出会いと別れ2
はい、続きです。
その日の帰り、俺は三郎を呼び止め途中まで一緒に帰ることにした。
三郎と話がしたいというわけではない。ただあの噂が気になっていたのだ。あの沈んだ雰囲気の中、「その噂って何?」なんて聞けるほど俺の神経は図太くない。噂好きの三郎ならきっと知っているはずだ。
特別な話をするわけでもなく、他愛ない話題を三郎は振って来る。その所為で俺はなかなか噂について切り出せないでいた。
しばらくどうでもいい会話が続き、ようやくネタが尽きると一瞬の間が空いた。
俺はここだ! と思い「あ、そういえば」と、思い出したようにわざとらしく切り出した。
「今朝の話の続きなんだけどさ」
「今朝の?」
三郎ははてな? という表情で今朝の事を思い返していた。
「ん~人身事故のことか?」
「そうそう。でさ、あの時雅治が『噂』とか言ってただろ? 噂ってなんのことだ? 櫻木先輩の事故と何か関係があるのか?」
「噂? ……ああ、ホームのほう子さんか」
「ホームのほう子さん? ……トイレの花子さんかよ」
俺は白けた感じでツッコんだ。というか完全に白けてしまった。言うに事欠いて「ホームのほう子さん」とは、嘘臭いにも程がある。聞いて損した気分だ。自分から聞いておいてなんだが、こいつバカなんじゃないか? という視線をぶつけてやった。
「まあ、聞けって。昔、結婚を誓い合ったカップルがいたんだけど、結婚間近のある日、男は別の女と逃げてしまった。その男、実は結婚詐欺の常習で、騙した女から金だけいただいて逃げたんだよ。いや、正確には男と一緒に逃げた女の方が主犯なんだけど、男はその女に唆されて詐欺を働いていたんだ。まあ、唆されたのか、わかっていながらやっていたのかはわからないけどな。で、騙された女って言うのが『ほう子さん』だ。ほう子さんは、その女さえいなければ男は逃げなかったはずだと思い込み、その女を捜して殺して男を取り戻すことを考えた。そして駅で女を見つけ、ホームから突き落そうとした。でも、過って自分が落ちてしまい、そのまま電車に轢かれて死んでしまった。死んでもなお恨みの晴れないほう子さんは、悪霊となって憎い女を捜し、次々に線路に引きずり込むようになったらしい。で、その際に耳元で『見つけた』って言うらしいぜ」
三郎は迫真の演技で「見つけた」と言っていたが、俺は無表情で三郎を見返してやった。真偽のわからないただの噂話だから仕方がない。噂どころか三郎の作り話という疑念もある。そもそも悪霊ってなんだよ。人が亡くなった後にする話でもないだろう。不謹慎極まりない。話を振ったのは俺だけど。
とはいえ、俺はある一点が気になっていた。
「それって無差別に引きずり込むのか?」
「いや、ちゃんと選んでるぜ」
「何を?」
「ポニーテール」
三郎はありもしないポニーテルを自身の頭に空想し、手で持ち上げ弄んでいる。
男を唆した女がポニーテールだった。だから、ホームで見かけたポニーテールの女をその女と思い込み引きずり込んでいるってことか? 恨みが強すぎて相手を間違えてることに気付いていないのか? ほう子さん、ちゃんと相手を確認しようぜ。
まあ、あくまでも噂なんだけど、奇しくも櫻木先輩も同じ特徴を有していた。
◇◇◇
俺は彼女を死なせてしまったのかもしれない。
俺が櫻木先輩を呼び止めたのには理由がある。綺麗な女性との出会いを大切にしたかった、というのもあるけれど、それだけではない。重要視していたのはこれから話す方だ。
あの時、俺の目には先輩の身体に見えるはずのないモノが視えていた。先輩の身体に纏わりつくように【黒い靄】のようなモノが視えていた。それはよくないモノ、嫉妬や殺意、悪意や負の感情といったものが可視化したモノだ。それに纏わり憑かれた者は不幸に見舞われる。その靄の濃さによって不幸の度合いが変わるが、真っ黒になると命を落とす危険性がある。そして、それが他の人には視えていないことも、今までの経験で理解していた。。
しかし、今朝先輩に纏わりついていた靄は命を落とす程の濃さではなかった。あの薄さなら怪我をする程度だったはずなのに。だから俺も、そこまで強く言わず注意だけに留めたんだ。
でも、それが逆に仇となってしまったのかもしれない。俺の言葉より、俺に対する不信感、気味の悪さが強調され、注意力が散漫になってしまったのかもしれない。その所為で彼女は死んでしまったのかもしれない。どういう経緯で亡くなったのかはわからないが……。
俺はそれを後悔していた。
もしあの時、もっと強く警告できていれば、結果は変わっていたかもしれない。彼女は死なずに済んだのかもしれない。
すべては可能性の話で、もう手遅れなのだが……。
◇◇◇
三郎と別れた俺は、駅に到着しホームを見上げた。
G駅は北と南に入り口があり、一階は南北の入り口を繋ぐ通路となっていて、切符の券売機と改札がある。二階がホームになっていて、北側にはT市方面の上りが二本、O市方面の下りが二本T海道本線が走り、南側にはM鉄線が走っている。
今は北側の入り口前にいるのだが、当然ここから見上げたところでホームは見えない。
ホームへ行くには入場券を買う必要があるが……。
俺は財布と相談する。
……いや、あるよ。あるんだけどね。学生の身としては入場券程度の値段でも積み重なると痛いんですよ。その為、花も買っていないという始末。祈る気があるのかと文句を言われても仕方がない状態だが、その分気持ちを込めて祈らせてもらいます。
などと言い訳じみたことを考えていると、背後から声を掛けられた。
「あれ? 神野君? こんなところで何してるの?」
「ん?」
振り返ると、セーラー服で身を包んだ女子高生が立っていた。
「だれ?」
しかし、夕日の逆光で顔が見えず、誰だかわからない。一つわかることは、後ろに束ねたポニーテールが彼女の動きに合わせて揺れている事だけだった。
「誰って、失礼ね。クラスメイトでしょ!」
「え?」
夕日の光を手で遮り角度を変えると、顔がはっきりと見えた。この眼鏡は今年から同じクラスになった眼鏡女子、クラス委員長こと本城玲奈だ。本城は成績優秀品行方正完璧超人ここに降臨! といった感じに立っていた。
「本城……」
ヘアースタイルがいつもと違うから気付かなかったが、一部が変わるだけで随分と印象が変わるものだ。俺が言うのもなんだが、正直見違えた。普段は髪を下ろしていて、どちらかというと地味目な印象だったけど、ポニーテールの今は影の部分が減って華やかに見える。
本城は俺の視線に気づき、頭の後ろに束ねた尻尾の先を手で持ち上げて見せる。
どうやら、俺がポニーテールを気にしているのだと思ったようだ。
「ああ、これ? ほら、今日の最後の授業体育だったから」
と、本城は簡潔に言う。
つまり、授業で邪魔になるから、髪を結い、面倒だからそのままにしていたらしい。
ぶっちゃけ、こっちの方が断然いいと思う。ポニーテール好きだと指摘されそうだが。
俺が黙り込んでいることに不安を感じたのか、心配そうに訊ねて来た。
「へ、変かな?」
「……」
「神野君?」
ボーッとしている俺の顔を、本城は怪訝そうに覗き込んできた。
「え? い、いや、似合ってるからいいんじゃないか。まあ、見慣れないから少し違和感はあるけど」
俺は身体をのけ反らせ、率直な感想を述べた。正確には少しドギマギしていたんだけど。
本城は「そ、そう?」と、少し照れたように尻尾を弄んでいる。そして、照れ隠しなのか聞いてもいないことを口にした。
「一度結っちゃうと、跡が付くから解けないのよ。梳いても直らないし……」
しかし俺は、別のことに気が向いていた。
本城のポニーテールが思いのほか似合っていたから見惚れていた、というのもあるが、眼鏡を取るとどうなるのだろう、髪にウエーブをかけたり染めたりすると大人びて見えそうだ、などと想像していたりした。
本城の顔をまじまじと見て黙り込んでいる俺に、本城は居心地の悪そうな視線を向けている。
「な、何?」
「え? いや、なんでもない」
勝手に想像を膨らませていたなどと言えるはずもない。ほぼはじめての会話で変態認定されてしまう。そしてその噂が広がり、これから一年みんなから白い目で見られることになってしまう。それは嫌すぎる。
またしても本城の顔を見つめ黙り込む俺に、本城は怪訝そうに訊ねて来た。
「もう何なのよ。さっきから人の顔をじろじろ見て」
「あ、ごめん」
俺はそこでようやく視線を逸らした。
本城は忙しなく髪を弄び「別にいいけど」と呟いて同じく視線を逸らした。
そして、一つ咳払いすると最初の質問に戻った。
「それで、神野君はこんなところで何してるの? 神野君、電車通学じゃないわよね?」
確かに俺の家はすぐそこ、ではないにしても、ここから徒歩で10分程度のところにある。電車を使うと無駄に遠くなってしまう。
つまり、「ここに用はないでしょ? 寄り道してないで早く帰りなさいよ」と言いたいようだ。さすがは委員長、真面目だ。
しかし、俺には用事がある。その為に遠回りでもこのG駅に来たんだからな。
「用があるからここに来たんだよ」
「ふ~ん、用事ねぇ?」
本城は疑わしそうな視線を俺に向けてくる。
通常なら俺がここに来ることはないのだ。だから疑うのも無理はない。何を疑っているのかはわからないが。
「本城は今から帰るのか?」
「ええ、そうよ。そうじゃなかったら駅には来ないわよ」
「だよな」
本城は電車通学、駅に来るのは帰るからに決まっている。いや、誰かと待ち合わせという線もあるが、今日は普通に帰るようだ。
「よし、見送ってやろう」
「は? なんで?」
本城の表情に困惑と警戒の色が浮かぶ。
「まあまあ、俺もホームに用事があるんだよ」
と言って、俺は入場券を買うために券売機へと向かう。
俺が入場券を買っている間に、本城はお構いなしに改札を通りホームへ向かってしまった。
おいおい、見送るって言ってるのに置いて行くことないだろ。待っててくれてもいいのに、そんなに俺と一緒にいるのが嫌なのかよ。朝の男の子といい本城といい、俺って嫌われてるのか?
俺は急いで改札を通り、本城の後を追った。
本城はT市方面、上り方面のホームへ向かっていた。
ホームへ出ると、本城は2番線の柱の側の乗車位置に立っていた。電車はまだ来ていない。
俺が本城の隣に立つと、本城はボソリと呟いた。
「さすがにもう運行してるみたいね」
事故があったのは今朝のことだ、さすがに現場検証なども終わっている。時刻表通りではないにしても、電車は運行しているだろう。夕方のこの時間ともなれば、乗客は何事もなかったようにホームに並んでいる。学生に社会人、ベンチにはキャップを被った人がボーッと線路を見つめている。これもいつもの風景なのだろう。
ただ、駅員からは多少の緊張が見て取れた。人身事故が起これば気を引き締めもするだろう。
ん? 駅員の一人が柱に向かって立っている。その足元、柱の根元に花が手向けられていた。
あの辺りで事故が? じゃあ、そこの線路で櫻木先輩は……。
あの駅員は先輩の冥福を祈っていたのだろう。
まだ時間もあるし、用事を済ませておくか。
「ちょっと用事済ませてくる」
「え?」
俺が花の手向けられている柱に近づくと、その駅員は俺に気付いたようで、軽く会釈しその場を立ち去った。
俺は先ほどまで駅員が立っていた場所に立ち手を合わせる。そして瞳を閉じ冥福を祈った。
すると、微かにキーンと耳鳴りがした。
『……よくも、私を……』
「っ!?」
その冷たい声に背筋がゾクリとした。
顔を上げると側には誰もいなかった。
……気のせい? 空耳か? いや、そんなはずはない。この耳にはっきりと聞こえた。今の声は、確かに彼女の……。
「神野君、櫻木先輩と知り合いだったの?」
不意に背後から声を掛けられ、俺はビクッと肩を揺らした。これは少し恥ずかしい。笑われていないようだから、気付かれてはいないようだ。
俺の後について来ていたのだろう。本城は手向けられている花に手を合わせる俺を見て、俺が櫻木先輩と知り合いだったのだと勘違いしたようだ。
俺は背中越しに答える。
「いや、今朝、ぶつかりそうになっただけ」
「え? それだけ?」
それはただの赤の他人、そんな浅い関係性の相手の為に手を合わせるのだ、不思議に思っても仕方がない。いや、優しい人だと思われるかもしれない。
「まあ、少し話をしたからな」
「へ~」
知り合いではないのだとわかると、本城は興味を失いおざなりに返事をした。そして「じゃあ私も」と言って俺の横に立ち、そっと手を合わせた。本城の口調から察するに、本城は櫻木先輩と知り合いだったのかもしれない。
俺は祈りを終え、本城に視線を向けるとギョッとした。
手を合わせている本城の身体に、【黒い靄】が纏わりついていた。それもかなり濃く。この濃さは命に係わる濃さだった。
どうしていきなり? ついさっきまで何も視えていなかったというのに、この一瞬で悪意を向けられたという事か? いつも使っている駅だぞ? そんなことがあり得るのか?
―――いや、ちょっと待て。まさかとは思うが……。
目を開けた本城が、自分を視る俺の表情に驚き狼狽する。
「な、何よ。そんな幽霊でも見るような顔して。失礼じゃない?」
「え? あ、ごめん」
俺はそんな顔をしていたのか?
確かに、この目にしたのは見えるはずのないモノ。おまけにいきなり現れたんだからそんな顔になっても仕方がないだろう。
それよりも、三郎の話を信じるわけではないが、これでは信憑性が増してしまう。本城がいきなり人に恨まれるとは思えない。となると別の何かという事になる。信じられないが、女の悪霊が恨みを晴らすためにポニーテールの女を捜しているのか? だから、ポニーテールの本城に悪意を向けているのか? 櫻木先輩もそれで?
そんな馬鹿な。事故に決まってる。本城だって今日たまたまポニーテールにしていただけだぞ? 悪霊だなんて……。
俺は頭を振り、その考えを掻き消した。
とりあえず噂は置いておくとして、【黒い靄】がこうも濃く纏わりついているという事は、本城もここで事故に巻き込まれるという事かもしれない。
事故なら、俺でも防ぐことができるかもしれない。これから起こるかもしれない本城の不幸を防ぐことができるかもしれない。俺が本城を護ればいいだけのことだからな。
俺が一人黙り込んでいると、俺が落ち込んでいると勘違いしたのか、本城が心配そうに声を掛けて来た。
「どうしたの? 大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。本城は俺が護ってやる」
「え?」
頭で考えていたことをそのまま口に出してしまい、本城は困惑と照れの入り混じったような表情になってしまった。
もちろん、深い意味はない。一生と言ったわけでもないんだし、本城だってわかっているはずだ。
その証拠に、本城は俺のことなど気にも留めず、俯いてスタスタと乗車位置まで戻って行った。
俺も急ぎ足で本城の下へ向かい周囲を警戒する。
とはいえ、ホームにいるのは帰宅途中の乗客がいるだけで、あとは駅員くらいだ。不審人物などそうそういやしない。
俺はスマホを取り出し時間を確認する。まだ帰宅ラッシュの時間帯ではないが、これから混雑するかもしれない……。
屋根が崩れるという心配もなさそうだ。
あるとすれば、突風に煽られて線路に落ちることくらいか。しかし、特に風が強いという事もなさそうだ。
他に事故りそうなところはないか?
ホーム内に危険な箇所がないか視線を走らせていると、
プルルルルルルル……
と、電車の到着を報せるベルが鳴り響いた。そして「線の内側までお下がりください」というアナウンスが流れる。
線路のはるか遠くに、小さく電車が見えた。もうすぐ電車が入って来る。
俺達は線の内側にいる。風はない、不審人物もいない、屋根も健在だ。事故が起こる要素は今のところない。
チラリと本城を確認すると、【黒い靄】は一段と濃く纏わりついていた。
階段を駆け上がって来た乗客が次々と増え始める。電車がすぐそこまで迫って来る。
やはり、このタイミングなのか? 嫌な予感が膨らんでいく。
ここはダメだ。
俺はここにいるのはまずいと思い、咄嗟に本城の腕を掴んだ。
本城の顔に困惑の表情が浮かぶ。
しかし、今はそんなことを構っている場合ではない。俺は強引に本城の腕を引き、線路側から遠ざけようとした。
すると、キーンと耳鳴りがし周囲の空気が変わる。そして、背筋がゾクリと凍りついた。
『見つけ……』
俺の耳元で悲し気な声が囁いた。
俺は金縛りにあったように動けなくなってしまった。
そこへ、
「キャァァァァァァッ!?」
と、女の悲鳴が耳に飛び込んできた。
俺はハッとし、同時に金縛りが解けた。
悲鳴の聞こえた方へ顔を向けると、俺の手から放れた本城が線路へ落ちていくところだった。
本城の顔は驚愕と絶望に彩られていた。
「本城―――っ!?」
俺を嘲笑うかのように、【黒い靄】は本城の身体を覆い隠そうとしていた。