表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/31


(あて)な、誰にも来てもらわずに、ひと月ばかり箱根にいたのどすえ。ちと()うなったところで、山道に出て歩いた、坂も上ったのどす……」

「歩いたって言っても、山は駕籠(かご)で登ったんだろう」

 と清之助は下駄の先で、落ちた竹の皮をのけて進む。

「酔うけんな、駕籠には乗らへん。(あて)、馬に乗ったえ」

「馬に」

「あきれやしたか、おてんばどすやろ」

 と、後れ毛をちょっと()く。

「たしかにそりゃおてんば……だが、しかしそりゃ、よく乗ったね」

「それがな、なんどす、ふらふら歩いてるうちに、ほかの宿屋に泊まっていやはった西洋人と知り合いになったのだっせ。その人が馬を持って来なはった。乗れ、乗れ、言やはるけ、(あて)、乗ったんえ。西洋人は大きな帽子かぶってな、手綱(たづな)()いてくれはって。おとなしい馬だしたえ、それでな、(さい)河原(かわら)いうところへ行った。……寂しい、寂しいところやえ」

 と言って、お(きり)はあたりを見回した。京の人々は、そんな二人の会話とはなんの関わりもなくぞろぞろと、まるで茶がゆを()き込むような早足で()()っている。

(あて)恐怖(こわ)うおしたえ。賽の河原のお地蔵様をな、一心に拝んだ。……ああ、壬生(みぶ)はもうじきだっせ」

「地蔵様を拝んだのはいいけど、それ見たことかだ」

 と、清之助は、目指す壬生寺はあの辺りかと、視線を前に向ける。

「馬に乗ったって威張(いば)ってみたところで、やっぱり弱虫にちがいないじゃないか」

「そうやかて賽の河原に、西洋人とたった二人ほかいいへんもの……(あて)、思うたんやえ。ま、死んで、好いた人はんと二人なら……と。賽の河原どすやろ。馬に乗ってしょんぼりと、病み上がりどすやろ。芝居でよう見る引き回しの刑のようやおへんか。長襦袢も(あお)うおした。ああ、好いた人のためやいうて、なんぞ罪を犯したことで殺されるのやったら、嬉しおしょうと思うたのどす」

 そう言ったお桐の細い手に、肩をつかまれた清之助が、ふとその横顔を見ると、鼻筋がすっと通って、(びん)の毛も静かに()っている。風は()んでいた。しかし吹きさらされたあとのお桐の顔色は、(ろう)のように白かった。

 清之助は話題を()らしたくなって、

「しかし惜しかったね。病気で途中下車とは。……東京が見せたかったよ」

「いえ、またな、二度目にな、今度は東京に行きましたえ」

「ああ、そうなのかい。で、どこに泊まったんだ」

築地(つきじ)いうところで、水明館(すいめいかん)

「そりゃなかなか渋い宿だ。どうだい、気に入ったかい」

「…………」

「ずいぶん騒々しかったろう。こっちと違って。それが名物さ」

「どうや知りへんけど、静かな、いい宿屋だっせ」

「宿じゃなくて、町なかのことさ」

(あて)、どこも見いへんもの」

「なぜさ」

「また(わずら)って寝たのどす」

「また病気だと……」

 と、思わず聞き返した。

「旅するとな、西へ行っても東へ行っても、あきへんのえ。神戸(こうべ)へ行ったときもな、そのときはきつうおして、病院へ入ったのどす。……いつもぶらぶら(やまい)で……こない身体(からだ)どうなるやろな。あの茣蓙(ござ)に並んだフナみたいだっせ」

 とそのとき、急に気づいたように振り返って、キッと見たお桐の目が鋭かった。

「姉はん、お(おが)み」

「こんにちィは、姉はん」

 舞子が二人、天の川の金魚のように、薄曇りの空の色に映えて、きらびやかにおじぎをした。

「おお、おでやしたか」

「あい」

「ようお拝みや」

「あい」

 と、またおじぎをして、襲袖(かさねそで)の長い振りと帯をひらひらさせて、木履(ぽっくり)の音も高らかにすれ違って行く。

 お桐は静かにそちらに向き直って、

種次(たねじ)はん、玉菊(たまぎく)はん、髪がよう出来たえ」

「おおきに……姉はん」

「お桐はん、おおきに……」

 と、ちょっと振り向いて、赤い(えり)(なま)めかしく見せながら、二人はにっこりとえくぼを浮かべた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ