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十七

十七


「美しい孫どもめ、その年神様(としがみさま)を止めようとして、芝居をして見せるつもりか。そこな孫どもが清水(きよみず)の舞台へ上がって、すれつもつれつ遊び回って座り込んだはいいが、見さったとおり(くら)うなったで、路が(さび)しゅうて帰られぬから送ってくれと、(わし)の念仏堂へ頼みに来たじゃ。それでぽくぽく叩いていた木魚をやめて、ここへ送ってきたじゃの。ふふふ。さて道草食うておらずに、()くござれ、えいえい」

 独り言のように言うと、杖を突いて歩きだす。

「ほほほ、みんなばれてしもうたえ、かなわん」

 と言いながらも、三千歳(みちとせ)爺様(じいさま)に手を合わせた。

「途中の円山(まるやま)をどうしおる。祇園(ぎおん)まで送られやはると大変やな」

 と、お(きり)が空の星を見ながら言う。

「姉はん、お桐姉はん」

 岸勇が口早に、

産寧坂(さんねんざか)の下にな、二人乗りの(くるま)が待っとるんえ。車夫(くるまや)さんもいやはるよって、心配おへん」

「それやったら、どうして連れて来んの?」

「そうやかて、な。車夫(くるまや)さん連れまうてお参りしたら、おのぼりはんのようやないか」

 それを聞いたお桐は、清之助の外套の袖をちょっと引っぱって、

「気をつけておくれやす。……ここにいなはるのは誰や」

 と、優しい目で岸勇をにらむ。

 いきなり引き合いに出されて驚いた清之助は、

「言ってくれるね、お桐さん。わざわざ言うのがなお悪い」

「あ、そうや」

 と、片手を胸にあてて、(えり)を引き合わすような仕草をしながら、うつむいてにっこりする。

 そのとき爺様(じいさま)が、背中をぐいっと伸ばして、(こぶし)で腰をぽんと打って、杖でトンと石を突いた。

「ええい、孫たち行かっせえ、坂の下まで見て進ぜる」

「そしたらな、あんたはん。あとで逢いまっせ」

 と、暗いなかにも(ほっそ)りとした紫の振袖(ふりそで)姿を浮かべた三千歳が言う。(えり)浅葱色(あさぎいろ)に美貌が映えて、豊かな髪の生え際に色香がただよい、清之助はまた、その姿が藤の(ふさ)のように見えたことを思いだした。……

 その、長く垂れた房のような袖から、岸勇は赤い前垂れをひらひらさせながら、蝶の羽のような手を姉から離し、どこか懐かしさを感じさせる薫りをはっと散らしたので、清之助はお桐のそれとで、前後から薫りのなかに包まれたようになる。岸勇は、見上げて大きく開いた目で流し目をして、利口そうな瞳で彼を見つめると、

「……このあいだはちょぼっとしか逢わいで、惜しゅうおしたえ」

 と可愛く言った。

 清之助は思わず、外套の袖を開いて、紋が染め残された白い空白が浮かんだ、丸い背中を抱きこむようにして、三千歳のほうを見ながら、

「いや、君たちのこともなごり惜しいが、もう東京へ帰るんだよ」

 お桐はすねたように後ろ向きになって、あらぬ方の空の上を見上げていたが、

「ちょっと三千歳はん、あんたも一度、引き留めてみておくれやす」

 と、澄ました声で言う。

(あて)ではあきまねんえ」

「そしたらな……岸勇はん……」

(あて)かて知らんえ」

 二人で花やかに笑った。夜桜が灯りで照らされらように。

「覚えておいでやす。……ああ、そないなこと言やはるなら、ほらほら、産寧坂(さんねんざか)の妖怪塩舐(しおな)め女が出やるえ」

 と、柔らかく握った両手の腹を前に向けて額に当てながら、いったん身を屈めたが、不意に二人のほうへ振り向くと、

「ががッ」

「あっ」

「きゃっ」

「えい、えい、転ぶないぞ、これ、これ。産寧坂(さんねんざか)で転ぶと最後、三年の寿命になると言うじゃ。ごほ、ごほ」

 と地を吹くような咳をした爺様(じいさま)は、

「そこな娘もいたずら者な。……これ、いたずらといえばの、(わし)が留守の庵室(あんじつ)で、また木魚を叩いて転がしてはならんぞ! しからば客人も、清水寺に参ってござれ。立春は大吉じゃ。……孫ども、待ちな」

 そう言う声が、真っ暗ななかへ消えていく。坂の石段に舞子のたてる、けたたましくもやわらかな足音が響く。

 戸の隙間を漏れる灯の光に、繊細な(びん)のほつれを見せるお桐の片頬(かたほお)は青白かった。

 抑えつけるように胸をさすって、

「思いきり勢いこんで(おど)したんえ。おお、しんど」

 と、かすかな吐息をして、寂しくほほえむ。


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