表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/31


 サッと音を立てると、風は二手に分かれて、砂煙を巻いて、大地を舞って、真っ赤なひざ掛けに吹きつける。ざらつく(きり)をくぐり抜けて宙を舞うように、疾走する人力車が停留所(ステーション)に乗りつけた。座席でひざ掛けに包まれた女は、深くうつむいている。

 もうひと筋の風は、ガラガラと小石を崩す急流のように、お(きり)(すそ)を吹き払ってぶるぶると震わせ、たおやかな姿態にまといつくと、生え際を乱して、眉をかすめたおくれ毛が、今度はしなって意地悪く耳たぶにかかる。ぎゅっと(そで)を引き合わせながら、吹きつける風のほうに顔を向けて、(りん)と見開いた瞳は、そのときひときわ清々(すがすが)しかった。

 袖も(すそ)も、その身体にぴったりと張りついて、身八ツ口からは白い襦袢(じゅばん)が覗き、友禅染の絵柄も切り裂かれたかのように見える。そんな風に吹かれながら、

「ちょっと……」

 と清之助に呼びかける。……向こう風のなかで声をかすらせながら、じりじりと彼に肩を寄せた。

 京都では以前から、星のしずくが(みぞれ)になるような厳しい冷え込みはあるにせよ、こんな突風が吹くことはなかったはず。しかも今日の日中は、四条も三条も電車道もすっかり()いでいて、天守から鶴が飛び立つ瑞兆(ずいちょう)が見られそうな空模様だったのに。――

 清之助は、あらゆるものが強風にさらされたこの光景を見るにつけ、心が痛むばかりだった。というのも、江戸の名物のからっ風を自分が連れてきて、この地にぶちまけて迷惑をかけているのではないかという気がしたからである。そんななかで呼びかけられて、これはおそらく苦痛を訴えられるのだろうとぎょっとしていると、お桐は彼の耳もとに口を近づけて、

「言うてみましょかな、ほほほ」

 と、にっこりする。(ほこり)にめげることなくほころびた唇は、焼け野原に咲く一輪の紅梅である。

「今の、フナ売りな」

「ああ」

「鬼……にそっくりえ」

「まったく」

 向かい風に逆らってぐいっと前に進むために、身体に力を込めていた清之助は、そう言われてお桐の顔を見た。先ほどふと気づいた彼女の目もとの(かげ)りは、どうやらよりいっそう濃くなった気がする。

(あて)な、恥ずかしおしたえ」

 と言いながら、()えられないといったふうに(うわ)まぶたを伏せて、

「あなたはん、(きつ)うご迷惑どすな、(あて)のようなもんといしょに歩かはって」

 と、真っ白な指の先で、襟巻(えりまき)の襟もとを寄せ合わせた。

「とんでもないことを言うね」

 と言ったきり、目や口にぶつかる砂のせいで、清之助はろくに口もきけないでいる。それからしばらくの間は、二人はただ広野(ひろの)のなかを歩いているかのようで、()き交う人々の姿も目に入らなかった。青い空が動かないのと同じように、風が吹いてもびくともしない青い停車場(ステーション)が左手に見えたときは、京都とはいえど、やはり同じ人間の暮らす街だなと感じられた。けれどもこの風が吹いていく先には、きれいな水が流れる、(しん)と静まりかえっているのだろう、神秘的な嵯峨野(さがの)の風景があるのである。……

 しばらく歩くと、片方だけに家並みが並ぶ、いわゆる片側町の通りにさしかかる。もう片方は寺の墓地で、まばらな垣根は風を吹き抜けさせるばかりだが、向こうに見える一軒の石屋が、その風を受けとめていそうで頼もしく思える。

 ここまで来ると、ぞろぞろと人が湧いて、頭も足もくらくらする。……(えり)もとに手拭いをひっかけて、酔っているのか寒いのか、赤い顔をして、白木綿(しろもめん)の着物を尻ばしょりして行く婆さんの姿が、まるで野遊びの行楽に出かけるようで、のどかに見える。

「くたびれはしないかい」

(あて)のことだっか」

「ちょっと足もともふらついているようだし」

「あんたもな。(あて)やかて、そない弱虫やおへんえ。あのな、箱根のな、坂を登ったこともありましたえ」

「ああ、箱根に行ったのか。それは初耳だ」

「東京へ行く言うて、お客はんに連れられて行ったえ。汽車が(なご)う長うおすやろ。よう寝られしいへん。具合が悪うなったよって、途中で下りて。そのときだっせ……箱根に着くと、すぐな、その夜から(わず)ろうてな、起きることもどうすることもなりへんやろ。連れのお客はんはな、東京に用があるのどす。(あて)ひとり置いて、さっさと()なはった。

 京都へ電報を打て言やはったけれど、(あて)な、一人でいるほうが気安いよって」

 と、ちょっと軽い(せき)をする。……持ち上げた(そで)の振りから覗いた襦袢(じゅばん)の白さが寂しかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ