十四
十四
「祇園の芸子を入れたその美しい鳥籠はな、飼い主はんが大事にしやはるよって、雨にも風にもあたりはしやせん。苦労しやはる世間の女はんが涙を拭かはる袖に鼓を抱いて、お祈りしやはる手で茶の湯をしているのどすえ。けどな、やっぱり籠のなかにいるのやけ、芸を仕込んだヤマガラのようなものだっせ。
芸はせいでも、ヤマガラは山にいるのがいいのどす。ブランコを渡ってみせるより小枝を飛び回りはっていやはるほうが、地唄を歌うよりチロチロさえずっていやはるほうが、なんぼいい芸かしれへん。藁屋で聞いても御殿で聞いても、手の届かん、立派な芸を持ってはるのどす。
野にいるハトは羽も光る……動物園のクジャクはな、綾錦の帯を広げても艶がおへん、と私思うえ。『吉田屋』のお芝居やかて、夕霧はんのことを、姿をトンと投げ入れの水仙清き、なんて言やはるが、その夕霧はんかて活け花のようなものどす。――たとえ日陰の花でも、私は根がほしい。野山に生えたら雨も風も強いやろが、そのかわり、天からの光が受けられますえ。……その、日の光を受けるためなら、霜も乗せようし、雪もかぶるえ。雨風なんぞ、槍が降ってもかましまへんえ、なあ……。
そうやかて、私なんぞ、日の光からは遠いよって、せめてその霜がほしい、雪がほしい、身を切られたい、凍えたいおすえ。
なんにも知らん籠のなかの女は、世の中からは花笠で囲われていると思うているどす。でもな、京の芸子も気がつくと、世間の槍衾がようわかるえ。
さっきあんたが言いやはった、まさにそれやおす。私はな、以前、箱根でな、馬を曳いてくれはった西洋人から、籠の外には山や森や、ねぐらも巣もあることをはじめて聞いて、そのときわかった。
金をたくさんくれはるいうて、撫でてさすってくれやはるいうて、竹竿持って狙うて歩く鳥刺しのようなもんや。……赤ちゃんの父さんかて、雀刺しや、え、あんた」
と言って、肩を寄せてきた。お桐が言う、鳥の翼を思わせる襟巻の感触が、外套の袖を通して伝わってきて、清之助は、身に沁みるほどゾッとした。
「その父さんは、しわくちゃのお爺はんや。それが私のねぐらどすか、巣どすかいな!……そんなん、私、いやえ!」
と、すねたように身をよじると、たきこめた香の薫りが暗がりにぱっと散る。
「天から射す日の光に照らされとうおすえ。その前に雪がほしい、霜がほしい、苦労がしたい。私がこうして患うのはな、昔の話に言いますやろ、金魚をふとんに寝かしてるせいや。生命の水に入れたらな、上へ氷が張ったかて、何も食べいかて活きていられる!……
赤ちゃんはお乳がほしかろうけれどな……その母はんは、氷の下の水がほしい。……氷柱を割ったようなのが喉へすっと通ったら、どれほど胸がすっとするやろ。そのひとしずくもないよって、息が詰まるようで死ぬかと思う。辛うおすえ」
と、弱々しい声で言う。
「お桐さん、あんたは恋人がほしいんだね」
と清之助は、今度は笑い声ではなく、しみじみと言った。
「…………」
「ね、そうに違いない」
「知らん」
「なに、生娘じゃあるまいし。芸者が男に不自由するなんてことがありますか。明日からでもこしらえればいい」
「東京では、じきにできますかいな」
と、お桐が言う。
自分がいかに気楽なことを言ったか、清之助はその一言で突きつけられた気がした。
「京ではな、だめだっせ。そりゃな、さっそく今夜、私が、男がほしいなどと言うてお見やす、明日まで待たずにこしらえられますえ。その場で家へ帰って、じきにお金を持って来やはりますえ。それで出来るのが恋人どすか。
私がほしいのは、両方が命がけの恋人。
愛しいの、可愛いの、とは言うたかて、死ね、死のうなどとは誰も言やへん。……清水寺の山の奥にな、稚児ヶ淵というのがあるのどす……」
清之助は思わず、
「むむっ」
と、唸り声をあげて頷いた。