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十八

十八


「ずいぶんないたずらをしたね。私も驚いた。おお、しんどもないもんだ」

 清之助はお(きり)の顔をじっと見つめたが、もはや、ただの京美人に戻っていた。……手鞠唄の文句ではないが、一人姉さん(つづみ)が上手、という芸があり、(まい)も巧みだという。――おくれ毛をなでつけながら、『(せき)()』の墨染(すみぞめ)よろしく、橦木町(しゅもくまち)から来やんした、などと、桜の樹のなかから出てきたら、さぞかし凄みがあるだろう。いきなり悪ふざけをしても、自然と備わった所作(しょさ)が感じられて美しい。

「あんた、(あて)にばっかりびっくりしやはる。……三千歳はんのおばけのほうが、どない怖いかしれへんのえ。振袖(ふりそで)姿のお稚児(ちご)やないか。稚児(ちご)(ふち)(ぬし)が出て、産寧坂(さんねんざか)から円山(まるやま)を抜けて、祇園(ぎおん)を歩きはるんやえ。そないなもの見たら、どうおしよる」

 と、袖を合わせて歩きだした。

「そうすりゃ恋わずらいをするだろうね。……いや、相手は男装だから、私が女だったらということか。まったく綺麗なもんで、杜若(かきつばた)の幻のようだったね。

 お桐さん、――昔の江戸に、似た話があるんです。山の手の麻布(あざぶ)あたりから駕籠(かご)物見遊山(ものみゆさん)に出かけた娘が、上野の三枚橋(さんまいばし)に行った。ああ、そういえば、そこにはこの清水寺のお堂に似せて造られた、清水観音堂がある。……そのわきに秋色桜(しゅうしきざくら)といってね、お前さんが元禄髷(げんろくまげ)に結った姿に似ていそうな女が、なんとかいう短冊をその枝に結んだという、有名な桜があるんだ。今度東京に来たら、案内しようね」

「行けるやろか。……祇園の鳥が、(かご)を抜けられたら飛びまっせ。鳥刺しの(さお)の先を(のが)れてな」

「そんなまだるっこいことを言わないで、すぐさまその風船に飛び乗ればいい」

「しもた!」

 善哉餅(ぜんざいもち)の看板と、薄紅(うすくれない)(つぼみ)を結んだ桃の下で、清水坂の柳のような立ち姿のお桐は、紫の風船を見上げながら言った。

三千歳(みちとせ)はんは(くるま)に乗る言うた。この風船を(うち)まで頼んだらようおした」

「手が冷たいだろう。持ってあげよう」

「大事おへん。けど面倒どすな」

「しっかり持ってなさいよ。離すと大変だ」

 ……清之助はつい大げさな口調になったのが、我ながら可笑(おか)しく思えた。じつは赤ちゃんのお土産なのをつい忘れたまま、壬生寺(みぶでら)の門を出たときに出くわした旅籠屋の女中が、おのぼりの魂だと笑ったことばかり思いだして、自分の魂がお桐の細い手につかまれているのだと、とっさに想像したのである。

「そしたらば?」

 お桐が真面目な顔をして、先ほどの続きを促す。

 清之助は話を続けた。

「……と、駕籠に乗ったその娘が、三枚橋のたもとまで来たときだ。ぞっとするほど美しい小姓(こしょう)が、すっと雲のように、駕籠の戸のそばを通っていった。……その小姓は、白菊の模様を染めた紫の振袖(ふりそで)を着てたんだ。そしてこの若い男が、のちに江戸じゅうを焼き払う通り魔だったことになるんだよ」

「はあ、あの、振袖火事の話どすか」

 驚いたことに、お桐はその話を知っていたようだ。

「そう、明暦(めいれき)大火(たいか)の話だが……ああ、知っていたのか」

「詳しこと知りへんけどな、貸本で読んだのどすえ」

「それなら本の方がずっと詳しい。私は飛び飛びに聞きかじっているだけさ。何かい、本は好きなの?」

「大好きどす。読んでもわかりはしいへんけどな。……昼間(うち)にいたら、母屋から中庭離れた、別の二階に一人でいて、小さな机置いて……壁にな、死なはった姉はんの写真飾って、そしてな、本ばかり読んどるのどすえ。……誰も来てはならん言うておく。半日あまりの間、(あて)がいるんかいんか、(うち)でも知らんことが普段どすぜ。死のう思えばそこででも、いつでも死ねるのどすな」

 と、明日のおかずの話くらいに軽く言う。

 清之助は言い返せなかった。

「あのな、その麻布の娘はんが綺麗なお小姓に逢いやはったいう三枚橋は、上野やったらここらあたりにその橋があるのどすか」

 それを聞いた清之助はぞっとした。夜の底が深くなって朦朧(もうろう)とした、地底のような暗がりから、いまも目に浮かぶ三千歳と岸勇の、あの(あや)しいまでに(あで)やかな姿がふっと湧いて、(きぬ)ずれの音を立てながらすーっと向かって来そうな気がしたのだった。

「いや……」

 と打ち消して、清之助は視線を向こうに向けた。

 山号は音羽山(おとわさん)、尊い清水寺の正門の石段が、この世の闇をおぼろに区切って、闇夜を照らす明星の下にお桐の黒髪は、たなびく(かすみ)のように(ひだ)をなし、まるで無音の(たき)が落ちるように清之助の外套(がいとう)の袖に流れていた。


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