第2話 与えられた部屋
夫婦生活を始めることを約束した二人。
改めて部屋の惨状にため息がでるオラリオだが――?
「それにしても、もう少しなんとかならなかったのだろうか?」
改めて部屋を見渡したオラリオが毒気づいた。人を招きいれる状態ではないのは一目でわかる。その汚さは相当なものだ。
「なにせ、急なことでしたからね」
私の処遇はある事件をきっかけにして突然下されたものだ。もしかしたらそのタイミングを見計らわれていたのかも知れないという疑念はあるものの、その送り先の環境を整えるほどの準備期間はなかった、ということなのだろう。
「どうだろうな。猶予があったからと言って、まともな手配をしてくれるような連中じゃない」
それも一理ある。
「そうかもしれませんね」
そして私は一番聞きたかったことを聞いた。
「ところで、ここはいったいどこなのでしょう? お恥ずかしいのですが場所がわからなくて。――領主館、というわけではありませんでしょう?」
領主館というのは、着任する領主がその任を全うするために設けられた邸宅だ。領主の主な居住地と仕事場を兼務し、客を招いたりする場所でもある。貴族としての威厳を誇示すべく、たいていは豪華絢爛な造りになっている。
私達に与えられた任務は、この土地の領主となること。普通に考えれば、領主館を使うことになる。であるならば、連れてこられた場所がそこじゃない、というのはおかしな話だ。
「ああ。ここはその領主館近くの、庭師の仮住まいらしい。あそこは今、入れないからな」
「領主館に入れない?」
ますます意味が分からなくなってくる。
「それについては事情に察しがつく。……まぁいずれにせよ、当面はここで生活するしかないだろうな」
「そう、ですか」
オラリオは腕利きの宰相補佐として有名だった。私には分からない事情もその耳に入っているのだろう。しかし説明する気はないと言った様子で、足早に玄関へ向かっていく。
「どちらへ?」
「外の様子を見てくる。エーリン嬢はくつろいでいてくれ」
「え、あの――」
そして私が何かを言うより前に、扉は再び音を立てて閉まってしまった。
「――くつろいで、と言われましても」
突然取り残される私。
疑問はいったん飲み込むしかないようだ。
そんなわけで、室内を物色することにする。
新居というには色気がない物件だったが、よくよく見ると、かなりしっかりとした構造に見える。少なくとも、雨漏りをした形跡はない。曇りガラスが埋め込まれた窓枠は少し歪で頼りないが、隙間風はそこまで酷くはない。これなら寒さで凍え死ぬことはなさそうだ。
居間には、食卓と思われる大きな机があった。天板は一枚板で、その幅は私が両手を伸ばしても少し足りないほど立派なものだ。そして同じ木材を使った椅子が三つ、うち一つは、脚が折れて傾いていた。
居間から続く奥にはキッチンがあった。薪をくべる竈の上に、使い古した鉄鍋がそのままになっている。周辺には陶器のコップや皿、調味料を入れる瓶など並べられているが、どれも埃をかぶっていて、迂闊には触れられない。
居間を通り越した反対側の奥には一つ部屋がある。寝室と思われるそこには、前の者が残したベッドがそのまま残っていた。質素な作りで、シーツには埃が山積している。試しに手で触れてみれば、指のあとがくっきり残り、巻き上がった埃でせき込んでしまった。これは掃除をしなければ使い物にならない。ロマンチックな夜なんてものがあるとしても、それは当分先の話になりそうだ。
「これは骨が折れそうね……きゃっ」
換気のために窓を開ければ、少し冷たく爽やかな風が部屋に吹き込んでくる。それは部屋の埃を一層巻き上げたが、すぐに落ち着いた。
窓の外には、遠く山間に消え行く赤い太陽が眩しい。世界はすでに闇に包まれており、朱色と黒の二色で彩られた光景は美しくもあった。
そうこうしていると扉を開ける音がする。居間を覗くと、オラリオが重そうな荷物を抱えて戻ってきていた。
「使えそうなものを持ってきた」
オラリオはそう言うと、それらを居間に置いていく。その中に、私の衣類が入ったカバンが数個、含まれていた。
「私のものまで、ありがとうございます」
カバンのうちの一つに目が留まる。仕立てがよく重たそうなそれは、母が持たせてくれた物だった。その中身を想うと、思わず視線が動かせなくなってしまった。
それに気づいたのか、オラリオが言った。
「せめて荷馬車を残してくれたことに感謝しなくてはな」
「そう、ですね」
私たちをここに護送したのは、王族直下の兵士の一団だった。その構成は私たちを乗せた馬車と、最少人数の騎兵護衛と、そして件の荷馬車。引き上げる際、せめてもの餞別ということで、護衛隊長が置いていってくれたのだ。人情というものだろう。
「戦う人にも、人情があるのですね。あの方が叱責を受けなければよいのですが」
罪人に情けをかけた者も、処罰の対象となることがある。それを私は身をもって知っている。それでいうなら、私は彼の厚意を毅然と断るべきだっただろう。そこに思い至るだけの余裕が、私にはなかったのだ。
「それはどうだろうな」
オラリオは自身の荷物を整理しながら、言った。
「空の荷馬車とは言え、連れて帰るのは一苦労だ。あるいは、一刻も早く帰りたかったのかも知れない。彼らにしてみれば、私達をここに追いやれた時点で、十分な成果だ。荷馬車の一つや二つ消えたところで、どうということはないだろうしな」
オラリオのいうことを理解できない訳ではない。並べられた状況から論理的に推考すれば、そういう答えに辿り着くのも納得はできる。それは冷静な見方とも言うのかも知れない。しかし。
「冷たい言い方をなさるのですね」
突き放したような言い方に、寂しさを覚える。
私にとってはこの状況に追い込まれた今、護衛隊長の行いはたった一つの優しさだった。それを打ち砕かれたようで、悲しい。
オラリオはため息をつきながら、言った。
「とはいえ、我々には僥倖だ。馬は役立つ。幸い、彼らの食べるものには苦労せずに済みそうだ」
彼にしてみれば、役に立つか、そうでないか、それが大切なのだろう。
――それでいうと、私は?
――いったい何の役に立つというのだろうか。
そう思うと、急激に気分は沈んでいった。
「有効活用、しなくてはなりませんね」
意思と反するように出た言葉が、二人の空気を重くする。
「……近くに川があった。水を汲んでくる」
沈黙に耐えかねた彼は、そういって再び外に行ってしまった。
「お気をつけて」
閉まった後の扉に向かって、言葉を落とす。
急激に不安になる。
果たして私は、彼とうまくやっていけるのだろうか、と。
オラリオの言葉の節々に、気持ちが落ちていくエーリン。
早くも二人の間に不穏な空気が漂うが、果たして二人はどうなっていくのか――
引き続きお楽しみ頂けますと幸いです!