目撃者
そこまで話すと老女はシャーロットを見つめた。
「お姫さん、あんたさっきからずっとあの糸車が気になっているようだね。ちょっと触ってみてはどうだい?」
老婆は人の良さそうな顔をしてシャーロットを糸車の方に行かせようとする。
窓に背を向けて座っていた老婆が歩いたその時、窓から入った陽射しが浮遊する埃を照らした。僕は舞う埃をぼんやりと眺めている。
シャーロットは糸車の前に座り、老婆の教える通りに糸を紡ぎ始めた。
カラカラという音が聞こえる。心地よい眠りを誘うリズムだ。
いや、寝てはダメではないか。僕は自分に言い聞かせた。
埃は光のなかでキラキラしている。そうだ、埃だ。
そもそもこの埃臭い小部屋に老婆が一人でいるのがおかしい。先程扉から入る時に扉の前はかなりの埃が積もっていた。そこには足跡なんて一つもなかった。埃の厚さから見てあの扉から出入りした者は何年も居なかったはずだ。僕は部屋を見まわした。扉以外に出入りが出来るところと言えば目の前に見える窓ぐらいだ。子供や小柄な者ならばあの窓から出入りすることは可能な大きさだ。しかしここは塔のてっぺんだ。窓から飛び降りれば大怪我は免れまい。と言うより死ぬぞ普通は。そしてあの窓から入る事はまず不可能だ。
何より何故この老婆の言う通りに僕は座り話を聞き続けたのだ? それも何の疑問も抱かずに。
この老婆、どう考えても普通の人間では無い。僕は逃げようとシャーロットの手を取ろうとした。まさにその瞬間、
「痛いっ!」
シャーロットが小さく叫んだ。
「ああ、錘が刺さってしまったんだね、可哀想に、痛いだろう。でも、その痛みも直ぐに終わるよ」
おさまるではなく終わる? どういう意味だろうか。僕のその顔に老婆は気付いた。
「うん? あんたは術が覚めてしまったんだね」
不気味に笑いながら僕を見つめる老女。
「そうだね、あんたの役は目撃者だ。何も出来ずにただ見ているがいい」
急にシャーロットはその場に倒れ苦しみ始めた。老婆は落ち着いたままシャーロットを見下ろす。
「あんたも何故こんな目に合うのか知っておきたいだろう? もう話すのも疲れたしこれをご覧」
パチンと老婆が指を鳴らすと目の前に王宮の大広間が見える。まるで精巧なセットの舞台を見ているようだ。
「これは過去を見る事ができる魔法だ。本当にあった事だよ」
広間には大勢の人がいるがそのほとんどがある一点を見つめている。視線の先にいるのは魔法使いだ。側にいる国王夫妻を見ると今よりもだいぶ若く見える。そばにはゆりかごがある。もしやこれは先程老婆が話していたお伽話の続きか?
つまりシャーロットが生まれた時の話だ。ではあの魔法使いは誕生祝いに招待されなかった賢人だ。怒りに歪んだ顔でもその美しさはわかる。
「よくも私を無視してくれたわね。お礼にとっておきの贈り物をしてあげるわ。その王女は成人を迎える前に死ぬ。糸車の錘に刺されてね」
高笑いをしながら大広間を後にする賢人。
それを見ながら老婆は僕に言う。
「わかったかい? 王が糸車を全て燃やした意味が。だけど残念だったね。ここに残ってたんだよ。この王女を殺すための最後の一つがね」
シャーロットを見ると意識が朦朧としているのが分かる。このままでは危ない。
「知ってるかい? 賢人の言葉は絶対なんだよ。この娘は死ぬしかない。残念だったね。あんたはこの娘が死ぬのをしっかり見届けるがいい。あたしはこれで失礼するよ」
老婆は指を鳴らすと一陣の風と共に一瞬にして消え去った。
僕は長椅子の上に自分のマントを敷き、その上にシャーロットを抱き上げて寝かせた。
目の前の演劇のような過去の光景はまだ続いている。
死の宣告をした賢人が去った後、周りは静寂に包まれた。その中でか細い声が聞こえた。
「王女殿下は錘に刺されても死んだりはしません。100年の眠りにつくだけです」
それは最後の賢人の声だった。
「それは誠か?」
王が尋ねた。
「はい。私の力ではあの賢人の呪いを完全に改呪することは出来ません。申し訳ありません。ですが100年の眠りがゆっくりと呪いを解き目覚めた王女殿下はご健康を取り戻します」
「死なないのは何よりではあるが、まずは王女を糸車に決して近づけないことだ」
王はしばらく考え、そして顔を上げた。
「国中の糸車を処分する事とする」
「陛下! 糸車が無ければ糸を作る事は大変困難になります。王侯貴族から庶民まで全てに多大なる影響が出ます」
「確かにその通りだ。中でも養蚕は我が国の重要な産業だ。蚕を育てても糸車が無ければ生糸に出来なくなる。それは重々承知だ。だが貴公はやっと出来た王位継承者である王女を犠牲にしろと言うのか? それに」
王はゆりかごの中の王女を抱き上げて言った。
「何より父としてこの子を守りたい」
娘を抱きしめる王を見ていると、その場の誰もが何も言えなくなっていた。
「では」
沈黙を破ったのは宰相だ。
「この国にある糸車は全て処分し、新たな生産を禁じます。養蚕については最善の策を講じる事とします。それと」
宰相は王の目を見つめる。王はそれに応じ目を伏せた。
「今日この場で行われた賢人の予言の記憶を皆から消す事に承諾頂きたい。また賢人様もこの事が口外出来ぬようお互いに沈黙の誓いの魔法をかけていただく」
会場がざわついた。しかし王命には逆らえない。皆承知し賢人達が王と王妃以外に記憶消去の術をかけた。
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