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仮面をかぶったシンデレラ

作者: Tamana
掲載日:2018/05/12

 昔、町外れのお屋敷に母親と三人の娘が暮らしていました。

 母親と姉二人は本当の家族でしたが、末娘には彼女たちとの血のつながりはありませんでした。

 血のつながりのない末娘を彼女たちは実際の家族として扱わず、召使のように扱っていました。

 末娘はいつしか本当の名前ではなく『シンデレラ』と呼ばれるようになりました。


 ***


「シンデレラ! はやくおいで、このグズ」

「ほらほらこっちよー、のろまさん」

「本当にトロイ子! 一体誰に似たのかしら」


 三人に大声で『シンデレラ』と呼ばれた少女は頭に布を巻き、古ぼけたエプロンをつけた姿で息を切らしながら姿を現しました。


「遅くなって申し訳ありません。お義母さま、お義姉さま。何か御用でしょうか?」


 シンデレラは苦しい息の下からようやくそれだけ尋ねました。そんなシンデレラを彼女の義母は、冷ややかな目つきで見下ろしています。義母の隣にいる義姉たちはイジワルな微笑を浮かべながら彼女を見ています。


「これをごらん」


 そういって義母がシンデレラの目の前に差し出したのは一通の封筒でした。白地に赤いインクで王宮の紋章が押してあります。


「王宮から? 王宮で何かあるのですか?」

「来週、王宮で仮面舞踏会が開かれるそうだ。これはその招待状だよ」

「王宮で舞踏会なんて久しぶりよねー。王子様にお会いできるかしら」


 上の義姉が横でうっとりとした様子でそうつぶやきました。夢見るような視線は王宮がある方角に向けられています。


「ドレスを出しておいで。私たちの分をね。王宮で開かれる舞踏会なんだ。下手な格好で行くわけにいかないだろう。さあ、はやくおし!」

「あの、お義母さま」

「なんだい」

「私は行けないのでしょうか?」


 このシンデレラの言葉を聞いた三人は大声で笑い始めました。確かに招待状はシンデレラの分も来ていました。しかし三人はシンデレラを召使としか思っていなかったので、仮面舞踏会に行かせる気などさらさら無かったのです。


「行けるわけ無いだろう。お前の分の招待状などないのだよ。ほら、わかったらはやくおし!」


 義母の言葉を疑う様子も見せずにシンデレラは『わかりました』とだけ言ってその場を後にしました。そんな彼女を見送ってから、三人は再び笑い始めました。


「少しくらい疑ってもよさそうなものなのにねー」

「やっぱあの子はバカよ、バカ」

「まったく、あんな間抜けな子を王宮に連れて行けるわけ無いじゃないか」


 三人はシンデレラがドレスを出し終わったと言いに来るまで、そう言い合って笑い続けていました。


 ***


 三人のドレスは長い間しまい込まれていたので、三人が思っていたよりも傷んでいました。これに慌てた義母と義姉はシンデレラに傷んでいたところを直すように言いつけました。はい、と頭を下げてシンデレラは三人分のドレスを抱えます。

 豪華に布が使われていて見た目以上に重いドレスを抱えながら、シンデレラは自室である屋根裏部屋へと戻ってきました。そこはシンデレラが使うようになるまではまったく使われていなかった部屋で、定期的に空気を入れ替えても、ほこりの臭いが抜けることはありません。


「まったく、あの人たちって本当に勝手。私にドレスを直すように言いつけといて、自分たちはアクセサリーを見に町に行くんだから。本当に、いいご身分よね。あの手の招待状は街中の娘に招待状が届くはずなのに、届いてないなんて嘘ついて。私の招待状は……きっと焼き捨てられたんだろうな」


 ドレスを繕いながら、シンデレラはそう呟きました。シンデレラは義母と義姉が思っているほどの世間知らずではありませんでした。それどころか、利発で聡明な娘でした。

 ただ、それを義母と義姉の前では見せないようにしているだけなのです。


「あーあ、私も仮面舞踏会に行ってみたいな。きっと王宮ってすごいところなんでしょうね」


 上のほうにひとつだけある明り取り用の窓からは、きらびやかな王宮を望むことが出来ました。シンデレラは一度でいいから王宮に行ってみたいと願っていました。

 子供のころ、まだ両親が健在だったころは大人になれば王宮から舞踏会やいろいろな式典の招待状が来るのだと信じ、それを楽しみにしていました。しかし王宮からの招待状が届く年になるころには、両親は他界し招待状は義母と義姉に握りつぶされることとなってしまいました。


「悔しい……。子供のころからの夢がやっと叶う年になったのに……」


 その時シンデレラはひとつのことに思い当たりました。


「ドレスさえあれば、私も王宮に行けるかも?」


 今のシンデレラのみすぼらしい服装では、たとえ招待状を持っていたとしても王宮の中に入れてもらえないでしょう。しかし美しいドレスに身を包み貴婦人らしくしていたら、たとえ招待状を持っていなくても王宮の中に入れてもらえるかもしれません。

 思いついてみると、これはすばらしいことのように思えました。ドレスと靴なら彼女の母の形見の品があります。多少形は古いものですが、シンデレラはその美しいドレスを眺めるのが好きで手入れはきちんとしています。


「そうよ、あのドレスを着れば私も王宮に行ける! 仮面舞踏会に参加できる!!」


 思わずそう叫んだ後、シンデレラは布の切れ端を使って仮面を作り始めました。


(お義母さまたちに会う可能性もあるわけよね……仮面はしっかり作らないと)

 義母や義姉たちが持っている仮面は仮面と呼ぶのもためらうような、ほんの少し目の周りを覆うだけのものですが、シンデレラの仮面はそうするわけにはいきません。かといって、顔全体を覆う仮面なんて貴婦人がつけるものではありません。招待状のないシンデレラは貴婦人らしくしないと王宮に入れてすらもらえないでしょう。

 シンデレラは布やはさみを手元に広げたまま、しばらく悩みました。


(端っこにいればいいか。王子様に用はないし)

 義母や義姉たちの性格から言って、彼女たちが舞踏会の会場の隅に来るとは考えられません。

 なぜなら王宮の舞踏会は、王子の結婚相手を見つけるために開かれるからです。王子が隅に来るとは考えにくいし、義母たちが王子がいない場所に来るはずがありません。

 これは他の娘にも言えることですが、義姉たちは王子の花嫁になるために舞踏会に行くのです。

 そのため、誰もが少しでも王子のそばにいようとします。

 しかしシンデレラは、王子様の花嫁になるために舞踏会に行くわけではありません。


「これで大丈夫よね」


 小さく呟いたシンデレラの手には、簡単な作りの、それでいて優雅に見えるように工夫された仮面が出来上がっていました。


***


「じゃあ行ってくるからね。私たちがいないからといってサボるんじゃないよ」

「はい。お義母さま、お義姉さま、いってらっしゃいませ」

「王子様ってどんな方かしら」

「きっと王宮はすごいんでしょうね~」


 相変わらず厳しい瞳の義母と、うっとりとした瞳の義姉たちを送り出したあとシンデレラは大急ぎで自分の部屋へ戻りました。


(急がなきゃ)


 手早くドレスを身につけ、即席の仮面を手に持ちます。後は鏡で全身をチェックしてから出かけるだけですが、そのときになってようやく気がつきました。


「靴……どうしよう……」


 母の形見のドレスはシンデレラのくるぶしまでの長さです。当然足元が見えてしまいます。ですが、シンデレラが持っている外出用の靴は、黒い無骨な革靴でした。毎日買い物に出かけされられるおかげで靴底は磨り減り、全体に埃をまぶしたようになっています。

 ましてや今のシンデレラが着ているのはドレスなのです。無骨な革靴が似合うはずもありません。

 服も仮面もすべて揃ったのに、靴が合わないがために行くことを諦めるなんてシンデレラにはできません。どうするかを必死に考えて、あることを思いつきました。


(義姉のを借りちゃおうかな)


 義姉のうちの一人とシンデレラは身長も体格も似通っています。確かめたことはありませんが、足の大きさも同じほどではないでしょうか。義姉は今日の舞踏会のために新しくあつらえた靴を履いていきました。そのため、彼女が今まで舞踏会に履いていっていた靴は屋敷に残されているのです。

 靴箱を開けると、きらきらと輝くガラスの靴が隅に追いやられているのが目に入りました。義姉が一番気に入っていた靴で、手入れもきちんとされています。何しろ今日、シンデレラが磨き上げたばかりなのですから。


(磨いとけって言っといて、新しいのを履いていくんだから)

 一度は押し殺した怒りがふつふつと湧き上がってきました。義姉たちが理不尽なのは今に始まったことではありませんが、怒りが薄れるわけではありません。


(そうだ、急がなきゃ)


 義姉たちへの恨み言はとめどなくあふれてきますが、シンデレラにはあまり時間がありませんでした。義母や義姉たちが帰ってくるまでに仕事を終わらせなければならないのですから、12時の鐘が鳴る頃には家に戻らなければなりません。今は10時を少し回ったところ。今から大急ぎで行っても、舞踏会にいられる時間はそう長くないのです。

 シンデレラは義姉のガラスの靴を取り出して、そっと履いてみました。普段履いている靴とは重さも履き心地もまったく違います。この靴が普通の靴だとすると、シンデレラが普段履いている革靴はまるで石のようでした。


 ですが――――


「少し大きい?」


 シンデレラが歩くたびにかかとが少し浮き上がります。そのたびに靴のふちにかかとがこすれるような感じがしました。きっとすぐに靴擦れをしてしまうでしょう。

 一瞬、シンデレラの中に嫌な予感がよぎりました。


「大丈夫よね」


 シンデレラは自分に言い聞かせるように小さく呟きました。ここまできて諦めることがどうしてもできなかったのです。

 舞踏会に行く決心をして、普段は義姉たちが使っている大きな姿見に自分の姿を映してみました。

 少し型の古いドレスに、シンプルな形の仮面。普通は結い上げてリボンなどで飾る髪は流されるまま、アクセサリーなどは一切つけていません。


(貴婦人に見えるかしら?)


 小さな頃に本で見た貴婦人の姿とは重ならない自分の姿に、姿身の中の自分も首を傾げました。


(これで行くしかないか)

 せめて髪を結い上げればよかったのでしょうが、あいにくシンデレラにそんな時間はありません。

 貴婦人らしく、と自分に言い聞かせながらシンデレラは家を出ました。


***


「こんばんは」


 王宮の前で警備をしていた門番は、不意に響いた美しい声に思わず姿勢を正しました。彼の前には優雅に微笑むひとりの貴婦人が立っていました。


「こんばんは。招待状を拝見してもよろしいでしょうか?」

「ええと……私招待状を頂いたのだけれど、不注意で無くしてしまいましたの。それでは、やはり中に入れていただくわけには参りませんよね」


 小さく溜息をついた貴婦人に、門番はドンと胸をたたきました。


「貴女のような貴婦人には、王子もぜひお会いしたいことでしょう。中に入ってくださって結構ですよ」


 視線の先の貴婦人は、多くの貴婦人を見慣れている門番でさえ溜息をつきたくなるような、そんな優雅な動きで一礼をしました。


「本当にありがとうございます。お勤め大変でしょうが、がんばってくださいませね」

 その動作に門番が見とれている間に、貴婦人は王宮の中へ続く廊下を歩き始めました。


(一応、嘘は言ってないと思うんだけど……。でも私、貴婦人じゃないわよね)


 門番は知る由もなかったのですが、この時その貴婦人は胸の中でこんなことを思っていたのです。


***


 ホールに辿り着いたシンデレラの目に飛び込んできたのは、きらびやかな色の洪水でした。

 くるくると軽やかに舞う、ありとあらゆる色のドレス。天井ではシンデレラが本の中でしか見たことのないような豪華なシャンデリアが、明々と灯っています。


(すごーい!)


 無意識のうちに、シンデレラの表情は輝き始めました。小さい頃から憧れ続けた光景が、今シンデレラの目の前に広がっているのです。手を打ってはしゃぎたくなる衝動を何とか抑えながら、シンデレラはホールをぐるりと見渡しました。


(あれが王子様か)

 ホールの中央あたりに、多くの娘たちに囲まれた男性がいました。遠目なのでよくはわかりませんが、王子様はシンデレラよりもほんの少し年上のように見えました。


(あそこにいかなければ大丈夫)


 ホールは広いので、あそこに近寄りさえしなければシンデレラが義母たちに見つかることはないでしょう。そう思ってシンデレラはしばらくの間、ホールの隅からきらびやかな舞踏会を眺めていました。

 途中何度も踊りに誘われましたが、あいにくシンデレラは踊りを知らないのでどのお誘いも丁重に断りました。貴婦人なら誰もが踊りを知っていて当たり前なのです。

 踊りができないということで貴婦人の仮面をはがされてしまっては困ります。

 しかし踊らない舞踏会というのは十分も見ていれば飽きるもの。最初は楽しそうにしていたシンデレラからも、小さく溜息が漏れました。


(どうしよう、帰ろうかな)

 せっかく来たのに帰ってしまうのはもったいないような気もしましたが、シンデレラはこれ以上ホールにいることに耐えられなくなっていました。なんとか貴婦人らしい格好をしても、やはり自分はこの中には入れないということを、改めて見せ付けられたような気がします。

 その上、義姉の靴を無理に履いてきたせいで完全に靴擦れをしてしまいました。今は何とか立っていますが、そのうちに立つことすらもつらくなってしまうでしょう。


(帰ろう)


 もう一度溜息をついて、シンデレラはホールを出ました。その後姿を何人もの男の人が熱心な瞳で見つめていたことになどまったく気づかずに。


***


(まずい、迷った?)


 王宮の入り口に出るだろうと思って選んだ廊下を進んでいくと、立派な庭園のような場所に出ました。夜目にも綺麗な花々が咲き並び、中央には大きな噴水があります。遠くからはホールで流れている音楽が、かすかに聞こえてきました。

 そのふちに誰かが腰掛けているのを見て、シンデレラはそっと近寄りました。


「こんばんは。少しよろしいでしょうか」


 シンデレラの声で弾かれたように顔を上げたその人は、シンデレラよりも二つ三つ年上に見える男の人でした。シンデレラにはよくわかりませんが、その人が身につけているものがかなり立派なものだということは明らかです。目元を隠す仮面はどうやら絹でできているようです。キラキラと輝くビーズや夜目にも鮮やかな金糸や銀糸が仮面を飾っています。

 もしかしたら、貴族の中でもかなり上位にあたる家の人なのかもしれません。そんな人を間近で初めて見たシンデレラは一瞬物怖じしましたが、なんとか落ち着いた声を出すことができました。


「お休み中のところを申し訳ありません。宮殿の門に出る道をご存知ではありませんか?」

「もうお帰りになるのですか?」

「ええ。あいにく踊りは苦手でして」


 シンデレラの答えを聞いてその人は顔を伏せて考え込んでしまいました。


(答え方変だったのかな……?) 


 あせりながら自分の言葉を思い返しているシンデレラの前で、その人は顔を上げました。彼が浮かべていた笑顔を見たシンデレラの胸が、トクンと高鳴ります。

 夜の庭園なのにも関わらず、その人の笑顔がきらきらと輝いて見えました。


「私と踊っていただけますか?」


 困惑するシンデレラをよそに、その人は立ち上がりました。シンデレラが小柄なことを差し引いても、スラリと背の高い人です。さっきまで見下ろしていた相手に逆に見下ろされて、シンデレラの困惑はさらに増していきます。

 とっさに返事を返せないでいると、その人は少しかがんでシンデレラと目線を合わせました。仮面越しの優しい瞳が、シンデレラをまっすぐに見つめます。


「一曲だけでいいのです」

「私、踊りはあまり得意ではなくて……」

「ここでは誰も見ていませんよ」


 そう言うとその人は、笑顔と共にシンデレラの手を取りました。そっと触れられた手は思いのほか力強く、記憶の中にある父の手と少しだけ似ています。


「でも、靴が」

「靴?」


 シンデレラがやっとのことで搾り出した声によって、その人は優雅に膝を折りました。ひどい靴擦れをおこしているシンデレラの足を見て、彼は驚きで目を見張ったようです。白く華奢なシンデレラの足は、いまやガラスの靴によって赤く腫れ上がってしまっています。


「かわいそうに、さぞ痛かったでしょう」 


 心からのいたわりの言葉などかけられたのはいつ以来でしょうか。不覚にも涙がこぼれそうになって、シンデレラは無理やり顔を上げました。


「ですから残念ですけれど踊りは……」

「靴を脱いでしまえばいいではないですか」

「は?」


 膝を折ったままその人は優しく微笑みます。この上なく優しい笑顔でしたが、声は一歩も譲る気配がありませんでした。


「幸い、この庭はきちんと手入れもされていますし。靴を脱いでしまっても差し支えはありませんよ」


 そこまで言われてしまえば、もう断るわけにはいきません。

 なるべく優雅に見えるように微笑んで、シンデレラは小さく頷きました。ガラスの靴を脱いで、噴水のふちにそろえて置きます。ひんやりとした石畳が、火照った足を冷やしてくれました。

 シンデレラが頷いたのを見て、その人は再び立ち上がりました。さっきよりはいくらか強い力でシンデレラの手を握ると、ゆっくりと踊り始めます。

 踊りというものを知らないシンデレラでもそれなりに踊れてしまうほど、その人のリードは上手でした。最初は戸惑いのほうが大きかったシンデレラも、いつしか心の底から楽しんでいました。


***


「わがままを言ってしまって申し訳ありませんでした」

「いえ、とても楽しかったです」


 踊り終わったあとで、シンデレラは自然に笑いました。さっきのように貴婦人らしくと偽った笑みではなく、心の底からのシンデレラとしての笑顔で。


「それで、門へはどう行けばよろしいでしょうか」


 庭園から望むことができた時計塔は、日付が変わる時間を指していました。そろそろ帰らないと、義母たちが帰ってくるまでに言いつけられた仕事を終わらせることができません。噴水のふちに置いた靴に手をかけて、そっと持ち上げました。せっかく痛みが落ち着いた足を再び靴に入れる決心がつかずに、靴を手に持ったままシンデレラはためらいました。

 とりあえず靴擦れがあまりひどくない左足だけに靴を履きます。このまま右足は履かないままで帰ってしまおうかと右手に靴を持ったまま悩んでいると、その右手を包み込むように握りこまれました。


「どうかなさいました?」


 まるで踊っていたときと同じような強さで握りこまれる右手に、シンデレラは首をかしげることしかできません。斜め上にある男の人の顔は仮面に覆われているため、彼がどんな表情でいるのかもわかりませんでした。


「あの?」


 怪訝そうに尋ねるシンデレラの手からその人の手が離れました。ぬくもりがなくなった手を一瞬残念に思ったシンデレラでしたが、その人が次に取った行動を見て目を丸くしました。

 彼は自分の目元に手をやると、おもむろに仮面を取ったのです。


(仮面舞踏会で仮面をはずす。それって確か、そのままプロポーズになるんじゃ……)


 仮面を取って素顔をさらす、この国の仮面舞踏会においてそれはプロポーズの役割を持っていました。

 驚いて声を出すことすらできずにいるシンデレラの前で、その人はにっこりと笑います。

 その笑顔は仮面越しに見たときよりも甘く、まるでシンデレラの胸を溶かすかのようでした。


「どうか、私と結婚してくださいませんか?」

「わ、私は……失礼します!」


 シンデレラは身を翻すと走り始めました。

 ドレスを着ていることも忘れて、顔を真っ赤に染めたまま、ただ走り続けました。

 手から何かが滑り落ち、石畳に当たってカツンと音を立てたような気がしました。


***


 ふと我に返ると、シンデレラはいつの間にか王宮の外にいました。がむしゃらに走るうちに運良く王宮の出口を見つけていたようです。

 走る足を止め、シンデレラは王宮を振り返りました。義母や義姉たちがまだいるであろう王宮。

 もちろん、さっきの庭園で会ったあの人も。


(馬鹿みたい)


 庭園でのことを思い返すと、自然とシンデレラの胸が温かくなります。初めて踊ったダンス、つないだ手から感じられたぬくもり。ゆっくりと踊りながら交わしたいくつもの言葉。最初に見たホールよりも地味な庭園のはずなのに、記憶の中のその場所はきらきらとまぶしいまでに輝いています。

 貴族の中でもかなり上位に位置する家の出であろうあの人にもう一度会えるとは思いません。

 家に帰ればシンデレラは義母たちの召使でしかないのです。


(頷けばよかった)


 じわりとにじんできた涙を慌てて拭い、シンデレラは重い足を引きずるようにして家への道を辿りました。

 走ったせいでドレスにはしわがより、靴は片方しか履いていません。右手に持っていたはずのもう片方は、走ったときに落としてしまったようです。


(なんだか、すごく惨め)


 夢のように幸せな時間を過ごしただけに、夢から覚めたシンデレラはむなしさと惨めさで胸が詰まりそうでした。


***


「シンデレラ!」


 次の日、いつのものように朝食の片づけをしていたシンデレラは、義母の大きな声で呼びつけられました。いぶかしげに思いながら向かった義母の部屋では、義母と義姉たちが落ち着かないように顔を見合わせていました。


「なんでしょう? お義母さま、お義姉さま」


 部屋に入ってきたシンデレラをちらりと見て、義母はベッドの上に置かれた二着のドレスを指差しました。それは義姉たちが昨日の仮面舞踏会に着ていったもので、無意識のうちに昨日のことを思い出したシンデレラは小さな溜息をつきました。


「王宮の使いの方がいらっしゃる」

「は?」

「昨日の舞踏会で王子様がお相手を見つけたらしくてね。ただその方は王子に素性を明かさないまま帰ってしまったらしい。それで今朝、布告が届いたんだよ。昨日の舞踏会に出席した娘は、その時の格好で王宮から来る使いのものに会うようにと」


 義姉たちの着替えを手伝うように、と言って義母は部屋から出て行きました。義姉たちの言うままにドレスのほこりを払ったり、髪を飾るリボンを取りに走ったりしながら、シンデレラは少し不思議な気持ちでいました。


 素性を明かさないまま宮殿を出て行った娘。それはまるで――――


(私のことみたい)


 義姉たちに悟られないようにシンデレラは手を休め、くすりと笑いました。

 シンデレラは確かに求婚されたまま逃げ出しましたが、あの人は王子ではありません。きっとあの時、王子を囲んでいた娘の一人が自分と同じようなことをやらかしたのでしょう。


(本物の貴婦人も結構あわて者なのね)

 義姉たちのやかましい声が聞こえて、シンデレラは止まっていた手を再び動かし始めました。

(ま、この義姉たちだって一応は貴婦人ってなってるんだもんね)


 向けた視線の先では義姉たちがお互いの姿の確認をしています。二人に気づかれないように小さく笑って、シンデレラは義姉たちにアクセサリーが入った小箱を手渡しました。


***


「準備は済んだかい?」

「ええ、お母様」


 シンデレラが普段の仕事をするために部屋から出て行った後、二人の義姉の下に義母が訪れていました。義母の普段以上に張り詰めた雰囲気に、義姉二人が体を硬くします。自分たちに何か落ち度があったのかと、義母には気づかれないように視線を交わします。


「お前、確かガラスの靴を持っていたね」


 不意に義母が義姉の一人に声をかけました。義母の声の中にかすかな困惑の色を感じ取った義姉は、戸惑いながらも頷きました。

 それを見た義母は、義姉二人が驚くようなことを言ったのです。


「王子が見初めた娘というのはガラスの靴を履いていたそうだよ」

「ガラスの靴ですって!?」

「その靴を片方王子のもとに残して、その娘は王宮から逃げてしまったそうだ。つまり、ガラスの靴のもう片方を持っているものが、王子の妃になれるということだよ」


 義母の目が不気味に光ったようでした。


***


「いらしたわ!」

「王宮の方よ!」


 今か今かと外を見ていた義姉たちは、走ってきた馬車を見て大きな声を上げました。この家は町のはずれにあるので、ここに来るまでに未来のお妃は見つかってしまうだろうと思っていたのです。


「ここまで見つからなかったとは。お前たちどちらかに心当たりはあるかい?」


 困惑したように尋ねた義母の前で、二人の義姉は首を横に振りました。


「お前はどうなんだい? まさか隠れて舞踏会に行ったわけじゃあるまいね?」


 そう言うと義母は応接室から箒を持って出てきたシンデレラを見つめました。


「私は行ってません。第一、招待状のない私が入れるわけがないじゃないですか」

「それはそうだけど。お前いつからそんなに口をきくようになったんだい?」


(やば)


 昨日の舞踏会のことを思い出していたシンデレラからは、普段の何も知らないシンデレラを演じる余裕が失われていました。義母の瞳がすっ、と細くなったのを見てシンデレラはあわてました。こういうときの義母をごまかすのは、ほとんど不可能だからです。

 ゴーン、というやけに重い音が聞こえたのはちょうどその時でした。


「いらしたようだね」


 呼び鈴の音を聞いた義母は、義姉たちを応接室に入れながらシンデレラのほうを振り返りました。


「お茶を入れておいで」

「はい」


 忘れようと決めた昨日のことを意識させられるし、朝から走りまわされたりもしましたが、シンデレラは今だけ王宮の使いの人に感謝しました。


***


 かちゃかちゃとお茶の用意をしながら、シンデレラはあることに気がつきました。


(お茶っていくついるの?)


 とりあえず義母と義姉たちの分がいるのはわかっていますが、王宮の使いが何人来たのかはわかりません。応接室に聞きに行こうかとも思ったのですが、さっきのこともあり、なるべく義母のそばに行きたくはありません。


(ま、適当でいいか)

 使いの人は馬車で来たようでしたから、どんなに多くても三人ほどでしょう。そう見当をつけて、シンデレラは応接室へ向かいました。

 応接室のドアをノックしようとした手が、一瞬止まります。


「では、娘たちではないのですね」

「はい、お騒がせしました」


 聞こえてきたのは残念そうな義母の声。それにかぶさるようにして、低い聞きなれない声もします。


(町外れだからうちが一番最後のはずなんだけどなあ? まあ、義姉たちなはずはないだろうけど)


 くすり、と笑ってシンデレラはドアを叩きました。

 澄んだ音の余韻をかき消すように、お入りという義母の声が聞こえてきます。


「失礼いたします、お茶をお持ちしました」


 軽くお辞儀をしながら応接室の中をうかがいました。がっかりと肩を落としている義姉たちと、なんとかして使いの人たちを引き止めようとしている義母。それに半ば以上席から立ち上がりかけていた使いの人らしき人がいました。

 立派な服で身を包んだ二人の男の人です。一人は義母と同じ年代のようでしたが、もう一人はシンデレラよりも二つ三つ上の、ちょうど昨日出会った人と同じくらいの歳の男の人でした。

 その人はシンデレラの声を聞くと、音を立てんばかりの勢いでシンデレラのほうを振り向きました。


「貴女は!?」


 自分を見つめる瞳も、あわてたように叫ぶ声もシンデレラには覚えがありました。

 昨日から何度も思い出したその人が、今シンデレラの目の前にいます。


「探しました」

「な……んで……」


 シンデレラの手からお茶の道具を乗せたお盆が滑り落ちました。がしゃん、と音を立てて床に散らばるかのように見えたカップたちは、すんでのところでその人に受け止められました。その人はカップやポットをゆっくりとテーブルの上においてから、シンデレラをまっすぐに見つめます。

 昨日とまったく変わらないその瞳に、シンデレラの胸は自然と高鳴りました。


「貴女を探していました」


 シンデレラが返事をできないでいると、狼狽したように義母が立ち上がりました。


「これはいったい、どういうことですか!?」


 立ち上がった義母は、そう叫んでシンデレラと使いの人を見つめます。途方にくれたままのシンデレラに代わって、使いの人が口を開きました。


「私が探していたのはこの方です。間違いありません」

「しかし、その子は……」

「本当ですか!?」


 がたん、と音を立ててもう一人の使いの人が立ち上がりました。義母以上のあわてぶりで、シンデレラの隣にいる男の人を見つめます。見つめられた男の人はゆっくりと頷きました。


「本当なのですね、王子!!」

「はあ!?」


 あげられた驚きの声は三つ分。一番大きかったのが、彼の隣にいたシンデレラのものでした。

 それがおもしろかったのか、隣に立つその人は小さな微笑みを漏らしました。


「騙すようなことになってしまって申し訳ありません」

「でも、王子様はあなたじゃなかった!」


 あの時ホールで娘たちに囲まれていたのはこの人ではありませんでした。それに、王子様があんなところに一人でいるわけがないと思ったのです。

 そのことを早口でまくし立てると、その人はわずかに苦笑しました。


「だからさっき『騙すようなことになって申し訳ありません』と言いましたよ」

「わけが、わかりません」

「私は王子の私が目当てのお嬢さんとは結婚したくないと思っていました。だから昨日の舞踏会の時には身代わりを立てたのですよ」

「王子としてじゃなくて、一人の個人として誰かと出会うために?」


 小さく呟いたシンデレラの言葉を聞いて、王子はにっこりとうれしそうに笑いました。


「貴女はとても聡明な方のようですね」

「あなたほどじゃありません」


 口から出た言葉は、わずかに恨みがましい響きを持っていました。

 貴婦人を装って舞踏会に紛れ込んだ自分なんて、この人の足元にも及びません。なにしろシンデレラがだましたのは王宮の門番くらいでしたが、この人は町中の娘たちをだましてしまったのです。

 事実、義母や義姉たちは唖然とした表情のまま、いまだに状況が把握しきれていないようでした。


「それで、昨日のお返事をいただけるでしょうか?」


 不意に王子の態度が改まりました。

 胸に手を当て、シンデレラに向かって宮廷式のお辞儀をしてみせます。


「どうか、私と結婚していただけますか?」


 立派な身なりの男の人が、粗末な服に身を包んだ自分に頭を下げています。考えてみるとこっけいな気がして、シンデレラは声を立てて笑いました。横でハラハラしながら義母やもう一人の使いの人が見つめているのも気にせずに、楽しげに声を上げて笑いました。


「エーラ」


 笑っている声の下からかろうじてシンデレラはそう言いました。今はもう呼ぶ人がいなくなってしまった、シンデレラの本当の名前です。

 今度は王子が少し不思議そうな顔をしました。


「どうぞ、私のことはエーラとお呼びくださいな。これからもずっと」


 シンデレラの最後の一言を聞いた王子の顔がほころびます。

 頭を上げると軽くかがんでシンデレラ――――エーラと目線を合わせました。


「わかりました、エーラ」


***


 その後エーラは王宮へ迎えられ、正式に王子の花嫁になりました。

 そして、いつまでも幸せに暮らしたということです。

シンデレラの本名については、検索したときに出てきた中で有名そうなものを少し変えて使いました。

当初は最後もシンデレラのままだったけど、シンデレラって灰被りって意味だし、あまりよろしくないよねと。

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