第8話 エーリンの独白①
お互いの理解を深めるために話をすることになったオラリオとエーリン。
エーリンは自分の身の上話をすることになるが――?
私、エーリン・マクワイヤは、伯爵マクワイヤ家の三姉妹の次女として生まれた。
マクワイヤ家は商売に長ける家系としてよく知られている。特に食料品の取引や加工には一家訓あり、市場に投入した商品でたびたび流行を起こすなど、貴族界隈でもその存在感を強めている、ちょっとした名家だ。
しかしマクワイヤ家には、もう一つの顔がある。
同家は代々、政略結婚により名を高めてきた背景がある。美人の妻を娶り、その娘を美しく育て上げ、嫁に出す。これにより各所と連携を強め、商売に有利になるよう働きかけてきた。
中でも、現当主アラン・マクワイヤの妻であるヘネシー・マクワイヤは絶世の歌姫として名高く、その娘たちに向けられる期待もまた一段と大きかった。そしてその娘たちは周囲を裏切ることなく、それは美しく育った。――ただ私ひとりを除いて。
母の遺伝子を余すことなく受け継いだ姉と妹に対して、私はどちらかというと父の血を色濃く受け継いだらしい。女としては少々たくましい骨格、肌の色はほんのり浅黒く、髪の色だって違う。特に髪の色は目立つところで、父は赤味の強い褐色、母と姉妹は透き通るようなプラチナブロンド、私はその中間の橙色で、しかも染まりムラがあった。それは風にたなびけば、松明が燃えているようだと揶揄されたり、時には不気味がられたりもした。私個人は実は気に入っているのだが、とかく、美女の要件から外れた特徴を多く持った私が政略結婚の駒から外されるのは必然だった。
しかし悪いことばかりではない。代わりに、体が頑丈だったのだ。
母は繊細でやや病弱のきらいがあり、それは姉も妹もまた同様だった。時にそれは女性としての魅力を引き出しているとも言えるのだが。
一方の私は、とにかく風邪をひかなかった。一家が発熱に寝込むなか、私だけはピンピンしていたし、加えてお腹も丈夫で、下したことも便秘もなければ、食あたりもない。弱点があるとすれば、発汗が良く、湿疹に悩まされることがしばしばあるくらいだろうか。
さて、そんな私は幼少の頃より本を読み漁っていた。単に本好き、というだけではない。
政略結婚に力を入れるマクワイヤ家には、女性教育に一家訓ある。嫁ぎ先で粗相をしないよう徹底的にメソッド化されたその内容は厳しく、同家に生まれる女は代々これをこなすのがしきたりである。当然私もその指導を受けることとなるのだが、先にも言ったとおり私は政略結婚の駒として期待されていなかったので、私への指導はほどほどというよりおざなりだった。つまり姉や妹よりも時間に余裕があったのだ。
姉のアイリーンや妹のミランは、女の私でも見惚れるほど綺麗だ。この二人がいれば、当家の目的は十分に果たせる。見目で二人に劣る私ができることは、それ以外の付加価値を高めるしかない。ならばいつか嫁ぐ先で少しでも役に立てるように、教養を身につけよう――そう考えたのだ。私の読書はいわば、生存戦略なのである。
幸い、父の支援もあり本は潤沢に手に入ったため、私は様々な分野の書物を思う存分読みふけることができた。
おかげで、九歳を迎えるころには必要な算術を全て理解していたし、商売に関するものや食料品についても知識を身に着けることが出来た。
まさに順風満帆。決して華やかではないかも知れないが、貴族令嬢としては平凡で、そして穏やかな人生が待っているのだと、そう思っていた。
しかし10歳のその日。それは起こった。
――私は誘拐されたのだ。
うなされるあの夢は、私が実際に体験したことだ。奥深くに刻まれた記憶が、眼に蘇ってくるのである。
そしてそこで見た光景が、私の人生を変えた。
夢で思い起こされるシーンには、実は欠落しているシーンがある。それは、私が誘拐されて、誘拐犯が殺される間の、数日間のものだ。
誘拐され意識が戻った初日。男が私の髪を切り取ってから、しばらくたった後。男は「場所を変える」と言い、両手足を縛られた私を脇に抱きかかえた。その頃の私はすでに体力を使い果たし、抵抗する気力もなく、自分の居場所も、行先すらも、もはや興味を持てなくなっていた。
いくつかの扉が開けられたあと、突如として降り注いだ陽光に目が痛んだ。呻くのを必死に耐え、痛みが引きそして視力が戻ってくるまでに時間を要した。
そして、私はそこで見たのだ。
石と土で作られた細い路地。壁にもたれる人々の姿。薄汚れて破れた服の大人たちはみなやつれて、子供は服を着ておらず、胸はあばらが浮き出て腹だけが膨らんでいる。あちこちに糞尿が散乱して悪臭が漂い、ハエの群れがまとわりつく。男が跨いだぼろ雑巾のような塊は、子供の死体だった。
――貧困。私の知らない世界が、そこにあった。
私を抱きかかえる男は、その中を迷わず進み、そして言った。
「俺にも娘がいる。だが、ろくに食わせてやれない。こんなに貧しくても、領主は税を下げてはくれない。わかるか、俺たちには金が必要なんだ」
男は続けた。
「お嬢ちゃんには悪いと思っている。だが、耐えてくれ。もう少しの辛抱で、お前は生きて帰れて、俺たちは大金を手に入れる。悪くない取引だ」
男は胸に抱えた私の顔を覗き見た。その時の男の顔が忘れられない。
希望と絶望がない混ぜになったそれは、私にこう思わせた。
――人はこんなに醜い顔になるのだな、と。
結局、取引は実施されなかった。領主の雇った騎士により誘拐犯が殺されたからだ。
かどわかし(誘拐)に関わった者たちに死の制裁を。これは父が出した命令だった。
私は尋ねた。なぜ彼らに与えなかったのかと。父は見たことがないほど凶悪な顔で言い放った。
「一度でも払えば、必ず後を追うものが現れる。これは粛清だ。持つ者が持たぬ者に執り行う、な。お前にもわかる時が来る」
そんなことわかりたくないと思った。そして父の愛情がわからなくなった。
令嬢は一度誘拐されると、傷物扱いされる。私の政略結婚という用途は絶望的になった。
それからというもの、私はますます勉強した。特に、貧困について纏められた文献を読み漁った。
そして、ある時、気づくことになる。
――私がさらわれたその場所は、我がマクワイヤ家が統治する領地内にあるのだと。
うなされる夢は現実に起こっていた。
貧困の原因が実家にあると知ったエーリンは果たして――?
次回も独白が中心となります。
会話文少なめですが、よろしくお願いします。