四
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そんな厚化粧の芸子が、白い内着を返し襟にして真紅の襦袢を見せている。乳のあたりまで襟をはだけた抜き衣紋で首を突き出し、漆を塗ったような島田髷の左右に簪を挿して、紅白の葛引きを飾っている。
これはいったい……と清之助は驚いたが、お桐のほうはどうやら顔見知りらしく、ニヤリと笑って、眉をピクンとさせる。俥はそのまま人混みのなかを縫うように走り、往来の真ん中を、うねりながら四、五台が続く。――なかには日傘を差した丸髷の女も交じっていたようだが、先頭にいた羅生門の鬼女のような女に度肝を抜かれて、続いた妖怪一行の姿はよく見なかった。……
「お桐さん、あれはなんだ?」
「おばけどす」
「えっ」
と言って、ちょうど足を止めたそのとき、例のフナ売りの額が目の前にあった。そんな事情でせんかたなく、大入道の店先に突っ立つことになったのである。
あまりにも相手の鼻先に顔を近づけすぎて、そのまま、さようならをすることもできない。見る気も起きない茣蓙の上をぼんやりながめると、魚が重なりあってぴくぴく動いている。
優しいお桐は、おのぼりさんはフナを見物するものだと勝手に了解したようで、すなおにいっしょにたたずんでいる。そんな姿を深読みすれば、貧乏長屋の若妻が、かいがいしく料理にいそしむ姿を想像できなくもない。
フナ売りの入道は、黙って茣蓙の上に置かれた竿秤の紐を手に取ってぶら下げると、目盛りの分銅をスッと横にずらして、カチリと止める。きちんと水平になったところで、眼鏡の太枠の上で眉を八の字に寄せると、白目が目立つ上目づかいで、二人をじろりと見た。
そんな男の顔や図体は……はて、誰かに似ている。そう、思い出すまでもない。……清之助がつい昨日か一昨日に、道ですれ違ってそれだと聞いた、祇園新地を横行する鬼なんとかという幇間にそっくりなのだ。
なんだかいやな気分になって、すぐにどぶ板を離れよう押したが、やけにじろじろと見つめる入道の眼力によって、その場から動けなくなった気がした。
片目でぐいっとにらみをきかせて、そちらはカッと見開いたまま、もう一方の目を閉じて、うむ、と狙いを定めると、また竿秤をいじりはじめる。分銅の目盛りを一匁までずらすと、じろり。二匁までずらして、じろり。三匁までずらして、またじろり。一気に端までずらすと、いきなりガチャッと竿秤を茣蓙の上に放り出す。と、その手をそのまま……。
ズブリと蠢きあう魚のなかに突っこんだ。生臭い臭いをプンとさせながら、ぐしゃぐしゃと掻き回したのである。……無残にも、鱗と鱗がこすれあって、ザッと通り雨が降るような音を立てる。魚にしてみれば各々の生まれ故郷の湖を思いながら、うめき声でもあげたいところだ。釣った魚の大きさは大げさに言うのが相場だが、誇張するのも無理なほど小さいとしか言えない、人さし指くらいのフナがひらりと跳ねて、茣蓙の上から落ちそうになって、ぐったり動かなくなる。もう一尾、みごとな一尺ばかりのフナが底のほうからつかみ出されると、ピクリと脈を打つように身を震わせて、ひく……ひく……と、まだ張りのありそうな皮を突っ張って痙攣する。体液が滲み出たように、鱗にパッとつやが浮かんで、真っ黒な鰭が紫がかって、えらが金色に光った。つるつると小太りしたそのフナは、あの可愛らしい濡れ色の目を見張っているが、目のまわりには血が滲んで、赤い輪を描いている。
入道は、大きな出刃包丁をひっくりかえすと、その背でフナの鱗をサッと逆なでしてみせる。
清之助はたまらずその場をあとにした。
その背後から入道は、
「ヘッ、ヘッ、ヘッえ」
と、気味の悪い白昼の高笑いを浴びせかけて、
「切り売りもするんだでえ、ヘッえ、切り売りもするんだでえ」
と吐き出すように言う。なんとも嫌な声だ。
お桐がこれを、好かん、と一言で切り棄てたなら、清之助もあっさり忘れることができただろう。……
ところが、いったんは逃げるような急ぎ足でその場を離れた彼が、立ち止まって彼女を待っていると、そこにお桐が静々と近づいてきて、
「あのな、気にしやはりますなえ」
と、期待に反して慰めるように優しく言った。そんな彼女の顔色は白ずんで、寂しく曇って見えたのである。――二条の停車場は近かった。
駅前の広場からは、ところどころ見通しのきく野原の先の田圃に、骨のような枯れ木が見えて、それがカチカチと鳴る音が聞こえそうなほど、騒がしく風が吹いた。