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十五

十五


「昼間に行こうとは思わんえ、月の綺麗な晩でも、闇夜でもな――そこへいっしょに連れて行っておくれやす。――そう言うて頼んでも、酒の勢いでいいように答えはる人もあるけどな、来い言うて連れて行ってくれはる人はないのだっせ。

 (あて)なら、女やからな、好いた男やったら戦争にかてついて行く。

 卑怯(ひきょう)だっせ、情がない。(かね)をやるから人を大勢雇うて行け、稚児(ちご)(ふち)へ……と、誰もがこない言やはるのどす。大江山の鬼退治の劇をするんやないえ、四天王を連れて山へ行って、どうするのだすえな。(あて)え、いやえ」

「お(きり)さん」

 と、清之助はあらためて聞いてみた。

「そして、もしいっしょに行くという男がいたら、夜中にその淵に行って何をするつもりだね」

「あの、互いが命がけの恋人なら、二人でそこで死にまっせ。でもな、(あて)など、そんなこと望んでもあかんから、そこまで送ってくれる優しい人がいるんやったら、(あて)一人が飛びこんでな、後生(ごしょう)(とむろ)うてもらいます」

「あっ、危ない」

 と、つまずいた手を取ると、お桐はそっと手を重ねて、

「恥ずかしいえ、こんなこと、あんたに話して。……帰らはったら、奥さんに言わないでおくれやすや、東京の女子衆(おなごしゅ)に笑われまっせな」

「お桐さん、じゃあ連れて行く、と言ったら、私とでもいいのかい」

「えっ、行っておくれやすか、そんならえ!」

 と、ぐいっと手を引いて、足を速める。

「いや、東京に帰って話したりすると――ちょっと話を聞いてくれないか。京都で女性から、いっしょに行ってくれないかと相談を持ちかけられた。その行きたいところがオランダ見物というわけでもなく、たかだか清水寺(きよみずでら)を越えたところなんだ。そんな話をしたら、なぜしてやれないんだと笑われてしまうだろう。けれども、なぜか私には行けない。……お前さんの言うことに納得できたわけじゃないが、この様子だと本当に淵に身を投げることになりそうだ。そうなると私の力でちゃんと止められるかどうかわからない。私がお桐さんを見殺しにすることにもなりかねない。そんなことは絶対にしたくないんだ」

「そしたらいっしょに……」

 と、ぞっとするような笑顔を見せて、お桐は振り向いた。

「死にましょうか」

「うむ、まあ、お参りをしてから考えよう」

 辺りを見ると、道の両側にはずらりと商店が並んでいたが、すでに店じまいをして表を閉ざしている。その一画が、ふと虹が立ったように明るくなった。羽目板を()れ、節穴を通る灯火の光がちらちらと坂道に流れて、狐火のように見える。

 ここは清水寺の正門へとまっすぐにつながる上り坂で、音羽山(おとわやま)の木立が城のように盛りあがって、中空(なかぞら)に差しかかる(こずえ)も尊く思える。その、天から下りてくるような坂の上からするすると下りてくる人影があった。近づくに従ってその影は、白から鼠色(ねずみいろ)に、濃く、藍色(あいいろ)になり、浅葱色(あさぎいろ)が浮かび、(かすみ)がかかるようにほのかに、藤の花房を地に引きずるように、お桐の由縁(ゆかり)の色でもある紫の長い(そで)が見えて、裾先(すそさき)を闇に溶かしながらゆらゆらと、中背(ちゅうぜい)ですらりとした女の姿となった。

 続いてもう一人現れたのは、燃え立つ牡丹の花片(はなびら)のような、赤い髪飾りをつけた丸髷(まるまげ)をつやつやと大きく結った娘で、遠目に姿が見えなかったのは、着物の色が中間色ばかりだったせいだろう。くすんだ濃い茶色の、三つ紋の入る場所が染め残された詰袖(つめそで)を着て、黒繻子(くろじゅす)(えり)をつけている。腰から下には(はす)()緋縮緬(ひぢりめん)の前垂れを掛けて、浅葱色の蹴出(けだ)しをひらめかせながら歩いてくる。菜種油色(なたねゆいろ)に薄青を配す大人びた服装(みなり)ではあるが、背丈からすると可愛らしい少女ではないか……と気づいてみれば、どうやら彼女は十二、三歳の舞子らしい。

 一方、先に紫の地色を見せていた女は、熨斗目(のしめ)振袖(ふりそで)に、白博多帯を歌留多(かるた)結びにした、襟もとも凜々(りり)しい小姓のいでたちである。目鼻立ちはすっきりとして、雪のような細面(ほそおもて)に、黒髪の(びん)をふっさりとさせた、絵に描いたような若衆髷(わかしゅうまげ)を結っている。……きりりと帯に挿した扇が、胸もとまで斜めにかかっているのが、青柳のような細腰を狙った楊弓(ようきゅう)の矢が、()れてひっかかっているように見える。

 そんなすらりとした女が、肩のあたりの背丈の、丸髷の少女の手を引いて、先に気づいてましたよという表情をありありと浮かべながら、(すすき)がなびくように近づいて来る。どこまでもつつましく、これまではしゃぐ様子も見せなかったお桐が、思わず気勢をこめて声高に、

「おおっ!」

 と言って、はっと顔を合わせた。清之助とお桐が上る清水坂と、その左手に両方の(かど)に家を挟んだ産寧坂(さんねんざか)が、雲が合流するようにちょうど出会う三つ辻で、三人の女が向き合ったのである。

「あれ、三千歳(みちとせ)はん、岸勇(きしゆう)はん、よう、おばけやしたえなあ」

 藤色の熨斗目(のしめ)を着た女は十六歳、丸髷(まるまげ)の少女は十三歳、舞子二人は姉妹であり、見知った彼女らに会った清之助も、我を忘れて見とれながらたたずんでいた。……


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