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- After Story 章吾視点・1 -

――あの日から十五年。


僕は心臓外科医になった。


もう三十一歳。


当たり前だけどチィちゃんも生きていたら同じ三十一歳だ。




(でも、きっとチィちゃんは三十一歳には見えないんだろうね?)


僕は引き出しの中からチィちゃんの写真を出して眺めていた。


写真の中で笑っているチィちゃんは今もあの日と同じ十六歳のままだ。




あの日、たくさんの笑顔を僕に見せてくれた。


大きな花壇の前で太陽の光をいっぱい浴びながら笑っているチィちゃんは本当に可愛くて、


僕の一番のお気に入りの写真になった。


それをいつも引き出しの中に入れていてオペの前に必ず『頑張ってくるね』と言ってから


オペ室に入っている。






     ◆  ◆  ◆






(チィちゃん、今日のオペも成功したよ)


オペが終わると僕は病院の屋上へ出て空を見上げながらチィちゃんに報告をする。


すると、晴れている日は優しい風がふわっと吹いて僕の頭を撫でてくれる。


厚い雲が空を覆っている日は少しだけ太陽が顔を覗かせて僕に微笑みかけてくれる。


夜は流れ星が見えたり、キレイな満月が見えたり。


そんな風にちょっとだけ嬉しい“ご褒美”を僕にくれるんだ。





「並枝先生」


そして、今日もオペが終わった後、いつものように空を見上げていると後ろから


聞き覚えのある声に呼ばれた。


誰だかもうわかっている。


看護師の有川さん、僕がいつもオペをする時に助手をしてくれている医大時代からの友達だ。




「お疲れのところすみません。田中さんのご家族の方が先生とお話がしたいと


 仰ってるんですが」




「うん、わかった」


有川さんは医者と看護師として会話をする時は今みたいに敬語で話す。


僕としては別に学生の時からずっと一緒に頑張って来た仲なんだから、


別にそんなの気にしなくていいのにって思う。




彼女と出会ったのは大学の時。


僕は医学部医学科、彼女は医学部看護学科で合同実習でよく一緒になっていた。


注射や採血、点滴の練習台、後は包帯を巻いたり、ギブスや血圧を測る練習台にもなったり。


お互いいろいろ練習台にして、時には励まし合ったりもしたいわば“戦友”みたいなものだ。




しかし、彼女は僕が“研修医”から正式に“医師”になった時から僕に対して敬語になった。


もちろん、二人きりの時は友達としてタメ口で接してくれるけれど。




「田中さん、今後の治療方法をもう一度先生から説明して頂きたいみたいなんです」




「そう……、昨日の説明、少し僕の言葉が足らなかったのかな?」




「いえ、説明自体は充分だったと思います。ただ、時間が経つにつれ不安が襲って来たんだと思います。


 本当はその不安も私達ナースが取り払ってあげられればいいんですけど……、


 患者さんやご家族からしてみれば執刀医の先生の口からもう一度術後の経過などを聞きながらじゃないと、


 どうしても不安みたいで……」


有川さんはそう言うと申し訳ないと言う表情で苦笑いした。






「あ、並枝先生っ、PHSを鳴らしても出ないから捜してたんですよ。あの……」


有川さんと一緒に心臓外科の病棟に戻っていると、二十代の若いナースが駆け寄って来た。


そういえば院内PHSを机に置きっぱなしだった気がする。




「今、有川主任から聞いたよ。田中さんのご家族が見えてるんでしょ?」




「はい……、有川主任、よく並枝先生の居場所がわかりましたね? 私、散々捜したんだけどなぁー」




「並枝先生とは長い付き合いだからね」


ふふっと笑いながら答えた有川さん。


だけど僕がいつもいる屋上はヘリポートがあるから患者さんの立ち入りも禁止されていて、


ドクターやナースも用がない限りは近づかない。


だから捜しに来なかったのだろう。




(でも、あそこが一番チィちゃんに近いんだよなぁ……)




オペが終わった後、僕がいつもそこにいる事を知っているのはきっと有川さんくらいだろう。






     ◆  ◆  ◆






「先生、今日もまだお仕事されるんですか?」


田中さんのご家族が帰られた後、有川さんが口を開いた。


気がつけば、もう夜の九時過ぎ。




「いや、今日はもう帰るよ」


(オペで疲れたし)




「じゃ、久しぶりに一緒にご飯でも食べて帰りませんか?」




「うん、そうしようか」


(オペで疲れてはいるけれど、有川さんとならいっか)


僕は時々彼女とご飯を食べて帰っている。


ドクター同士や他のナース達と一緒に食べて帰る事もあるけれど、それは疲れていない時。


だけど有川さんとなら、疲れてても全然平気だ。


寧ろ、彼女と一緒だと楽しいし、ホッと出来る。




まるで……




チィちゃんと一緒にいるみたいだ。




(あ……そういえば有川さんも“チィちゃん”だ)




実は彼女の名前も“千夏”だ。


だけど“千夏ちなつ”ではなく、“千夏ちか”。


同じ“チィちゃん”には変わりないけれど。






     ◆  ◆  ◆






「最近、ミサンガしてないんだね?」


二人でよく行くダイニングバーに入り、腰を落ち着けたところで有川さんが


僕の手首に視線を落とした。




「うん、願い事がないからね」


チィちゃんが結んでくれたあの青いミサンガは、大学へ入学した直後に切れてしまった。


看護科と初めての合同実習で有川さんに出会った日だったからよく憶えている。




チィちゃんが作ってくれたミサンガは大学受験の時に母さんに結んでもらった。


後は医師免許の国家試験を受ける時に有川さんに結んでもらって、


どっちのミサンガも願いが叶った後に切れた。


その二つと青いミサンガは今でも僕は“お守り”として持っている。




それ以降、僕は願い事がなくなった。




手首からもミサンガがなくなった。




「願い事か……私はもう叶いそうにないな……」




「有川さんらしくないね? そんな弱音を吐くのって」


彼女は強い人だ。


僕なんかよりもずっとずっと。


だから、その彼女がこんな気弱な事を言うのは珍しい。




「並枝君、私ね……今月で病院を辞める事にしたの」


ゆっくりとした口調で目を伏せながら有川さんが言った。




「えっ? どうしてっ?」


その言葉に僕は驚いた。


とても。




「実はね、結婚が決まったの」




「……それって、この間お見合いした人と?」




「うん」




一ヶ月前、有川さんはお見合いをした。


あまり乗り気じゃないと言っていたのに相手の男性に気に入られ、


とりあえず付き合う事にしたと言っていたけれど……


「随分、急だね……」




「彼が一日も早く結婚したいって言ったから」




「仕事まで辞めるんだ……?」


この仕事が好きだって言ってたから、まさか彼女が看護師を辞めるとは思っていなかった。




(もしかして……)


「子供が出来たの……?」




「ううん、そうじゃないんだけど彼が結婚したら専業主婦になって欲しいって言うから」




「そう……」


僕は胸が苦しくなった。




“有川さんが僕から離れてしまう……”




出会ってから十三年間、ずっと一緒に頑張って来たから寂しいだけなのかもしれない――。

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