七
七
「へい、お許し」
と車夫が一人、お桐の脇をすりぬけて、二人の舞子に添って行く。……地蔵堂が近くて下乗となるので、この先は俥では行けないようだ。
群衆にまぎれて足もとがおろそかになっていた清之助は、自分の下駄がカタカタと鳴って初めて、石橋のたもとを踏んでいることに気づいた。東京でいえば根岸で見かける橋のように、溝の上に掛かっている。
それを渡ると土手になって、わびしげな家が五、六軒並んでいた。なかに何か隠れてでもいそうな小家である。やがて紅梅もちらちらと咲くだろうし、蚊遣を焚く季節になれば、燃え立つような緋縮緬を着た遊女が、夕闇のなか、白塗りの顔を覗かせるのかもしれない。家々がある以外は水田が広がり、吹き止んだ風のなごりが、どんよりと砂煙をためた空気を透かして、ところどころが深くえぐれたような陰影を刻んでいるのだが、空は朗らかに蒼い。空を映した水田は、昼間の月の光が漏れだすように刈り稲の根もとを輝かせている。
壬生寺の堂の屋根は群集の上に、御輿のように顕れた。
清之助も饒舌なほうだ。……お桐も、もの静かなのは生まれつきだが、今日はおのぼりの案内役に徹していて、裾っぱしょりの勢いとまでは言わないが、なりふり構わず話し続けている。人混みに揉まれながら寺の裏門をくぐったが、堂の正面までまっすぐに行けるようにも思えない。
自分が踏んでいる敷石も見えないほど、ぎっしりと連なった人混みのなかで、鳩が立ちつくしたような恰好のまま、すれすれに顔を近づけて、お互いにほっとため息をついた拍子に目を合わせた。
「お堂に上らはるかいな」
と、呆然とした表情を浮かべる。
「いや、神様には勘弁してもらって、ここから拝もう」
「堪忍おしやすや」
と、お桐は襟巻を外して片手拝みをする。拝んだその手にぶつかっていく人もいるほどの混雑である。
カチカチ、バタバタと、猿芝居の拍子木が聞こえる。
何かの興業の木戸番が、台に飛び乗った。この地でも変わらず、活動写真は繁盛しているようだ。
「ちょっと……待っておくれやすや」
と、なよやかに掛けた襟巻さえ重そうに袖を持ち上げたままのお桐が、するりと横手へ身を移した。するすると裾をさばいた身ごなしにもかかわらず、裾先の乱れを見せない。すらりと背丈が伸びたような後ろ姿を見せながら、そこに店を出した風船屋の前にたたずんで、すこし屈み腰になって肩をすぼめると、内側で持ち上がった帯が曲線を作る羽織の背の品の良さには、若い貴婦人といった趣があり、なおかつ華奢な母親の物腰をも感じさせる。
こんな雑踏のなかで思い出すのもいかがなことかと思うが、お桐は赤ん坊を産んで、産後の肥立ちをようやく終えたばかり。稼業のほうも出たり休んだりで精を出していたわけではないから、清之助の案内役にはもってこいの立場だった。先ほどから彼がお桐の疲れをしきりに気にしていたのも、そんな彼女の容態を気遣っていたからである。
お桐は、紐の先に浮かんだ風船を見上げて、その色を選ぶのにさえ、
「どれがようおすやろ」
と、外套の下で懐手をして立っている清之助に聞いた。
「紫のがきれいだ……欲しいね」
「いややわ、赤ちゃんのえ。あんたにはあげへん」
と微笑みながら、細い黄金の鎖を軽やかにたぐって、帯の間から気取った紙入れを引き出したが、出てきたのが大きな銅貨だったのが可愛い。
「はい、はい、ありがとうございます。……南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
と、風船売りは、目が塞がらんばかりに笑みをうかべる。あごにちょんぼりと白い髯を生やした面長な老人で、頭巾をかぶっていた。
まるで歌枕の深草の里からやってきたような翁である。その趣は受け取ったが、ちぐはぐな念仏がちょっと可笑しい。
「なんであんなこと言うんだろう。子どものおもちゃを売ってるんだから、バンザイとでも言ったらいいのに。日の丸の旗でも振ってさ。お念仏とは陰気じゃないか」
どことなく元気のないお桐の様子を見た清之助は、通行を仕切る綱に添って歩きながら、門を出たところでそんな軽口を言ってみた。
お桐はにこりともしない。
「あのなあ、私らが赤ちゃんやけ、拝んでくれやしたほうがいいのどすえ」
「私らが赤ちゃんって、どういうことだい?」
と、清之助は真顔で聞き直す。彼の額の上には、紫の風船がポンと浮かんでいる。