十六
十六
「清水はんへお参りやしたか。ようお参りやしたえ」
二人の振袖の裾と前垂れの端に伏し目の視線を送りながら、お桐が言った。
思いがけず、ここで出会った舞子たちが美しく化けたのを見て、わけもなく気を湧きたたせていたお桐は、もう気分を沈ませて、先刻までの氷の下の水を思う様子に戻ってしまう。
「はあ」
と言って三千歳は、連れの男が清之助だと気がつくと、自分の仮装姿を恥じらうように横を向いた。浅葱色の襟から伸びた白いうなじに、おくれ毛がごくほんのりともつれているほかは、えくぼを刻んだ頬も透きとおるようで、宵闇に月が出たかのようだ。
妹の岸勇は、手習いの子どもがふざけて墨を塗ったような濃い紅の口もとをにっこりさせると、腰を落として頭をかしげる、なまめいたしぐさで姉の袖をちょこんと握りながら、
「どないなもんや、お桐姉はん」
と、澄まし顔である。
「ほんによいお若衆はんや、うらやましゅうおすな。お姉はんをどこから連れ申しておいでやした」
と、お桐は岸勇のその姿を可愛げに、あやすようにして言った。
「稚児ヶ淵からどす、なあ」
と、姉の顔を覗き上げる。
振り向いた三千歳が、
「何言うのんや」
と、早口の裏声でたしなめて、それ以上はさえぎった。裾をふわりとさせてこちらに向き直り、細面に浮かぶ優しい目で、
「姉はんは、おばけはしやはらんなんだのか」
「化けてまっせ、お見やす……東京の奥さんに……」
あらためて清之助と肩を並べて見せた。角の家の戸の隙間を糸のように漏れてくる灯火がお桐の袖に落ちて、まっ黄色な細い霞で袖を縫い合わせた模様のように見せている。
「先夜は失礼」
と三千歳が、熨斗目の袖をひらりと翻して会釈する。若衆髷の元結いも、背中の紋もきわだつ凜々しさである。
「ああ、綺麗だね、二人とも。これは何よりもいい土産話になる。……二人っきりでお参りしてきたのかい」
と清之助は、これから姉妹がそこを下って帰っていく産寧坂が、穴のように真っ暗なのを見て尋ねたのである。
「偉いね。寂しがってないのが感心だ。怖くないのかい」
「はあ、ちっとも恐ろしいことおへん。なあ、岸勇はん」
「私らが、おばけやわな」
なぜか二人が向き合うと、顔を見合わせて、花やかにほほほっと笑った。
「ええ、ええ、ええ」
という声が、暗がりのなかからかすれて聞こえて、灯りの届かぬ坂の隅で、むくむくと身体を起こす気配がする。……声のするほうを見ると、眉、鼻、額、口のまわりに、まるで能面のようにくっきりと深く皺を刻んだ、顔の長い爺様がいた。
身をすくませ、小さく背中を丸めたうなじに、鼠色の頭巾を重なり掛けて、黒の紬の被布を着て、大きな藁草履をはいている。今まで気づかなかったのだが、少し前からそこにしゃがんでいたらしい。掛け声とともに、どっこいしょと伸ばした身体が杖の上に、二寸、三寸と伸びあがった――とはいえ、その杖からして長くはない。曲がった腰のつっかえ棒にして、胸にあてるようにしているのだから、わずか三、四尺の長さで事足りるのである。
寄る年波を漕ぐ櫂をあやつるように、軽く杖を突いてコツコツと歩むと、
「えい、えい」
とまた言って、向き合う四人の間に進み出た。世間を知り尽くした爺様は、目をつぶっても顔はわかるといった様子で誰にも目をくれず、独りでうなずき、独りで笑って、
「えい、えい、ふふふふ、怖がらないとは、よくも言ったの! なんじゃ、美しい孫どもめ。……私らがおばけやによって、夜が恐ろしゅうないとの。ふふふ、恐ろしゅうないなどあるものかい。
そこの姉孫や兄孫どのも聞かっしゃれい。老いの愚痴のようなれど、月日の経つ疾さは、疾さは!……」
と言うと、ぶるぶると頭を振って、
「もはや、木の葉が風に飛ばされるようなものじゃ。それそれと言ううちにも、今日は年越しよ、年越しよのう。年神様が、こちらの清水の舞台から真葛ヶ原へ飛ばっしゃれるような勢いじゃ。恐れ多い喩えじゃったな、はははは」
うつむいた額に手をあてると、杖が揺れるほどのくしゃみをした。