第一話 身バレ
今ではずいぶんと珍しい古びた木造の旧校舎。
一学年30クラスの白亜のマンモス校の裏山で、今にも潰れそうな旧校舎は誰からも忘れられたようにひっそりと建っている。
空は急な夕立、裏山はほのかに暗く人通りもない。静かな景色のなかで、旧校舎の入り口には生徒二人分の足あとが残っていた。
歩けば床がギシギシと鳴るような廊下を抜けて、ひと際大きな引き戸の部屋、入り口には「宿直室」と木札が下げられているその中、そこには上背のある女子生徒とそれより一回り背の低い男子生徒の2人がいた。
女子生徒の小さな頭はサイドアップしたチョコレートブラウンのロングヘア―、白糖のように色素の薄い肌、すらりと伸びる華奢な手で彼女は紅潮した顔を覆っている。
「くっ、殺せ! こんな辱めなど」
良く通る少女の声、それに相対する背の低い男子生徒は黒く分厚いプラスチックフレームを頬で持ち上げるように頬をゆるませた。
「やめてくださいよ先輩。僕が悪いことをしてるみたいじゃないですか」
狼狽する少女と笑みを浮かべる少年、2人の微かな息遣いは窓を叩く雨粒の音より大きく響く。
そしてこの状況を説明するには少し時間をさかのぼる。
頭上に太陽がのぼる昼飯どき、誰も来ない屋上への階段、その踊り場に一人の男子生徒がコンビニのビニール袋を広げていた。
ブリックパックのミックスジュースに菓子パンを山積みにした砂糖まみれのラインナップ。
重たげな黒ぶちメガネをずり下げた背の低いボサボサ髪の男子生徒は獅子ヶ谷 雪之丞。
かなり名前負けした高校生にしては華奢な体の彼だが、何もイジメられてボッチ飯をしているわけではない。
これは彼なりの自衛、彼の周囲に言えない趣味のためなのだ。
雪之丞が、砂糖まみれの指をしゃぶりつつ一心不乱に眺めるのはスマートホン。
画面には何人もの美少女が映し出され、手を振ったり、歌を歌ったり話しかけたり。
リアルタイム、地球のどこからでも素人のライブ動画をアップロードすることで通話や投げ銭の応援が行える配信サイト「ファンファン」、雪之丞はこのアプリの熱心な利用者であった。
とくにその中でも新進気鋭の青髪の美少女「ねーじゅ」の生歌配信、これを一日に10回は確認するほどはまっていた。
「はぁー、昨日の新曲もすげぇコメント量。ウケル」
雪之丞のスマートホンの画面には、スピーカーから流れる可愛らしいアイドルソングに合わせていくつものコメントが流れる。
『ねーじゅたん今日もカワイイ』
『ツルペタロリ最高』
『ねーじゅたんペロペロペロペロ』
『今日も撮影は円卓高の旧校舎みたい。マジ尊い』
『投げ銭しまんた』
ねーじゅへの熱心なファンからのコメント。雪之丞はいつも通りコメントを流し見していたが、一つのコメントに指を止めた。
「円卓高ってうちじゃん。うちの学校じゃん……え?」
ねーじゅの歌う画面を確認すると、フローリングにグレーのカーテンくらいで特に何も映ってない。
自分以外にこの動画を見てるヤツが適当に書き込んでるのか……と納得しようとしたときだった。
カーテンが捲れて窓ガラス逆光で「宿直室」の三文字が映りこんでいる。
「ま、マジかよ」
ボサボサ髪をかき乱しながら階段を駆け下りて窓ガラスに張り付く。
緊張しながら旧校舎の方角を見つめた。
「か、確認しないと……」
雪之丞の決心が固まったところであったが、校内には無情にも授業開始の予鈴が鳴り響く。
「放課後、放課後には確認しないと」
雪之丞は悔し気に教室に戻った。
私立円卓高校、ここは清廉潔白、質実剛健を校風とし様々な分野で著名人を排出するマンモス校である。
獅子ヶ谷 雪之丞はこの円卓高校の1年生であり、厳しい校風のなか授業をさぼるなどの選択肢はなかった。
「俺の、俺のねーじゅたんを守らないと……まさか盗撮とかされてたりしないよな」
外の天気は、焦る雪之丞の心のように曇りだしている。フランス人英語教師のナタリーの講義など聞く余裕もないほど雪之丞はコメント投稿者を確認していた。