出会いと別れ3
はい、続きです。
キキィィィィィィィィィ……
「いやぁぁぁぁっ!?」
「っ!?」
電車の急停止する音、目撃した女性の悲鳴、声にならない息を飲む音。
そのすべてが俺の耳には届かなかった。
聞こえるのは、ただ心臓の鼓動だけ。早鐘のように鳴り響く心音が、うるさいくらいに鼓膜に伝わってくる。
辺りは闇に包まれ光は僅か。
呼吸は荒く、自分を落ち着かせるように酸素供給を繰り返す。
電車は止まることができず目の前を通過していく。
俺は身体を強張らせながら電車の車輪を見送っていた。
「ん……」
微かに声が聞こえた。
俺はハッとし、腕の中にいる本城へと視線を向けた。
ホームから落下した際に落としたのか、眼鏡は失われ綺麗な顔立ちが見て取れる。身体に纏わりついていた【黒い靄】は、次第にその色を薄くしていきスーッと消えて行った。
「本城! 大丈夫か?」
「う……ん……」
本城は寝返りを打つように体を寄せて来た。
これは!? あ、いや、うん、よ、よかった。気を失っているだけのようだ。
呼吸音はちゃんとしているし、心臓の鼓動も伝わってくる。その律動は早い。死に直面したのだから当然だろう。しかし、気を失ったことで、鼓動のリズムは落ち着きを取り戻しつつあるようだ。どちらかというと、意識を保っている俺の鼓動の方が早い。いや、女子を腕に抱いているのも原因の一つだろう。
「助かった、んだな? はぁ」
どうにか本城を助けられ、俺は安堵の溜息を洩らした。
あの時、俺は本城を追って線路へ飛び込んだ。そして、本城を抱えホームの下、退避スペースへ飛び込んだ。そのおかげで九死に一生を得ることができた。
とはいえ、車輪が横切って行くところを目の当たりにすると生きた心地はしない。もう少し遅れていれば、今頃俺たちの身体は……。それを想像すると背筋が凍りつく。
電車が停車し、俺はようやく人心地着けた。
「大丈夫か―――?」
退避スペースに飛び込んだところを見ていたのか、そんな声が頭上から掛けられた。
「はい、大丈夫です!」
とはいえ、退避スペースに飛び込んだ際、豪快に壁にぶつかったから背中が痛い。それだけで済んだのだから贅沢は言えないが。
本城は怪我とかしていないだろうか? 気を失っているから確認のしようがない。触れて確認するわけにもいかないし。
それにしても、
「眼鏡してないと、意外と可愛い顔してんだな」
どんなテンプレだよ。設定盛り過ぎだろ。頭脳明晰、品行方正、眼鏡、美少女、巨にゅ……コホン。本城は意外と着痩せするタイプのようだ。寝返りを打った際に押し付けられたから間違いない。うん、まあ、それはいいとして。本城が隠れ美少女であることがわかった。俺が知らなかっただけで、他のみんな知っていたのかもしれないけど。
それよりも、気になるのはあの時聞こえた声だ。
『見つけて』
聞き間違いでなければ、悲し気な声で『見つけて』と言っていた。
三郎が話していた噂だと、『見つけて』ではなく『見つけた』のはずだ。どういうことだろう? また別の噂話があるのだろうか?
すると、再び耳鳴りがした。
『見つけて』
耳元で先ほどと同じ悲し気な声が聞こえた。もちろん本城の声ではない。やはり聞き間違いではなかったようだ。
背筋がヒンヤリとするが、今回は金縛りはなかった。
何を見つけてほしいのだろう?
『お願い……見つけて』
お願いと言われても、何を見つけたらいいのか……正直困る。
一応周囲を見てはみるが、周囲は石ばかりだ。大きな物ならすぐに見つけられるはずだが、小さな物だと見つけるのは難しいだろう。石より小さいモノなら最悪……ん? 何か光ったような……。
俺は目を凝らして見た。
(これか?)
線路に敷き詰められた石の隙間に光るものを見つけた。
俺は石を掻き分けそれを拾い上げる。
「指輪?」
何かの宝石が埋め込まれた指輪を見つけた。内側を覗いて見ると、「KtoN」と刻まれていた。
KとN、イニシャルだよな? あまり詳しくはないが、「to」という事は婚約指輪だったような? たしか婚約指輪には「to」、結婚指輪には「&」と刻印することが多いとか。違ったかな? まあいいか。
探し物はこれだろうか。
「これ、ですか?」
俺は虚空を見つめ、指輪を乗せた手を恐る恐る差し出した。
すると、手を包み込むような冷たい感触が伝わって来た。それと同時に、この人の想いが、記憶が伝わって来た。
小島法子は佐藤和夫からプロポーズされた。彼女は嬉しさのあまり涙を流して了承し、婚約指輪を受け取った。
式に向け、彼女は彼が自慢できる花嫁になろうと、綺麗になることを決意しダイエットをはじめた。もちろん彼のためだけではない。記念すべき結婚式、この先ずっと残る記録を綺麗な状態で残したかったのだ。世の女性ならばその気持ちを理解できるだろう。
そして式一週間前、努力の甲斐あり彼女は目標体重に達することができた。彼も喜んでくれて彼女は幸せでいっぱいだった。これで何の愁いもなく式を迎えられる。この先辛いこともあるだろうけれど、彼と一緒なら幸せな毎日が続くと信じられた。
しかし式二日前、その幸せは脆くも崩れ去る。
彼の下へ向かおうと電車を待っていると、そこで悲劇が起こった。
ダイエットの副産物、彼女は体だけでなく指も細くなっていた。そのため婚約指輪がするりと抜け落ちてしまった。
指輪はコロコロと転がり、線路へと落ちていく。
彼女はそれを追い……。
キキィィィィィィィィィ……
電車の急停止の音が響き、彼女は亡くなった。
大切な婚約指輪を失ったまま、彼女は命を落としてしまった。
そうか、「KtoN」和夫から法子へ、という事か。
三郎の話のほう子というのは、法子を読み違えたものだったのか。もしくは彼女の無念を思い、わざと変えられていたのかもしれない。そして彼女は、大切な婚約指輪をずっと捜し続けていたのだろう。
とはいえ、噂とは全く違う内容だった。
『ありがとう』
嬉しそうな声が聞こえた。
気が付くと目の前に女性が佇んでいた。髪をポニーテールに束ねた綺麗な女性、もちろん本城ではない。明らかに透けている。この世ならざる者だろう。
「法子さん、ですか?」
俺が訊ねると、女性はフッと微笑んだ。こちらが赤面しそうなほど綺麗な微笑みだった。とても噂のようなことをするようには見えない。あの噂のように憎しみで人を引きずり込んだのではなく、指輪を探してほしかっただけなのだろう。
「これでもう、誰も巻き込まなくて済みますね」
俺が訊ねると、彼女は悲し気に首を横に振る。
『……私じゃ、ない』
彼女はそう言うと、スッと指差した。
俺は彼女が指差したものに目を向ける。
「……っ!? こ、これって……」
俺はゾクリとし、身体を強張らせた。
彼女は悲し気に微笑んでいる。
そういう事だったのか。これまでのことはすべて……。
「わかりました。後のことは俺が、法子さんはどうか安らかに」
『……ありがとう』
彼女はもう一度礼を言うと、スーッと消えていった。
俺の手にあった指輪も、いつの間にか消えていた。
◇◇◇
駅員に救出された俺たちは駅の事務所で治療を受けた。幸いにも、二人共軽い打ち身と擦り傷だけで済んだ。
その後、警官が訪れ事情聴取が行われた。
警官、駅員共に本城が自殺を図ったのだと思っているようだった。俺の制止を振り切り自殺しようとしたのだと。
本城がどんなに否定しても信じてくれない。状況から見てもそう思われても仕方がないだろう。
しかし、そんなはずはないのだ。本城はそんな素振りはこれっぽっちも見せていなかった。何よりそうでない証拠がここにある。
俺はここに集まる顔ぶれに目をやる。
駅員、警官、警官、駅員、……いた。
駅員たちに紛れ、心配そうに見守る者が。しかし目には感情が見られない。どこかわざとらしさが感じられる。一度疑ってしまうと、すべてが疑わしく感じる。
俺はその人物を指差し言い放った。
「その人が本城を突き落としたんですよ」
警官、駅員たちの視線がその人物に集まる。
「な、なにを言い出すんだキミは!?」
男は狼狽し声を上げた。本城も驚き、その男と俺の顔を忙しなく交互に見ている。
その男はこの駅の駅員、あの時、あのホームに、あの花の側に立っていた駅員だった。
「なぜ私がその子を突き落すんだよ。私にはそんなことをする理由がない」と、最もな言い分を口にする。警官や他の駅員たちも同様で、まったく信じていないようだ。
しかし、さっきも言ったように証拠はある。
俺はそれを提示した。
「これを見てください」
それを見た警官、駅員たちは目を丸くし、容疑者である男から一歩距離をとった。
当の男は驚愕の表情でそれを見ていた。
それは俺のスマホだ。スマホの画面には、本城を突き落とす瞬間の男の姿が映し出されていた。
「これは、俺がたまたま撮影していた画像です」
嘘である。
そんなたまたまがあってたまるか。百歩譲って、たまたま強く握ってしまって偶然撮影してしまったとしても、ここまではっきりくっきりと写るはずがない。
これは法子さんが残してくれた証拠だ。彼女たちの無念が残してくれた証拠だ。
霊が残したものは証拠能力としてはグレーどころか真っ黒だが、霊なんて誰も信じはしない。俺が撮影したと言えば信じるしかないだろう。どんなに偽物だと言おうと、撮影日時も当時のもの。この短時間で合成なんてできない。
何より、この画像を見るこの男の表情が疑いようのない証拠だろう。後は捕まえて取り調べればボロボロ証拠が出てくるはずだ。……たぶん。
愕然としていた男は視線を俺に向け、憎しみにも似た表情で睨みつけてきた。そして、スマホを奪おうと飛び掛かろうとしてきた。
が、もちろん目の前に警官がいる為、すぐに取り押さえられた。
当然だ。何人も殺してきた男を相手に、安全でないところで画像を見せたりはしない。警官がいるこの場だからこそ見せたのだ。
男は警官に連行され、俺はスマホ(画像)を証拠品として提出した。
時間も時間だった為、明日改めて話を聴きたいと言われ、俺達は今日のところは解放された。
◇◇◇
数日後、俺は報告を含め、駅のホームに来ていた。
ホームの柱、手向けられている花の前にしゃがみ手を合わせる。
警察署に行った際に聞いたのだが、これまでに人身事故で亡くなった女性はすべて、あの男の手による犯行だったらしい。それは警察での取り調べや、あの男の部屋の家宅捜査で出た証拠で判明し、裏付けも取れたようだ。あの男は犯行を行った相手、櫻木先輩を含め被害者4人の写真を所持していた。犯行を行う前から目をつけていたのだろう。新聞に記載してあった内容では、以前ポニーテールの女から結婚詐欺に遭い、全財産を奪われたそうだ。その恨みを晴らすように、同じポニーテールの女を狙い逆恨み的な犯行を繰り返していたらしい。
酷い目に遭わされたことに対しては同情するが、だからと言って関係のない人の命を奪っていいはずがない。やはり俺には理解できなかった。
あの男がすべての人身事故に関わっていることは、あの画像を見てわかっていた。
画像には、男が本城を突き落とす場面の他に別のモノが映り込んでいた。
それは無念に顔を歪めた女性たち5人の姿。その中に櫻木先輩や法子さんの姿もあった。彼女たちは皆一様にポニーテールに髪を結い、男を睨みつけていた。ある者は男の首に手をかけ、ある者は犯行を止めるかのように男の腕を掴んでいた。
見知った顔がある為控えめに言ったが、知らない人が視たなら、悪霊に取り付かれた男の画像に視えただろう。顔が青ざめること必至だ。それほどの恐怖心霊画像だった。
さて、ここで一つ疑問が残ると思う。
心霊画像には5人の女性が映り込んでいた。しかし、あの男の部屋には4人の写真しかなかった。残りの一人、法子さんの写真だけがなかったのだ。
それはなぜか。
おそらく、最初の被害者が法子さんだったからだろう。彼女が指輪を落したところをあの男が偶然見てしまい、彼女が捨てたのだと勘違いした。それをあの男は、彼女も結婚詐欺をはたらいているのだと思い込み、その被害者と自分を重ね、憎しみに駆られて衝動的に彼女をホームから突き落としてしまった。それから歯止めが利かなくなり、犯行を繰り返したのだろう。だから法子さんの写真だけがなかったのだろう。
これはあくまで、法子さんの記憶から導き出した俺の推測でしかない。
法子さんは、指輪を拾うために自分から線路に飛び込んだわけではない。指輪は電車が通過した後に駅員に頼んで回収すればいいのだから、そんな危険を冒す必要はない。彼女は指輪の位置を確認し、ハラハラしながら電車が通過するのを待っていた。そこをあの男に突き落されたのだ。
法子さんの写真が男の部屋になかった為、立件は難しいだろう。男もだんまりを決め込んでいるようだし、法子さんの死にあの男が関わっていることを証明できない。
まったくやりきれない話だ。
法子さんの霊が教えてくれたとも言えないし、心霊画像も証拠にはならない。
そもそもあの画像を見た人たちの反応から、彼女たちの姿は俺にしか視えていないようだからな。
あの姿を視せることができれば、法子さんへの犯行も捜査してもらえるかもしれないというのに。そして、あの男は一生恐怖で震えながら生きていくことになるのに。
しかし、法子さんは満足そうに消えて行った。指輪も見つかり、あの男が逮捕されればそれでよかったのかもしれない。
でも、他の4人はどうだろう。
俺にしか見えない心霊画像。彼女たちは俺に無念を晴らしてほしかったんじゃないだろうか? でも、あの男は生きている。あれでよかったのだろうか?
とはいえ、人殺しなんてできない俺にはこれが精一杯なのだが。
『ありがとう』
不意に声が聞こえた。
顔を上げると、あの画像に移り込んでいた女性たちの姿があった。その姿は薄く透け、今にも消えてしまいそうだった。
彼女たちは画像とは打って変わり、満足そうに微笑んでいた。
その表情でわかる。どうやら俺は、彼女たちの無念を晴らせたようだ。
『キミのおかげで、私たちは成仏できるわ。ありがとう』
「櫻木先輩……」
随分とはっきり聞こえる声だった。心なしか他の霊たちよりはっきり視えるような……気のせいか?
『これはお礼ね。あと、あの時のお詫び』
「え、いや、お詫びって」
自転車で暴走してきたときのことか? 確かにお詫びをすると言っていたが、そのために成仏せずに残っていたのだろうか。
櫻木先輩は俺の手を握り、ある物を手渡してきた。
……ミサンガ?
「随分と懐かしいものを……」
『別にいいでしょ。もう、生意気なんだから……』
櫻木先輩はプイッとそっぽを向いた。年上だというのに随分と可愛らしい仕草をするものだ。とても死んでいるとは思えない。
「ありがとうございます。大事にしますね」
俺がお礼を言うと、櫻木先輩はフフッと微笑んだ。
すると、背後から声を掛けられた。
「勇人君? こんなところで何してるの?」
以前聞いたことのあるような、一部変わっているような。
振り返ると、制服のスカートを翻した女子高生が立っていた。すらっと伸びる白い脚が眩しい。眼鏡はしていない。コンタクトレンズに変えたのだろうか?
「……本城。何って、見ればわかるだろ?」
「それは……まあね」
本城は俺の隣にしゃがみ手を合わせる。
彼女たちの冥福を祈っているのだろう。同じ境遇であり助かった者として。
本城にはもう【黒い靄】は纏わりついていない。あの男が逮捕されたことで、向けられていた悪意は消えたのだ。
そうそう、本城への犯行は突発的なものだったらしい。部屋に写真がなかったことからもそれは事実だろう。そもそも本城は、あの日たまたまポニーテールにしていただけで、それであの男に目を付けられただけだ。だから【黒い靄】が急に現れた。ポニーテールにしていなければ、狙われることはなかったのだろう。ていうか、女子高生に目を付けた時点で犯行動機がおかしいような……もう見境がつかなくなっていたのか?
その考えに首を傾げていると、背後から声が聞こえて来た。
『じゃあね』
振り返ると、そこに彼女たちの姿はなかった。
天に帰ったのだろう。
無念の晴れた彼女たちが、再びここに戻って来ることはないだろう。ようやく安らかに眠れるのだ。
俺はもう一度手を合わせ、別れの言葉を告げた。
(さようなら、先輩)
俺の名前は神野勇人、高校二年16歳。人に視えないものが視える、視えてしまう目を持っている。 神か悪魔か、誰がこの目を俺に授けたのかはわからない。でも、俺の目には確かに人に不幸を招く【黒い靄】が視える、視えてしまうのだ。
この目と一生付き合っていかなければならないのか、それとも一過性のもので、直に失われるのかはわからない。しかし今現在、厄介事を招く目であることは確かだ。今回はいい方向に傾いたけれど、悪意なんて視えなければ視えない方がいいに決まっているのだから。視えてしまえば、それをどうにかしようと考えてしまう。「君子危うきに近寄らず」なのに……。
「ところで本城。さっき下の名前呼ばなかったか?」
「え!? ダメ?」
次話でプロローグ的な話は終わりです。