第7話 知り合いから始める新婚生活
お互いをもっと知るために「知り合いから始めよう」と前のめりで提案するエーリン。
その熱の入りようにオラリオは一瞬引いているようにも見えるが、果たしてオラリオは提案を受け入れてくれるのか――?
気づけばテーブルに両手を打ち付け、身を乗り出していた。私を見つめていた彼の視線が一瞬下に泳いだのを見て、我に返る。
「ね、熱を上げてしまいました。無礼をお許しください」
「いや、別に謝る必要はない」
オラリオは気まずそうに咳払いをして答えた。その反応に私は驚きのあまり聞いた。
「お叱りにならないのですか? 女がでしゃばるな、と」
オラリオは問いの意味がわからないと言った様子で、怪訝な表情をする。
「……どこかで、そのように?」
「ええ。……父には、特に」
私が恥ずかしそうにしていると、オラリオは得心がいったのか、右手を仰いで言った。
「どこぞの小娘や噂話しかすることのない婦人にはそう思ったかも知れないが――」
オラリオの厳しいジョークに、思わず身悶える。
「――妻にそう思うことはない。いや失礼、この場合は知人だったか」
彼はわざとらしく眉間を押さえたあと、小さく笑みを浮かべ手を仰いだ。
――この男、実は結構イジワルなのかも知れない。
とはいえ彼の反応を見る限り、口数の多い女性に対して一物あるのは明白だ。実際に女の私ですら苦労するところだ、彼の立場ともなれば仕事からプライベートまで山盛りあっても仕方ない所だろう。八つ当たりが私の所に来なければよいのだが。
「それに」
彼は再び掌を組んで言った。
「貴方の指摘は的を射ている。私には思いつかない観点だし、それでいて妙に納得させてくれる。ならば、次も聞いてみたいと思う。何より向学になる」
その言葉に胸が締め付けられる。今までそんなことを言ってくれた男性はいただろうか? いれば、こんなことにはなっていなかったというのに。
でしゃばるな。余計なことはするな。
私が何か意見するたびに、行動を起こすたびに、周囲の反応は冷ややかだった。誰も私に耳を傾けてくれない。それが例え国の為だと言っても。私が女だから、実力を持っていないから。
そうして辛酸を舐めてきた私とって、オラリオが言ってくれた言葉たちは、私が一番欲しかった言葉たちだった。
「それでしたら」
二人の需要は一致した。私は顔をあげ、すがるように彼を見つめた。
「――ああ。確かに私たちは、すぐにでも会話するべきだ」
オラリオが頷く。
「語らいと行こう。時間はたっぷりとある」
「でしたら早速。――とは言いましたが、何から話しましょう」
話すと決めたものの、世間話をするわけではないので、その話題の整理は必要と思われた。情報の提供順番を間違えれば、続く話題の理解の妨げになってしまうこともある。まずは生まれ、年齢、特技だろうか。
「その前に、一ついいか?」
思案する私に、彼の人差し指が向けられる。
「なんでしょう?」
私が返答すると、彼は真剣なまなざしで言った。
「話のなかには、『ここに至るまでの経緯』も含まれているのか?」
『ここに至るまでの経緯』。それはまさに、ここアトラ領土に追放された理由ということだろう。
私は逡巡した後、強い決意で答えた。
「もちろんです」
それを確認したオラリオは、少しの間、瞳を閉じてから、言葉を続ける。
「なるほど。互いを知るには確かに重要な要素だ。だが一つ懸念がある。それを知ることで、かえって相手に幻滅する可能性はどう考える? それこそ、共同生活が望めないほどに」
彼は真贋見定めるように私を見つめた。
オラリオが懸念していることは、私が逡巡した理由と同じだ。負け組となった経緯を伝えるということは、己が失態を明かすということである。失態ならまだいい。追放の理由が悪行や殺人だった場合は、相手の信用を得るという点で言えば、情報を与えられることでむしろ悪化するだろう。
例えば、オラリオが殺人未遂を起こしていたとする。彼はそこに至る理由を理路整然と説明するだろうが、それを鵜呑みにできるほどの信用を築けてはいない。結果私はいつ爆発かも知れない彼の殺人衝動に怯え、顔色をうかがいながら生きることになるだろう。それが健全な夫婦生活と言えないのは明白だ。
仮に、追放の理由が本人には無かったとしても、「自分は悪くない、悪いのはあいつらだ」と語る相手を信用できるだろうか? そこに至るまでの経緯を客観視できずに悪態を吐く相手に、同情はできても愛情を抱くことは困難だろう。
ではそういう不要な情報は伏せるべきなのかと言えば、これもまた難しい。負け組の経緯はお互いに気になるところだろうし、いつまでも触れないのはかえって不自然だ。あるいはその場はうまくごまかせたとしても、後にすぐにバレてしまうだろう。嘘やごまかしを使ったという事実が露見すれば、それこそ信用は地に落ちる。
――だからこそである。
「それこそ、夫婦であるならば、乗り越えるべき関門ですわ」
それならば、夫婦の話題にしてしまえばいい。相手がどんな背景を持っていようと、夫婦となった以上は乗り越えなければならない――そう定義付けしてしまうことで、余計な詮索を回避しよう。そこに理論も効率もない。そうすると決める。その勢いで乗り切るしかない!
私の浅慮ともいえる情熱的な提案は、幸運にもオラリオの関心を引けたらしい。
彼はいままで見せたことのない穏やかな表情で、そして嘲るように言った。
「知人ではないのか?」
「夫婦でもあり、知人でもあり、です」
私はもう胸を張るしかない。
「そういうことにしておこう」
私たちはしたり顔で見つめあった後、少し笑った。それから、彼は落ち着いて、顎を触り、何かをつぶやいた。
「……実に面白い」
「えっ、何かいいましたか?」
「気にしないでくれ」
一瞬見せた彼の表情は、どうしてだかとても意地悪そうに見えたのだが、こうもきっぱりと気にするなと言われれば、素直に従うしかない。
「それでは、先ほどはオラリオ様の身の上話も頂けましたし」
とはいえ、話をする土台は整った。
これから話すことは、私を語る上で最も重要で、繊細な部分だ。語るにも勇気がいる。
だが今は、この旦那様を信じてみよう。
「私からお話しましょう。――私がどうして、ここに送られるに至ったのか、を」
ついに身の上話をすることになったエーリン。
彼女はどうして負け組となって追いやられてしまったのか?
彼女の生き様を聞いて、オラリオは――?
次回は彼女の独白回です。お楽しみに!