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「変な感じがするな。音も立てずに素知らぬ顔で、お前さんの頭の上をついてくるんだから。足もないくせにさ」

「あら」

 と目を見開いて、

「風船に(あんよ)があっていいものだっか。薄暗(うすぐろ)うならはって、糸がよう見えんによって、ほんに青い球ばかり浮いてますえな」

 と、清之助の軽口を真面目に受けとめる。

「だからね、なんだよ。お前さんの名前の(きり)の花が咲いて、そいつが幻のように、(かんざし)から後光でも射すように現れたのかと思ったよ。……そんなこともあろうほどに、お美しくていらっしゃる」

「まあ、あほらしい、(あて)がどうして……」

「本当さ」

「いい気になりますえ、ほほ。ほら、そんなとこ覗きやはっても、フナは売っていやしまへん。ほほほ」

 と、ちょっと(はす)()な笑みをうかべる。

 橋を渡り切った先の、向こう通りの両側は、皆、きれいな店で、人形の顔をちらりと覗かせる店もあれば、清水焼(きよみずやき)であろう、大花瓶(おおかびん)を目にも美しく五彩に輝かせている店先もある。そのガラス戸のなかには(かご)ランプが点いていた。そうかと思うと、薬屋だと思われる看板の金文字をきらきらと暗い(のき)に光らせている店もあった。それから、娘らしき人影が、奥の間とを隔てた暖簾(のれん)から、ぼんやりと戸外(おもて)を覗いていた店も。

 そんなふうに清之助は、物珍しそうに通りがかりのあちらこちらをきょろきょろと見回していたのだが、一足遅れについてきたお(きり)は、時折後ろから笑い声を浴びせては、そこでもフナは売っていない、とからかう。

 お桐が言うフナには、ちょっとわけがあった。

 清之助はお桐の案内で、北野から壬生(みぶ)を歩きまわり、電車で大回りをして先ほどの松原小橋までやって来た。その、最初に参拝をした、北野天満宮(きたのてんまんぐう)を出たときまで話はさかのぼる。


 北野から壬生寺(みぶでら)の地蔵堂へと歩く間、事前に取り決めていたわけではないのだが、お桐のほうから率先(そっせん)するかたちで、二人で並んで歩いていた。

 途中、どこかの小路(こうじ)で、フナを売っている一人の男がいた。若い娘さんが緋色(ひいろ)(はかま)をはいて売っていたというのなら驚きであるが、魚屋がフナを売っていたのだからなんの不思議もない。けれどもその売っていた場所が、両側にある商家の羽目板が、どちらだったか二、三枚ひんめくれて、壁が崩れかけた只中(ただなか)で、しかも大きなどぶ板が前にある。家と家の間の路地口の木戸にくっつけて置かれた二つの(ざる)茣蓙(ござ)をかぶせた上に、水から上げたばかりでぴちぴちと跳ねている生きたフナがずらりと並べられていた。

 金物屋……古着屋……荒物屋……など、どれも平屋造りの低い家が、道から一段下がったような土地に、先述の大どぶの向こう側にぐったりとした印象で並んでいるのだから、ここは場末と呼ぶにふさわしい場所なのだろう。

 そんな雰囲気のなか、澄みわたった……ならばいいのだが、どんよりとした空の下で、目にしたのがフナ売りの露天商である。

 そもそも今日は節分である。……旧暦の年越しだというので、北野から壬生(みぶ)にかけて、京の都は老若男女の参詣客(さんけいきゃく)でにぎわっている。神社の境内は言うまでもなく、道筋のところどころでも商いをする者が多い。……東京でも縁日の露店となれば、植木屋の照明を拝借した薄暗い地面という、いかにもな場所にしゃがみこんだおじさんが金魚を売っていたりするものだが、このフナ売りもそれと同じようなものだろう。

 とはいえ、このフナ売りは、図体からして金魚売りとは違う。のっそりと背が高く、禿げ頭が木戸の高さを超えるほどで、そんな(ふと)った大男が下駄をはいて突っ立ったところは、妖怪見越(みこ)入道(にゅうどう)といったところである。……あろうことか、のぼせあがった頭に(うし)鉢巻(はちまき)を巻いて、そのうえ、眼鏡屋の看板に描かれているような州浜形(すはまがた)の眼鏡をかけている。

 なんとも珍妙な光景である。とはいえ清之助は、特別に興味を惹かれていたわけでもなかった。しかし、ちょうどフナ売りの前を通りかかったとき、背後(うしろ)から地響きがして、声もかけずに人力車の一群ががらがらと迫ってきた。

「じっとしておいでやす。車夫の衆がよう()けはるよってな」

 そんな注意をしてくれたのも、今が初めてというわけではない。(くるま)が頻繁に()き来するので、道すがらお桐が言って聞かせていたことである。それを清之助は、ふらふらとしたおのぼりさんらしく、慌てて飛んで避けると、通りの端のぎりぎりに身体を斜めにしながらこらえていた。そんな体勢になりながら、ひょいっと車上に目をやると、行進の先頭を走る俥に乗っていたのは、こざっぱりとした紋付の羽織を着た女だったが、その顔にはびっくりするほど白粉(おしろい)が塗りたくられている!……異性を意識する年ごろになって以来、京の女は色が白いと聞かされてはいたけれど、その顔の白さは想像を超えている。……同じ芸子でもお桐のほうは化粧っ気もないというのに、これはいったいどうしたことか。目蓋(まぶた)はぱっと鮮やかな紅色で塗られて、風に吹かれた(ほお)(しわ)が目立つばかり。そのうえ、あごをしゃくらせた唇には笹色紅(ささいろべに)がべっとりで、勘弁してくれとでも言いたくもなる。


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