船を買うのやかて、大きうなれば読み書き手習いしはるやろう思えば、前にお拝みした北野の天神はんで買うてきまっせ。歩くようにもならはるか。ひょっとして誕生日を過ぎんで死なやはりでもしたら、賽の河原へ行かはるやろ。やからな……お地蔵様を拝むのだっせ。かわいがってくれはるように。……そしたら風船屋のお爺はんがお念仏を言やはって、私、嬉しいやおへんか」
そんなことを、平気な顔で言う。
清之助はあしらいかねた。たしかにさっきのフナ売りにもぎょっとさせられたが、お桐の言うことはそれにも増して度を超した酷さで、黙ってはいられぬところだった。とはいえ、この雑踏のなかでとやかく言って済まされることではない。
「お桐さん」
と、改めて呼びかける。
「はい」
お桐のほうは、たった今自分が言ったことばを忘れたように、すっきりした顔をしている。
「もうちょっと静かな場所を歩けないだろうか」
「ああ、あんたも静かなところが好きどすか」
「こう人に揉まれてはやりきれない。これなら谷底のような場所のほうがましだよ」
「もうちょっと辛抱おしやす。しばらくはな、西へ行っても東へ行っても、同いようにきつうおっせ」
お桐の返事を聞きながら仕切りの綱をたどっていた彼は、その綱が尽きた杭の先にある丁字路の正面に立っていた、巡査の顔に行き当たった。
髯を生やしてはいるが柔和な巡査で、まるで舞台の若旦那役がするような軽い足どりで足踏みをしながら、にこにことしている。……いや、所変われば品変わるというもので、芸者連れなんかで歩いていたら、東京ではビクッとするほどどやしつけられるのだが、この地の巡査はポケットから煙管を覗かせている。
足を止めて物珍しく眺めていると、
「わっ」
と大声で驚かしてくる、女の声がした。
「おや、どこに出かけるんだい」
「どこへもないもんや。あんたはんが行方知れずで迷子になってしまやはったで、見なはれ、皆が連れ立って鉦太鼓で探しに出たところだっせ、ほほほ」
と大声で笑った女は、緋縮緬の前垂れを挟んだ帯のあたりでパンと手を打った。彼女は清之助が泊まっている、木屋町の旅籠屋の、元気のいい年増のぽっちゃりとした女中である。その他にも三人ばかり、見覚えのある同輩たちが連れ立っていた。
まだ梅も咲かず、正月も過ぎたこの時期は、宿泊客も少ない。宿屋もひまで、手の空いた女中が御堂へ参拝するのだろうとは理解できたが、赤い前垂れ姿が、清之助には不可解に思えた。彼女らは、仮装や盛装で寺社へ詣でる、おばけと呼ばれる京の節分行事の最中なのである。
「どうした、お袴姿で着飾ったりなどして?」
「これかいな」
と、慣れない手つきでつかみ上げて、
「ばけたのだっせ、仲居はんに。……昨夜あたりも万亭や大嘉でお見やしたやろ。……あんたはんに御馳走え」
他の若い女中たちは、おとなしくにこにこしている。
「御馳走といえば、それどころじゃないんだ。……実はね、どこかそこいらから電話で伝えようと思ってたんだよ。少し話していたとおり、今夜京都を発つんだが、これからまだ見物を続けて、宿でゆっくり食事をしてると、汽車の時間が迫ってしまう。だから私の部屋に散らかしてあるものをひとまとめにして、鞄に突っこんでおいてくれないか。大事なものは一つもない。いつものお前さんらしく、適当にやってくれればいいさ」
「あないなこと言いやはる。どもならんえ」
と大丸髷の頭を振ったが、
「言いやはるな、わかっておすがな。お江戸はんなんかに指図は受けんえ。そないなことは先刻承知や。ちゃっと若旦那から電話があったえ」
と胸を叩いて言う。この若旦那というのは清之助を京見物に招いてくれた友人のことで、この度はお桐を案内役に付けたことをはじめ、諸事万端を仕切ってくれたのだった。
「そしたらどうどす、これから嵯峨へ行かはるか。……もう行かはったか」
「まださ」
「若旦那はあんたが、北野から二条へ戻って、嵯峨へ行かはると、こない言うてどしたえ。ちゃっとしやはらんと遅いがな、どないなもんえ」