第2話 新入りは常に不安と希望を抱える
みんなを紹介すると言われ手を引かれたユーイン。すると店の奥側から白い布が山盛り入った大きなカゴを抱える青年がこちらに向かってきた。
「ナジャフ!ちょっといいかしら!」
「ティ、ティア殿!お疲れ様です!ははは、はい!!」
声を掛けられただけで焦ってカゴをひっくり返してしまいそうになる青年。特徴を一文で纏めれば『瓶底メガネの毬栗頭』で、どうやら大量の古いテーブルクロスを洗濯場に持っていく途中だったようだ。
「初めまして!今日からここで働かせて頂くユーインです。これから宜しくお願いします!」
「ど、どうも!私の名はナジャフと申します!よろしくです、ユーイン氏!」
ナジャフと名乗った男の言葉遣いは少々おかしいものの、礼儀正しく優しそうな雰囲気だった事に少し安心したユーイン。そしてティアが彼の経歴を教えてくれた。
「彼はね――――」
ナジャフは王都出身のフリーター。3年前に趣味に没頭し18歳になっても働かない事から実家を追い出され「ベール」で採用された。長所である『器用さ』を活かしコック兼パティシエとして働いているようだ。
その没頭する趣味というのも今、王都で人気急上昇の有罪三姉妹という異端者アイン、狂言者ツヴァイ、独裁者トライの3人から構成された暗黒少女ユニットの熱狂的ファンである。ちなみに『戦争とは血を流す政治だヨー!』でお馴染みの独裁者トライ推し。彼の信条は『出費は増やしても推しは増やさない』だそうだ。稼ぎはお布施として毎月7割が消滅している。
「今度よかったら戦争にお誘いします!あ、ティア殿、予約席の準備はしておきました。あとで予約帳の確認だけしておいてください!」
「ナジャフー、いつもありがとう!」
「い、いえ!き、今日こそはお手柔らかにお願いしますね。では、私は仕事に戻ります!」
敬礼をして洗濯場に向かったナジャフに対し『ちょっと変だけどいい人』とティアも敬礼をしながらそんなフォローするがユーインは苦笑いしかできなかった。
そして次に厨房に向かう2人。
―――――??
客席から見るオープンキッチン。今週のランチメニューなど様々な張り紙や食器が並ぶ中、厨房で白いコック帽だけが左右に動いている事に疑問を覚えるユーイン。そして、オープンキッチンに近づくに連れその正体が明らかになる。
「シャド爺ー!」
バンッ!とオープンキッチンとカウンター席の間にある台に向かい、跳び箱をする際のジャンプさながらに両手を当てて厨房を覗き込むティア。
「な、なんじゃ急にびっくりするのぉ!殺す気か!ワシは高血圧なんじゃよ!」
そこにはコック帽を被った小柄すぎる老人がいた。ティアの3分の2程の背丈から、コック帽だけが見えていたのはそういう事だった。老人はせっせと料理を作る準備をしているようだ。
「は、はじめまして。僕、ユーインと言います。今日からお世話になります…!」
ユーインはシャド爺と呼ばれた年配の男に緊張しながらも挨拶をすると、
「ほほう、今日から働くのか坊主。わしは商店街の巨匠と名高い伝説のコック、シャドじゃ、宜しくな」
下がっていたコック帽を少し上げ、厨房から背伸びをして握手を交わす。
「今日は団体客が入っていてのぅ、見ての通りあまり構ってやれんのじゃ。すまんな」
そう言って再び包丁を握るシャド。背の低い彼の為に用意されているであろうお立ち台に上がり野菜を切っている。
だがその手は歳のせいかプルプルと震え今にも指を切ってしまいそうだ。むしろ自分がやった方が早いんじゃないかと思うユーインだった。
シャドは帝国出身で元軍人らしい。ティアの父親も元帝国軍人で彼はその元上官という繋がりから20年以上ベールで働いているここの料理長だ。
ちなみに母親は王都出身らしく、帝国兵と王都商店街の看板娘、そんな劇的恋愛で生まれたのがティア。若き頃の父親が王都に密偵として来た際に結ばれたらしい。
そして、帝国と王国の禁断の愛ということもあり、帝国軍で働く父親は、ベールの看板娘である母親に万が一の事があったらと一抹の不安を抱いた。
当時定年になり無職でギャンブルに溺れどうしようもなかったシャドに近くにいてやってくれないかとお願いしたのだという。
シャドも熟女バーで年金を使い果たしホームレスになっていた事で快諾。ティアの母親も可愛かったから一石二鳥だったそうだ。
ティアの両親の死後、アテナが母親、シャドが父親の代わりとして彼女を見守っていく事を決め、今に至る。
という話をシャドは料理に使うブランデー片手に熱く語り、全然構ってくれていた。
つまりどうしようもないジジイが転がり込んだ先がココ、というわけだ。
そして案の定、野菜の切り出しは進んでいなかった。
「お忙しい所、すみませんでした」
「あとは最後に……あれ、シャド爺?あいつは?」
キョロキョロと店内を見回し誰かを探すティアに対し「知らんわい、ほっとけ!」と突っぱね返すシャド爺。そんな時、ユーインは体の震えと同時に大事なことを思い出しつつあった。
「もう!目を離すとすぐにこれなんだからッ!」
どうやらご立腹のティアは人差し指で頭を掻いている。その証拠にこめかみがピクピクしている事が伺える。
「す、すみませんティアさん、お手洗いに……」
「……え、ああ、そうだったね!あそこが客用のトイレ!いってらっしゃい!」
客席を見渡すティアを背に急いでトイレに向かったユーインは『限界だよ』と口パクさながらに呟いて洗面所と書かれた一室に入る。そこには個室トイレと手洗い場がひとつずつ。そして個室の扉をあけるがそこに先客はいた。
―――――!?
開いた小窓から逃げきれていない程の煙が立ち込める個室のトイレ。そこでズボンを下げ便座に座る男は煙草を咥え、何かの本を片手に驚きもせずユーインに視線を向けていた。その死んだ獣のような半開きの目は充血し気怠そうな表情で『あ?』と小さく反応をみせている。
「す、すみません…!!」
驚きのあまり勢いよく扉を閉め、息が上がるユーイン。
そして水を流す音と同時に男はトイレから出てきてガチャガチャとベルトを直すなり、咥え煙草のまま手を洗っていた。ガラは悪いが不思議とその男に恐怖心などなくどこかマイペースで温厚な印象を受ける。
鏡越しに『どうぞー』と呟く彼の背はユーインよりも頭ふたつ大きく中肉中背の男。黒髪で歳はユーインよりも上なのは明らかだった。何よりユーインと同じ制服を着ている事からここの従業員だろう。
そして見下したようにユーインと向かい合い『ノックぐらいしろよー』とやる気のない声で伝える彼の右手に抱えられた本には『世界の動物図鑑』と題されていた。
「あ、はい…!気をつけます!」
『いや鍵くらい締めろよ!』と心の中で突っ込むユーインはまさかの出来事に自己紹介も忘れ個室の扉に手を掛けた時、擦れ違い際に『…臭うな』とボソリと呟いた男。
―――――??
だが客席の方から『ドドドドッ!』という地響きを伴う音がした瞬間、
「アンタってやつはァァッ…!!」
罵声と共にティアが男に向かい空中飛び膝蹴りを見舞っていた。
その鋭利な膝の角度と男の顔面まで届くジャンプ力にも驚きだが『アブね』と男は動物図鑑を盾に彼女の右膝を間一髪で受け止める。しかし、
「ふんッ!」
という妖精から本来出るはずの無い武闘派の息遣いと共に『バカ野郎ッ…』と焦る男を無視し、彼女は空中でそのまま左足を男の側頭部目掛け振り抜く。
鞭のように撓ったティアの白く美しい脚が男の右側頭部をスローモーションで捉えた刹那、爆発的に加速する時間と共に男はたまらず洗面台へ叩きつけられ、アメニティの石鹸や綿棒が宙を舞う。
「……ふう」
もう色々分からなくなってしまったユーインはとりあえず気配を消して個室トイレに入る。悲鳴と罵声が響く中で解放される尿意。個室の小さな窓からは春の夜風が『頑張れよ』と慰めるかのように彼の頬を優しく撫でるのだった。
――――……。
「という訳で彼はクロノ。うちのウェイター。自己紹介できるわよね」
トイレという狭い空間でトライアングル状の立ち位置を決めた3人。少々ご立腹のティアは口を「へ」の字にしながらクロノに手を向ける。
「ど、どーも。クロノだよ。よろしくねー」
ティアの顔色を見ながら無表情かつ棒読みでユーインに自己紹介するクロノ。まあ何よりも気になるのがその首が無残にも傾いてしまっている事だ。
「よ、宜しくお願いします。ユーインです」
話を聞けばいつも仕事中に抜け出して常に証拠を隠滅しながらあの手この手で煙草を吸うらしい。あの時『臭う』と言ったのは恐らくそういう事だろう。
「コイツが最後の従業員ね。彼は――――」
そして未だ怒りの治まらないティアが『コイツ』呼ばわりする彼の事を紹介してくれた。
名はクロノ。25歳の青年はこのベールで働き始めてから3年経つという。帝都の民間企業に勤めていたがリストラに合いホームレスになったとか。そして気付けば王都に流れ着いたというわけだ。
そのキッカケは店の裏にあるゴミ捨て場でボロボロになって倒れていた所をシャド爺が発見。家に運び込み看病をしたところ、酷く熱もあり脱水症状を起こし衰弱していたという。
慌てたティアは浮浪者という事も気にせず自分のベッドに寝かせて医者を呼び見てもらった所『ベールの生ゴミ』を食べて食中毒になっていた。
ちなみにその日、生ゴミとして出されていたのはティアがみんなの『まかない』で作った未だほのかに温かいジャンバラヤだったそうで、ティアはどこに向けていいのか分からない複雑な怒りを抱えたままクロノの目覚めを迎えた。
その時、不安げな表情で顔を覗き込むティアへの第一声が『タバコ…買ってきて』らしく、それを聞いたティアはクロノを再び深い眠りにつかせたそうな。そうして特に行く当てもなかったクロノはベールに拾われ『住み込み』として地下の野菜倉庫に住んでいる。
つまりヘビースモーカーでサボり癖のある居候兼、従業員というわけだ。最近ティアが彼に苛立ちを覚えたのが『ハハッ、俺は地獄に行きたいね。天国って禁煙だろ?』とドヤ顔を決めた時だという。
「まあそんな訳で、あなたもウェイターとして働いてもらうからクロノに色々教えてもらってねッ!」
どんな訳かあまり理解できなかったユーインの頭には『部下は上司を選べない』という言葉がちらついていた。
そうして、ベールの全従業員を紹介された所で、オープン前となりフロアに集められる従業員。
「今日からお願いします!ご迷惑をお掛けする事も多々あるかもしれませんが何事も頑張るので宜しくお願いします!」
ユーインが改めてみんなに自己紹介をすると、歓迎の込められた拍手がパチパチと送られる。
「ユーイン、よろしくッ!」
予約帳を見て微笑みながら全員に今日の営業について指示を出すティア。
そんな彼女を横目にユーインは新しい環境で働く不安、これからの希望、この仲間たちと働く不安という不安のサンドイッチ状態だった。ティアは良いとして…
『商店街の暗黒獣、アテナ』
『瓶底メガネのアイドル教徒、ナジャフ』
『手の震えが止まらない年配コック、シャド爺』
『サボり魔のヘビースモーカー、クロノ』
ユーインはそんな不安要素しかない従業員達に心折られそうになりながらも、
「大丈夫…僕ならやれる…!」
その気持ちを振り払うかのように大きく首を振って気合いを入れなおしていると、突然ティアの様子が変わる。
「これより作戦会議を始めるッ」
―――――!?
「……作戦会議……?」
動揺するユーインの右に立つアイドル教徒ナジャフは『今日の予約の確認みたいなものです』とこっそり彼に教えるが、左のカウンター席の向こう側にいるクロノは『病気みたいなもんだ』と呟く。
「さて、今日のお客様は――――」
ユーインはもう色々分からないがとりあえず最後まで聞くことを決めた。そんな彼の疑問など無視するかのようにティアはどこからともなく出した黒板を使い説明する。
本日の予約は主に『1番街の王国守備隊の歓迎会』と『ステーラ地区の王国騎士団の送迎会』があるという。
そのうち王国守備隊の歓迎会ではサプライズケーキの予約もあるそうだ。他にも金曜という事もありフリー客が予想される。4月のこの時期歓送迎会でレストランが忙しくなるのは当然の事だった。
「シャド爺、お料理の報告を」
「団体客のメインの付け合わせで準備完了ってトコじゃな。マランド海で獲れた5種貝のスープもたんまりある。フリー客の注文に関してはナジャフが手伝ってくれれば問題ないじゃろ。オススメはパテンド平原で獲れた7種の有機春野菜を使ったバーニャカウダじゃ」
ユーインは『一応ちゃんとしてるんだ』と少し感心し、クロノは『7種の有機春野菜…いいセンスしてやがる』と再び呟いていると、更にティアは続ける。
「ナジャフ、デザートは?」
「は、はい!報告します!本日のデザートはジュネ山脈で獲れたゴボウのアイスとバルケス産リンゴを使ったアップルパイです!サプライズケーキは突然の事だったのでリネルガ製菓店で買ってきました。以上です!」
敬礼をして報告業務をするナジャフと予約帳にそれをカリカリ書いているティア。
「クロノ、今日はドリンカーも兼任だけど大丈夫?」
「ん、ああ。問題ねーよ。ビールもたんまり発注しといたよ。ワインも大丈夫。カクテルはあんまり注文取ってくるな。めんどくせーから」
いつの間にか煙草を吸っているクロノはジリジリと一口煙を吸って大きく吐き出しながら続ける。
「気になるのは王国守備隊と王国騎士団って『元帝国兵』と『王国貴族』だろ。大丈夫なのかよティア。そんな予約取って」
そう言って火種の先を彼女に向けるクロノ、そんな彼の様子にピクリと片眉を動かすティア。
「アンタの言う通り問題は起きるでしょうね。でも売上になるんだからそこは私達の力の見せ所でしょッ。鍋のフタでもモップでも何でも使えばいいじゃないッ。いつも通りやれば問題ないわ。修繕費とかの請求は王国にすれば落ちるんだし」
万年筆をあご先に当てるように平然と答えるティア。淡々と今日の打ち合わせを進めている彼女に対しユーインはたまらず口を挟んだ。
「あ、あの僕は何をすればいいですか?」
当然の事だ。こんな訳の分からない打ち合わせの3割も頭に入っていないのだから。
「ユーインはお料理やお酒をテーブルまで運んでもらえれば大丈夫よッ。指示は私が出すから。クロノはドリンクを作ってフォロー。シャド爺とナジャフはいつも通り厨房をお願いねッ」
「わ、わかりました……!頑張ります!!」
「よし、じゃあ今日もお客様を笑顔とおいしいお料理で満足させて、売上として獲れるものは裸になるまで全て獲りつくす!そして全員生きて帰る事!以上ッ!解散ッ!」
色々じゃ足りないくらい引っ掛かるが、ティアの眩しい笑顔に少し安心したユーイン。そんな彼にシャド爺は『男は何事も冒険じゃ』と震える手で肩を叩き下手くそなウインクする。
ちなみに『ちょっといい?』とティアにトイレへと連行されたクロノは『流れで行けると思った』という言葉を残し、激しい物音に消えていった。
レストランなのか盗賊なのかよくわからない締めの言葉で夜の営業を迎えるベール。だが数時間後、王都最古の老舗であるレストラン、その本当の理由を知り、やる気満々のユーインの決意は揺らぐことになるのだった。