六
六
「私な、誰にも来てもらわずに、ひと月ばかり箱根にいたのどすえ。ちと快うなったところで、山道に出て歩いた、坂も上ったのどす……」
「歩いたって言っても、山は駕籠で登ったんだろう」
と清之助は下駄の先で、落ちた竹の皮をのけて進む。
「酔うけんな、駕籠には乗らへん。私、馬に乗ったえ」
「馬に」
「あきれやしたか、おてんばどすやろ」
と、後れ毛をちょっと搔く。
「たしかにそりゃおてんば……だが、しかしそりゃ、よく乗ったね」
「それがな、なんどす、ふらふら歩いてるうちに、ほかの宿屋に泊まっていやはった西洋人と知り合いになったのだっせ。その人が馬を持って来なはった。乗れ、乗れ、言やはるけ、私、乗ったんえ。西洋人は大きな帽子かぶってな、手綱曳いてくれはって。おとなしい馬だしたえ、それでな、賽の河原いうところへ行った。……寂しい、寂しいところやえ」
と言って、お桐はあたりを見回した。京の人々は、そんな二人の会話とはなんの関わりもなくぞろぞろと、まるで茶がゆを掻き込むような早足で往き交っている。
「私、恐怖うおしたえ。賽の河原のお地蔵様をな、一心に拝んだ。……ああ、壬生はもうじきだっせ」
「地蔵様を拝んだのはいいけど、それ見たことかだ」
と、清之助は、目指す壬生寺はあの辺りかと、視線を前に向ける。
「馬に乗ったって威張ってみたところで、やっぱり弱虫にちがいないじゃないか」
「そうやかて賽の河原に、西洋人とたった二人ほかいいへんもの……私、思うたんやえ。ま、死んで、好いた人はんと二人なら……と。賽の河原どすやろ。馬に乗ってしょんぼりと、病み上がりどすやろ。芝居でよう見る引き回しの刑のようやおへんか。長襦袢も蒼うおした。ああ、好いた人のためやいうて、なんぞ罪を犯したことで殺されるのやったら、嬉しおしょうと思うたのどす」
そう言ったお桐の細い手に、肩をつかまれた清之助が、ふとその横顔を見ると、鼻筋がすっと通って、鬢の毛も静かに添っている。風は止んでいた。しかし吹きさらされたあとのお桐の顔色は、蝋のように白かった。
清之助は話題を外らしたくなって、
「しかし惜しかったね。病気で途中下車とは。……東京が見せたかったよ」
「いえ、またな、二度目にな、今度は東京に行きましたえ」
「ああ、そうなのかい。で、どこに泊まったんだ」
「築地いうところで、水明館」
「そりゃなかなか渋い宿だ。どうだい、気に入ったかい」
「…………」
「ずいぶん騒々しかったろう。こっちと違って。それが名物さ」
「どうや知りへんけど、静かな、いい宿屋だっせ」
「宿じゃなくて、町なかのことさ」
「私、どこも見いへんもの」
「なぜさ」
「また患って寝たのどす」
「また病気だと……」
と、思わず聞き返した。
「旅するとな、西へ行っても東へ行っても、あきへんのえ。神戸へ行ったときもな、そのときはきつうおして、病院へ入ったのどす。……いつもぶらぶら病で……こない身体どうなるやろな。あの茣蓙に並んだフナみたいだっせ」
とそのとき、急に気づいたように振り返って、キッと見たお桐の目が鋭かった。
「姉はん、お拝み」
「こんにちィは、姉はん」
舞子が二人、天の川の金魚のように、薄曇りの空の色に映えて、きらびやかにおじぎをした。
「おお、おでやしたか」
「あい」
「ようお拝みや」
「あい」
と、またおじぎをして、襲袖の長い振りと帯をひらひらさせて、木履の音も高らかにすれ違って行く。
お桐は静かにそちらに向き直って、
「種次はん、玉菊はん、髪がよう出来たえ」
「おおきに……姉はん」
「お桐はん、おおきに……」
と、ちょっと振り向いて、赤い襟を艶めかしく見せながら、二人はにっこりとえくぼを浮かべた。