終わりのない国の物語
昔々、今よりももっとたくさんの星が空に輝いていた頃の話。
神様はあることを考えておいででした。
一人静かに人の世を眺めながら。
御自らが作られた天空の庭から、何もかもを見通しておられたのです。
そして良い考えを思いつかれると、神様はその庭の一番開けた場所に立たれました。
胸に手を置き、そっと御言葉を唱えられます。
「人の世に、巡りくるものの意味を知らしめようぞ」
様々な花が咲き乱れるその庭に、何かが起ころうとしていました。
神様の胸元が白く光り輝きます。
その光を取り出すように御手をゆっくりと開かれますと、なんとその中から形あるものが生まれました。
若木です。
御手に握られていたのは、健やかな若木でありました。
動物たちがいったい何事だろうと集まってきます。
次はいったいどうなるのだろうと、動物たちはドキドキしながら神様の手元を見ています。
まだ生まれたばかりの幼い若木は、神様が自分に何を与えてくれるのかと、薄くて青々とした葉を揺らしました。
神様はそれを手づから地面にお植えになると、若木をじっと見つめられました。
いつも通り神様は穏やかなご様子でしたが、その背中から金色の光がさしているのを見て動物たちは悟りました。
何か特別なことが始まるのだと。
期待に満ちた若木に、神様がふっと息を吹きかけます。
すると鶏の声で一気に目覚めたかのように、若木は急に芽吹き始め、大きく空気を吸い込んだかのようにぶるりと一度震えました。
黄緑色の若芽がつやつやと輝きます。
思わずペロリと舌なめずりしてしまった小鹿の頭を一撫でしながら、神様がおっしゃいます。
「芽吹きと名乗るがよい」
一つだけ摘み取られた若芽。
小さな命はあっという間に姿形を変え、春を司る女王へと成長しました。
曙色に染まった薄絹の衣を身にまとい、小鹿に手招きをしながらにっこりと微笑みます。
「仰せのままに」
次に神様が、大きく手を広げて天を仰がれると、またしても若木はすくすくと枝を広げ、大きく姿を変えました。
「炎陽と名乗るがよい」
神様は、手近に伸びてきた小枝を一折りされました。
するとなんの変哲もない小枝は、瞬く間にしなやかな肢体に姿を変え、夏を司る女王へと成長しました。
金色の羽織り物に身を包んだ誇り高いその様に、動物たちは目を見張ります。
「仰せのままに」
夏の女王は神様の前で深々とお辞儀をしました。
次に神様が、見上げる程の高さになったその木に寄り添うようにされると、すでに大人になったその大木はまるで歌うような軽快さで、真っ白な花を存分に咲かせ始め、辺り一面によい香りをふりまきました。
そして、花ばかりでなく今にもこぼれ落ちそうな大きな赤い実を次々と実らせると、腹ペコの動物たちをこれ以上ないくらい喜ばせました。
神様は満足そうにその実を一つ摘み取ると、こうおっしゃいました。
「実りと名乗るがよい」
秋の女王へと成長した豊穣の賜物は、緩やかに結い上げられた髪に、艶やかな緋色の髪飾りを揺らしながら伏し目がちに呟きました。
「仰せのままに」
最後に、実りを終え一仕事終わった大木に神様がそっと手をかざされますと、いっせいに葉を落とし辺りに冷気が漂いました。
腰を折り、地面に落ちた枯れ葉を一枚拾われた神様は
「風花と名乗るがよい」
そうおっしゃいながら、その枯れ葉を手で包まれました。
すると、雪が降った朝のような研ぎ澄まされた白い空気をまといながら、冬の女王になったその存在は神様の前に深く頭を垂れました。
「仰せのままに」
雪の結晶を縫い込めた装いに身を包み、長い銀色の髪をまっすぐに垂らしたそのいで立ちは、何もかもを凍り付かせてしまう恐れに満ちており、動物たちは思わず一歩退いてしまいました。
一本の若木から生まれた四人の姉妹。
それぞれに四季を司り、その務めを果たす時は神様がご用意された特別な場所で、祈りを捧げることが彼女たちの役目でした。
「私の作ったものはみな終わりがない。
太陽は朝のぼり、夕方に沈む。
月は満ち欠けを繰り返す。
鳥や魚は産卵のために戻ってくる。
そしてお前たちは季節を巡らせるのだ。
春はやがて夏を迎え秋を連れてくる。そして冬に連なり、また春がやってくる。
季節はとどまることなく繰り返され、終わらない。
ずっと終わりのない一つの大きな環なのだ。
それが生きるこの世界の理である。
娘たちよ。巡る季節の営みを断ち切ってはならない。
それは生きることを妨げることになるのだから」
神様はそうおっしゃると、若木から生まれた姉妹たちに祝福の抱擁をされました。
★
さて、神様に作られたばかりの頃の人間は、ただ生き抜くことで精いっぱいの日々を送っていました。
人として生まれ、成長し、やがて死んでいく。
一生の内に、何度も繰り返す四季をくぐり抜け、生きることを全うします。
そして宇宙にまた一つ星が増える。
それが人間にとっての「生きる」ということでした。
けれどもやがて、人間はもっといい暮らしをしようと色々な工夫をするようになりました。
神様が人間にくださった贈り物である知恵を使って。
朝が来て目覚め、働いて、そして眠りにつく。
永遠に繰り返されるはずだった、そんななんでもない日々。
けれどそんな中、少しづつ人間は変わっていきました。
自然にあるものを使って、人間に都合のいいものを作る。
自分たちにとって大切でないものはどんどん捨てていく。
そんな人間にだけ便利な世界へと、世の中を作り変えていったのです。
気が遠くなるほど多くの時間が経ち、世界はずいぶんと変わりました。
人間たちに都合のいいものばかりがそこらじゅうに満ち溢れました。
けれど人間が作ったものは、所詮人間が作ったものに過ぎません。
神様がお作りになったもののように、姿を変えて繰り返すことができないのです。
一度形を成してしまったものは、決して消えることなく古くなったままずっと人間のそばに存在していました。
人間が人間のためだけに作ったそんな世界。
そしてたくさんのものを、自分たちの手で生み出すことができるようになった人間たちは忘れてしまったのです。
自分たちが神様に作られた存在であることを。
★
「王子よ。時忘れの塔に行き、風花の君にお会いしてくるがいい」
父王の突然の言葉に、王子は身を固くしました。
ここは、たくさんの工房が立ち並ぶ煙突町を擁した終わりのない国。
終わりのない国……というのは、人がそうあって欲しいと願いを込めて呼ぶのであって、実際はずいぶんと違いました。
人が溢れ物が溢れ、この国はとうの昔から、息苦しい空気に包まれていました。
工房で働く人間は、もっと豊かな暮らしをと望み、毎日せっせと働きました。
たくさん働けば裕福になり、今よりもぜいたくができる。
たくさんの物に囲まれて幸せになれる。
そう信じていました。
けれども本当のところは、物が増えれば土地が狭くなり、どんどん暮らしにくくなるばかりだったのです。
こんな終わりのない国を治める父王は、もう長いこと大きな悩みを抱えていました。
限られた国土をなんとか広げなければならない。
そうでなければ国民を満たすことができない……と。
★
「冬の女王に何をお願いするのでしょうか。父上は風花の君を嫌っておいでではありませんでしたか」
冬の間は食料の収穫もままなりません。
そればかりか、工房で作ったものを他国に売りさばくことも、深い雪のせいで滞りがちになってしまい、父王がそれを酷く厭うている事を王子は知っていたのです。
なぜかというと、終わりのない国は一年の大半を雪で閉ざされるような場所に位置していたからです。
「風花の君は時忘れの塔で祈りを捧げている時以外は、北の森の湖にお出ましになるらしい」
父王は王子の問いには答えずに、つららの下がった窓の外を眺めながらそう呟きました。
王子は大臣がそっと物陰で囁いていた噂を思い出していました。
ーーー陛下は隣国に戦を仕掛けるおつもりらしいーーー
(戦ともなれば、雪を制したものが勝ちを治める。父上は冬の女王の力を利用して、国土を広げようとしているのだ)
王子は父王の企みを、暗い深淵をのぞき込むような思いでくみ取りました。
「父上が、冬の女王にお近づきになるとは思ってもおりませんでした」
王子が表情を曇らせながら、厚いカーテンの隣の父王の横に進み出ると国王は苦々しげにこう言いました。
「冬を制してこそ、この国の王なのだ。わかるな」
「……はい」
(……というか、この国には冬しかないに等しいのだがな……)
終わりのない国にとっての冬。
それは長く憂鬱な存在であり、唯一季節を強く感じられる時間でした。
煙突から吐き出される煙で、空はほぼ一年中曇ってばかりのこの終わりのない国は、常に暗く灰色に沈んでいましたが、雪の時だけは違いました。
煙の間を縫って真っ白な雪が町を美しく染め上げて、人間たちの作った欲望の結晶を全て覆い隠してくれたからです。
(冬しかない私の国。
いいことも悪いことも、雪と共にこの国にあるのだ)
雪の存在など、当然そこにあるものとしてしか感じることのできなくなっていた王子は、鉛のような重い足取りで父王の部屋を出ました。
★
「そこにおいでなのは風花の君ではありませんか」
突然掛けられた凛とした声色に、冬の女王は驚きと共に大きく振り返りました。
この私と心安く話をしようなどという者がいるはずがあるまい。北に位置するこの国の民は、ほとんどが雪と氷に閉ざされて一生を終える。
僅かに感じられる他の季節の女王たちは大いに歓迎されるが、時忘れの塔に張り付くようにして居続ける私のことなど、誰もが忌み嫌っているのだ……そう思い込んでいたからです。
「とうの昔に忘れ去られているものだと思っていたが」
「冬の女王のことをこの国の民が忘れるはずはありません」
王子はそう言いながら、初めて近くで見る冬の女王の美しさに目を瞠りました。