血に染まる王都
全体の半分くらいは越えたと思います。
「ロッケン副隊長……レスト隊長は王都に無事たどり着けたでしょうか」
.
「道中は問題ねえだろう、傷は高い霊薬使って治したんだ、問題はついてからだろうな」
レストが王都へ発ってから二日、ちょうどレストがノーシアらと酒を酌み交わしていた夜のころ、北方砦の外壁上でロッケンは見張りの弓兵とともに鉄籠の監視を行っていた。
北方砦は大きな混乱もなく比較的落ち着いていた、兵士の殆どが動揺や不安を感じていたが、ロッケンの指揮と光を放ち続けながら謎の一団を封印し続けている鉄籠によって、最低限の安心は確保できていた。
「王都のお偉方への報告なんざ考えただけでも鳥肌が立つぜ。今は平時だぜ、平時に砦が半壊して総隊長が重傷なんて何事だっての」
「もっともですが事実である以上はそのように伝えるほかないでしょう、王都からの派遣が必要不可欠である以上はなおさらです」
弓兵がかつて砦門のあった場所に作られた不格好なバリケートを見やった。それなりの長さの木材と岩で作られたバリケードは一端の強度こそあるものの、みすぼらしく、砦門の代わりが務まるものでは到底なかった。
「山賊が気まぐれ起こしただけで結構ヤバイことになんだろうな、レストがいりゃそれなりに何とかなったかもしれねえけど、仕方ねえ」
「……隊長はもう一度あいつ等と戦えるでしょうか?王都の兵士との共同戦線を張れば、戦力的には十分でしょうが、一度大敗北を喫した以上、拭えないものもあるでしょう、討伐作戦から除外される可能性もあるのでは?」
不安げな表情の弓兵がロッケンに言う。ロッケンは腕組みをし目を閉じしばらく黙っていたが、ゆっくりと口を開いた。
「お前……だけじゃあねえか、他の兵士も少なからず不安がってるだろうけどな……まあ少しだけ待ってくれ」
「と、言いますと?」
「あいつとは王都にいたころからの付き合いだけどよ、荊兜の騎士団の中であいつだけだったんだぜ。テルキオールが勇者に選ばれても、どれだけ実力差を思い知らされても、諦めずに張り合おうとしたのは、結局大戦が終わるまで」
「それは……また」
「アイツは、まだ燻ってる。燻ってるってことはまだ熱があるってことだ、まだ這い上がれるさ、俺たちに出来ることと言えば監視と砦を守ることぐらいだけどよ、とりあえ……おい、鉄籠を見てみろ!」
穏やかだったロッケンの表情が一転し、険しいものになる。ロッケンの焦りが声だけで伝わったのか、屋内にいた兵士たちが続々と飛び出し、めいめいの武器を構えた。
「見ています!あれは……光が?」
先ほどまで煌々と力強く鉄籠から発せられていた光は今や小さなたき火の明かり以下まで弱弱しくなっていた。そしてそのまま蝋燭明りほどの微小な光になったかに思えた次の瞬間には、光は完全に掻き消えていた。不意に訪れた夜闇がロッケンの恐怖心を一層煽り立てる。
「おいおい!まだ二日しかたってねえんだぞ!七日は持つ封印術じゃなかったのかよ!」
ロッケンが歯噛みしながらも次の行動を思案していたその時、夜闇にまぎれつつあった鉄籠が内側から爆発するように吹き飛んだ。
「ロッケンさん!何かがこちらに!くっ!」
弓兵が咄嗟の判断で引き抜いた短刀を弾き飛ばしながら、ロッケン達のすぐそばに大剣を担いだ人影が舞い降りた。誰も声を発さなかった、特に喉元に大剣を突きつけられたロッケンは瞬きすらすることができなかった。ロッケンは舞い降りた影を、砦の兵士が束になっても敵わないだろう剣士バモットを見やった。
「あの男はどこに行った?」
「……ここにはいねえよ……マジだからな……探したっていいんだぜ」
ロッケンが虚勢混じりでバモットに言う。バモットが視線を鋭くし、ロッケンの喉に触れる寸前まで大剣の切っ先を近づけるが、ロッケンはそれ以上言葉を紡がなかった。
「バモット、あまり時間がないわ、サーガ達が夜明けには王都に着く」
「……」
バモットの背後の夜闇からミザクと刺々しい兜の大柄な男が姿を現す、バモットは振り返らずに舌打ちをし、大剣を下ろし背中の鞘に仕舞い込み、ミザクらの元へ歩き出した。喉元から剣を離され即座の死を免れた形になったロッケンだったがいささかも気を緩めることはなかった、それは砦の兵士たちも一緒だった。槍を持つ兵は槍を構えたまま、弓を持つ者は弓に矢をつがえたままバモットたちに備えた。
「私の魔術で王都まで飛びましょう、封印の解除に結構魔力を使ったけれど私たち三人を運ぶ程度は問題ない」
「お前の魔力をこんなことに使いたくはないのだがな、コイツには何かできないのか?あいつの自信作なのではないのか?」
「あいつの話だと調整がまだ途中であまり複雑な命令はこなせないみたい、そもそも魔術が期待できる個体ではないのよ、ロッシは」
ロッシと呼ばれた刺々しい兜の大男はミザクに反応を返さなかったが、ミザク自身もそれが当然であるかのように特段態度を崩さなかった。
「今は出番なしか、仕方ない、王都で精々暴れてもらうとしよう」
「そうね、そういうのに適任なんでしょうね」
ミザクが三叉槍を横に構えゆっくり息を吐くと、幾筋もの風がミザク達の周りで巻き起こり、ミザク達を宙に浮き上げた。異常を察した弓兵たちが矢を放つが、風にまき上げられ一本もバモット達に届くことは無かった。
(……こいつらの目的は王都?しかも他にも仲間がいる?どうにかして……王都にこのことを……)
立っているのもやっとの強風に吹かれながら、ロッケンはバモット達の言葉を反芻した。
ミザク達が風の魔術で地上の障害を無視し王都へ一直線に飛ぶとしても、それよりも早く王都へ危機を知らせる方法はいくつかあった、ロッケンは実現可能な方策を素早く頭の中で練り上げる。
(……砦の馬と魔術使える兵を総動員すれば、あいつらが到着するより早く王都に危機を知らせることが出来る、そのままいなくなっちまえ、俺らを眼中に入れんな)
そんなロッケンの願いを見透かしたかのように、今や砦の物見塔よりも高くに浮くミザクはロッケンのいる方へ手に持つ三叉槍の切っ先を向けた。
「貴方たちの相手は鎧の魔物に任せるとしても、その壁が少し邪魔ね。とりあえず、一滴」
「弓兵!飛べ!何か知らねえけどマズい!明らかに」
ロッケンと弓兵が反射的に砦から飛び降りた丁度その時、宙に浮くミザクの三叉槍から一滴水が滴り落ちた。吹き荒れる風に流されることなく真っ直ぐに落ちた滴は砦の外壁に触れるや否や、家一軒をそのまま包み込めるほどの大きさの球状の水に変わり、その衝撃で砦の外壁を四方八方に吹き飛ばした。その衝撃はすさまじく、ロッケンたちの決死の回避行動も殆ど役に立たなかった。ロッケン達は衝撃の勢いのそのまま地面に叩き付けられた。
「ぐあっ!……あっちの女も相当やべえ……ちくしょうめ……」
おぼろげになる視界の中でロッケンは今しがた破壊されたばかりの砦外壁から、鎧の魔物が砦内に押し寄せる様を目の当たりにし、ついに意識を手放した。
王都にいくつかある王国軍兵士専用の宿舎、その一室でレストは目を覚ました。
「……んん……ああ……」
床に薄布を敷いただけの簡素な寝床からゆっくりと体を起こし、寝ぼけ眼のまま頭を左右に振り首の骨を鳴らした。今は物置としてしか使われていないというその部屋には、当然住み暮らす兵士はおらず、今もレスト一人しかいなかった。
「……ワッティ……もう行ったのか……酒に強いんだか弱いんだか……」
誰に言うでもなくレストがワッティのいた寝床を見ながらつぶやき、立ち上がった。小さな窓から見える青空を眺めながら、レストは改めてこれから自分がどうするべきかと考える。どの選択肢もレストにとっては億劫で気が重くなるものだったが、一番最初にする必要のあるものを選び出した。
(とりあえず、城にはもう一回行かねえと……槍も斧も兜も門番に預けっぱなしじゃねえか……あと無駄かもしんねえけど、もっかい頼み込んでみるか……)
大雑把に物置を片付け、出発しようとレストが物置の扉に手をかけたその時だった、近くに大質量を地面に叩き付けたような轟音と振動が響きわたった。
「何だってんだ、馬車が暴れでも……違う!」
レストは荒々しく扉を開け駆け出していた、外から大勢の人の悲鳴や恐慌の声が宿舎の
中まで聞こえていた。宿舎内にいた兵士も異常事態を察知し、レストと同じく宿舎玄関に向かっていた。
「一体何が起こってんだ?お前は分かるか?」
「全く見当もつかない、暴漢にしては騒ぎが大きすぎる……そもそもお前は誰だ?ここらの奴じゃないな?」
「所属は違うがお前らと同じ王国兵士だ、色々あって昨日ここの一室を借りてたんだよ……やっぱりただ事じゃねえな」
宿舎から出たレストは通りの混乱を目の当たりにする。大勢の市民が決死の形相で、何かから逃げるように大通りを一心不乱に駆けていた。レストたちは人の流れに逆らい、騒動の中心であろう場所目がけて走った。ひたすら走り、レストたちが大きな噴水のある開けた十字路に差し掛かったとき、レストを含む誰もが足を止めた。
「何だこりゃ……」
本来ならば人が行き交い、出店が多く立ち並ぶ噴水広場は以前の面影をどこにも止めないほど破壊しつくされ、あらゆるものの残骸と死体にまみれていた。柄も鍔も何もないただただ鋭い黒い刃があちこちに突き刺さり、引き裂かれた死体から流れる血があちこちを赤く染める広場には動くものも生きている人間も存在しなかった。ただ一人、鋭い刃が突き出た刺々しい兜の大男だけが、血の海を歩き死体を踏みつけながら、不気味に呻き声を上げているだけだった。
「……アー……アアァ……」
「何者だ!おのれよくも!」
「法の裁きを受けられると思うな!ここで首を刎ねてやる!」
惨状に怒り武器を構える兵士達をよそに、レストは立ちすくんでいた。レストには見覚えがあった、バモットの傍らにいた不気味な大男、鉄籠に封じられているはずのロッシと呼ばれていたその男だった。
(何であいつがここにいんだよ!破られたってことかよ!ってことは、アイツもここにいやがんのか?)
レストの逡巡をよそに状況は動く。ロッシがローブに覆われた右腕をレストたちのほうに向け、ローブの奥から何十本もの黒い刃を発生させた。無機質な黒い刃塊が日の光を浴びぎらぎらと輝く。憤っていた兵士たちも明らかな異形に我に返り、そして周囲あちこちに突き刺さる黒い刃の出所を悟る。
「た、盾持ちは構えるんだ!それ以外は逃げろ!」
「グウラァァァァッ!」
兵士の一人が言い終えると同時に、ロッシがその異形の右腕から怒涛の勢いで黒い刃を射出した。レストたち盾を持たない兵士は噴水の影に身を隠し、盾を持つ兵はその場で一塊になり、盾を前面に出した防御陣形を取る。ロッシが射出を止めるまでの間、噴水広場には破砕音と擦過音が鳴り続けた。
「あいつ……大戦中に噂で聞いた、束ね刃の魔人にそっくりだ……一度勇者を殺したことがあるっていう四大魔人の一人、死んだはずなのに……」
「馬鹿なこと言ってんな!でもアイツは本当の化け物だ……盾で受けた奴ら見ろよ、もう盾がオシャカになってやがる……次やられたら防ぎようがねえ」
噴水後ろに隠れている兵士が怯えた調子でぼやく。その兵士の言うように盾で黒い刃を迎え撃った兵士たちは致命傷こそ負ってはいないものの盾を砕かれ、黒い刃が体のあちこちに突き刺さり、盾を構えるどころか這って動くのがやっとになっていた。
「おい、お前等、剣を貸せ。俺が時間稼ぐからあいつ等を一旦引っ張り込んで、隙見て担いで逃げろ、このままじゃ援軍が来る前に皆殺しにされる、頼む!」
「……出来るのか?」
「出来るから言ってんだ、さっさと貸せ!」
「あ、ああ」
そばにいた兵士から一本ずつ剣を受け取ったレストは即座に噴水の裏から飛び出し、少し下向きに照準を変え再び射出を開始しようとしているロッシと兵士たちの直線上に割って入った。その地面に倒れる兵士に止めを刺そうとしているかのようなそ、行動にレストの胸の奥がかっと熱くなる。
「グッ!グガガガッ!」
「っ!おらあっ!」
ロッシから再び黒い刃が放たれる。レストは両手に持った剣を振るい、絶え間なく放たれる黒い刃を次々叩き落とした。途中数本の黒い刃がレストをかすめ血を流させたが、レストは意志持つ竜巻のようにひたすらに剣を振るい続け、ついにロッシの右腕の刃が尽きるまで射撃を防ぎ切ることに成功する。荒い呼吸を整えることなくレストはロッシを怒りと焦りの籠った目で睨み付けた。
(剣を持ったのはいつ以来だ、流石に普段の獲物とじゃ差がある……いつまで持たせられる……クソっ、本気で四大魔人だってのか……)
レストは剣の側面を鏡のように使い、背後にいた盾持ちの兵士達が皆噴水裏に逃げ延びたことを確認する。しかし全ての兵士を噴水広場から、ロッシの射程範囲内から逃がすにはまだ少しロッシを遮る必要があった。レストは劣勢を理解しながらもロッシの次撃に備えた。
「グルルルル……アァ……」
一方ロッシは少しの間発射した体勢のまま固まっていたが、獣じみた唸り声を上げた後、左腕も右腕同様にレストに向け、空気を裂く音とともに何十本もの黒い刃を発生させた。
レストの剣を握る手に再び力が込められたその時、背後を移すレストの剣に十字槍を持ち噴水広場に駆けてくる人影が映し出された。
「魔物と戦うなんていつ以来かな、でもまあ手加減するつもりはないよ!」
背後の人影が肉厚の手甲を装備した右手を上げ何かを握るような所作をすると、ロッシのすぐ前の空中で爆発が巻き起こった。咄嗟に顔の前で腕を交差し防御姿勢をとったロッシだったが、爆熱はロッシの体のあちこちを焼いた。ロッシの黒いローブから黒い煙がたなびく。
「兵士たちはどうにか逃げたみたいね……レスト!自分のエモノ使わないで勝てる相手じゃないでしょ、使いなさいよ」
ロッシに爆撃を浴びせた人影はレストの歩み寄り、左手に持った十字槍と自身のベルトに挟み込まれた二丁斧を引き抜き差し出した。レストは驚きながらも剣を地面に逆さに刺し、自分の得物を受け取る。
「ノーシア……なんでこれをお前が?」
「久々に手合せでもしようかと思ってわざわざ城まで取りに行ったのよ、もう今はそんな状況じゃないけどね」
悲しげな表情を浮かべながら、自由になった左手で剣を鞘から引き抜き、ロッシに向けて構えた。レストもすぐさま斧を背中のホルダーに装着し、ノーシアと背中合わせになる様な姿勢で十字槍を構えた。
「……状況、知ってる範囲で教えろ」
「王都のあちこちで暴れてるやつらがいる、そこらの兵士じゃ歯が立たない、目的は不明だけど生死不問で対処することで決定!この有様、私も流石に許せないっての!」
「だろうな、俺もこいつとはちょっとした因縁あんだよ、ぶっ倒そうぜ……挟み撃ちだ、一気に行くぜ!」
「あいよっ!」
「グルアアアァァァ!アアッ!アアッ!」
攻撃の意志の籠った二人の疾走を見たロッシは即座に真後ろに跳躍しながらレストのいる方へ右腕を向け、黒い刃の射出を開始した。レストは黒い刃の防御のためその場に釘づけになったが、ノーシアは一気にロッシへの距離を縮め、ロッシが着地するころには剣の届く範囲まで接近していた。
「アアアッ!」
ロッシは左腕の刃塊を荒々しく振るい、ノーシアを迎え撃った。ノーシアの頭を抉る軌道で腕は振るわれたが、ノーシアは大きくのけぞり腕を回避する。およそ次の攻撃につながらないような、回避に全てを費やしたような一挙だったが、ノーシアは不敵な笑みを浮かべながら右手の人差し指と中指をそろえて伸ばし、ロッシに向けた。無数の蔦のような赤い文様がノーシアの右手甲に浮かび上がる。
「こういう魔法もあるのよ、直に味わいなさい、穿て瞬炎!」
ノーシアが言い終えると同時に、右手甲が音叉のように一瞬鳴り、ノーシアの指先から帯状の炎とも言うべき熱線が放たれた。周りの空気を熱でくゆらせながら熱線は目にもとまらぬ速さでロッシ目がけ飛び、無防備にさらされていた左肩を貫いた。
「ギッ、ギガッ、アッ、グルアアアッ!」
叫びながらもロッシは動きを止めず、拳で殴りつけるようにノーシアに向け左腕を振り下ろした。再び迫る黒い刃塊にもノーシアは動じず素早く体勢を立て直し、ステップを踏むように後退した。ロッシの拳は石畳を砕き、地面に突き刺さったが、ノーシアを捉えることはできなかった。同時にレストへの射撃も止んだ。
「今がいいとこよ、レスト、一気にやっちゃって!」
「アアッ!アアアアアアアアアアアアアアッ!」
ノーシアはロッシの姿から好機を悟った。ロッシの右腕の黒い刃は今しがた撃ち切り、左腕も地面にめり込んだままと、ロッシの猛攻は一見すると完全に途切れていた。しかしロッシの攻めは途切れてはいなかった。
ロッシは地面に刺した左腕をさらに地面に押し込むと同時に獣じみた叫び声を上げた。その叫び声自体が耳を覆いたくなるほどのものだったがそれだけではなかった。ロッシが叫び終わると石畳を砕き、ロッシから放たれていたものと同様の黒い刃が広場のあちこちの地面から噴出し出した。噴出は急速にそして無差別に起こり、ノーシアとレストが今いる場所にまで至ろうとしていた。
「結構器用ね、でも通してもらうわよ、爆ぜろ瞬炎!」
地面を突き破る黒い刃に少し関心しながらノーシアはロッシの肩を打ち抜いた時のように右手甲赤い文様を浮かばせ、そのまま右手を強く握り込んだ。手甲が鳴り震えた後、今度は散発的な爆発が巻き起こり、既に地面から屹立していた黒い刃と今石畳を砕き生え出つつあった黒い刃の両方を吹き飛ばした。副次的に土煙が一気に舞い上がる。
(丁度いい、速攻くらえ!)
土煙の中に潜みながら、レストは片手で斧を一本抜き、横手投げで力強く放った。土煙に隠れギリギリまでロッシに存在を悟られることなく飛んだ斧はロッシに防がれることなく、ロッシの右足をそのまま引き裂いた。痛みに呻く、といより反撃に怒るようにロッシが低く呻く。そして少し遅れレストが怒涛の勢いで土煙の中から駆け出でロッシに迫る。
「ようやくここまで来れたぜこの野郎!」
「グルアアアアアッ!」
レストが十字槍を振り下し、ロッシが刃にまみれた両腕でこれを受ける。一瞬の鍔迫り合いの後、近距離での打ち合いが始まった。ロッシが突き、薙ぎ、振り下し、レストが短く持った十字槍で受け、弾き、受け流し、ロッシの攻めの余白を探る。乾いた金属音が雨音のようにひたすらに広場に木霊する。
(鈍いのか、元々そういう体の作りなのか、傷や痛みで動きが鈍るってことがねえ……となれば一撃で!)
ロッシの右手突きを体を捻って回避したレストは確実な一死の為の行動を開始した。まず下から振り上げられつつあった左腕を十字槍の鉤の部分で押さえつけた。そこからの行動は軽業師のように早く流麗に行われた。左腕にひと際力を込めると、右腕を十字槍から離し、瞬時に背中の斧に手をかけた。ロッシの右腕を紙一重で躱し、左腕を力技で無理矢理抑え得た一手、先んじた一手でロッシの首を斬りつけ致命傷を与える算段だった。
「……」
死が目前に迫っていたその時、ロッシは無言のまま右腕を曲げ、レストの脇腹に添えた。突くでもなく引き裂くでもなく、刃塊の一端でただ触れるだけの動作だった。しかしこの攻撃とは思えない一挙に、レストは総毛立った。必勝の一手が覆されたことと、自分が必殺の一手を受ける寸前であることを同時に察知してしまっていた。
(コイツまさかこの距離から!間に合えっ!)
レストはロッシの首目がけ振るわれるはずだった斧を、瞬時にロッシの右腕と自身の脇腹の間に滑り込ませた。間に合ったという安堵を抱く間もなく、その直後は斧越しでも伝わってくる強い衝撃とともに真横に大きく吹き飛ばされた。
「ぐあっ、かっ……」
地面を何度か転がりながらもどうにか片膝立ちの体勢になったレストは、激痛の走る脇腹を抑えながらロッシを見やった。ロッシはもうレストを見ていなかった、歓喜に身を震わせるように息を吐くと右腕の刃塊から一本だけ突き出た黒い刃、一瞬で伸びレストを零距離から襲った刃をノーシアへ向け、走り出した。
「アアッ!アッ!アアアアアッ!」
「よくもレストを!爆ぜろ!瞬炎!」
ノーシアが右手を握り込むと、駆けるロッシのやや後方で爆発が起こった、二度三度四度と爆発は巻き起こったが、どれもロッシを直接爆破することはなかった。ただ真っ直ぐに駆けているだけだったが、ロッシの移動速度はノーシアの魔術が捕捉できないほど早かった。めくれ上がった石畳を踏み砕き蹴散らし進むロッシは既にノーシアの目と鼻の先まで迫っていた。額に汗をかきながらノーシアは魔術の行使を止め、剣を構えた。
「まだまだ!魔術師だからって距離つめりゃどうにかなるなんて思わないでよね!裂け!瞬炎!」
ノーシアが袈裟懸けに振り下されるロッシの黒い一刀を左の剣ではなく右の手刀で迎え撃つ、交差する瞬間、ノーシアの手刀を覆うように薄く研ぎ澄まされた炎が発生し、ロッシの一刀を両断した。ロッシの手から離れた黒い一刀が無力にくるくると回転しながら宙を舞う。しかしレストの視線はロッシの挙動を、ノーシアに致命傷を与える挙動に注がれていた。
「ノーシア!そっちじゃない!本命は足だ!くそっ」
レストが叫ぶが、ロッシは緩慢なく行動を開始した。ロッシはノーシアの足先を踏みつけ、そのまま重ねた足へ左腕から一本黒い刃を射出し、ノーシアの足と自分の足を文字通り釘づけにした。ノーシアが驚愕と苦痛が入り混じった表情を浮かべ、黒い刃から逃れようと足を動かすが、黒い刃は微動だにせず、ノーシアの足から流れる血がいたずらに増えるだけだった。
「あっ、くっ……た、大戦以来よ、ここまでの深手はねっ!」
「アアアアアッ!」
額に汗を浮かべながら、ノーシアはロッシの首元目がけ左の剣を振るい、先ほどとは逆にロッシが右腕で迎え撃った。金属音の後、ノーシアの剣はノーシアの手を離れ宙を舞い、ロッシの右腕の刃塊はノーシアの左肩に突き刺さっていた。単純な腕力において、ロッシはノーシアに完全に勝っていた。
「つっ……うあっ……さ、流石に……きっついなあ……」
息を荒くし、両腕を力なくたらしたノーシアを目にしたレストは脇腹の痛みを無視し勢いよく立ちあがり、斧に風の魔術で手元に引き寄せ、投擲の構えをとった。
(まだ間に合う!あいつの攻撃よりも俺の斧の方が早い、けどさっきの斧は大して効いちゃいねえ……何かねえのか、このままじゃノーシアが)
後ろ向きな心の動きによりレストの動きがわずかな時間止まる。その間にロッシはノーシアへ止めの為ゆっくりと左腕を振り上げた。ロッシが限界まで腕を振り上げたその時、レストとノーシアの視線が交錯する。迷いを隠しきれない表情を浮かべるレストにノーシアは弱弱しく、だが柔らかく優しく微笑みかけた。瞬間、レストの胸に熱がこみ上げる。
何をするにしてもまとわりついていた諦観はその時だけはまるっきり消し飛んでいた。レストの瞳が金色に変わり、体のあちこちが変化し始める。一気に熱を帯びる意識の中、レストは全身から湧き上がる力をそのまま全て込めるように、斧を投げ放った。
(もう叶いっこないはずの夢なのによ……まだ……全然色あせてねえ……誰もが魔物に、暴力と不条理に怯えるようなことのない世界を作りてえ……誰よりも人に希望とか温もりを与えられるようになりてえ……何迷ってたんだ俺は……一つだけだろ、やりたいことも、やれることも!)
「アグアアアアアっ!アァ?」
左腕をノーシアに振り下そうとしていたロッシへ暴風を纏った斧が風切り音とともに迫る。高速回転、高速飛行するその斧はそのままロッシの左腕を鈍い音とともに切断する。茫然とするロッシを尻目に斧はその後勢いを全く衰えさせずに急旋回し、レストの元へ向け飛んだ。
「全力で突っ走るだけだ、途中の道に何があっても、到底叶いっこないにしても、やるしかねえだろ!今までさんざ好き勝手やってくれたなテメエ!ノーシアから離れろぉぉぉ!」
戻ってきた斧を掴みレストが叫び、変化し終えた自分の体を懐かしそうに眺めた。
体のあちこちを覆う緑色の鱗、耳の脇から後ろに突き出た角、レストの身長ほどもある長い尻尾、竜の要素をあちこちから発現させた体はレストにとって久しいものだったが長く望んでいたものでもあった。
「……翡翠の竜……やっぱ様になるよ……」
呆けているロッシの隙をつきノーシアが足を縫いとめていた黒い刃を引き抜くと、大きく後ろに後ずさった。満身創痍の状態だったが、表情も声の調子も明るかった。
「グラァァァァァっ!」
もはや戦える様子ではないノーシアを放置し、右腕から黒い刃をレスト目がけ発射しながらロッシはレストに向かって走り出した。走りながら切断された左腕の断面からひと際巨大で鋭い黒い刃が一本精製させレストに振りかざす。
「もう、お前がどんなにタフだろうと驚かねえよ……お前が魔人だろうが何だろうが、動かなくなるまでぶった切るだけだ!」
レストが怒涛の勢いで迫る黒い刃の奔流に向け、腕を交差させるように両手の斧を投げ放つ。二丁の斧がそれぞれ近い距離で飛び、もはや風切音とは言えないほどの擦過音とともに黒い刃の奔流に激突する。
「ガルァァァァッ!?」
投げ放たれた斧は止まらなかった。あらゆる物を貫き壊してきた黒い刃を次々と弾き砕き、殺傷能力を保ったままロッシまで至った。一丁はロッシの右腕の刃塊に深々とめり込み、一丁はロッシの右腕から右肩にかけて大きく抉った。ロッシは右腕から射出を止め、疾走の勢いをそのまま載せるように左腕の黒い一刀の刺突をレストに繰り出した。
「俺は、もう一度、勇者を目指す!人間の世界の希望になる!まだ魔物がいるならいくらだって戦ってやらぁ!」
レストは足元の十字槍を蹴りあげ、両手に持ち、ロッシの刺突を受け流す。その後に続いたロッシの身を翻してからの回し蹴りと黒い一刀の薙ぎ払いも躱し、十字槍の切り上げでロッシの右足をひざ下から切断する。ロッシはバランスを失い、うずくまるように倒れた。
「グルァァァァッ!テル……キオールゥゥゥ!マダ邪魔立テスルカァァァッ!」
ローブを貫くように、ロッシの全身から発生した黒い刃が、ロッシの叫びとともに放射状に射出される。黒い刃はロッシの周囲の一切、噴水、家屋の壁、レスト、そしてようやく立っていたノーシアに向けて飛んだ。激情をそのまま刃に込め解き放つ渾身の一撃、しかしレストは動揺せず迷いなく動いた。黒い刃が無差別発射された直後、レストはロッシとノーシアの間に立つように瞬時に移動し、黒い刃を薙ぎ払った。当然、ノーシアには黒い刃は一本も届かなかった。
「……あんくらいだったらまだどうにかなるってのに」
「そんなガタガタの状態でよく言うぜ……ちょっとは頼れよ……」
ノーシアと言葉を交わした後、レストは斧の一丁を手元に引き寄せ握りしめ、十字槍とともにロッシに向け構えた。十字槍と斧に淡い緑色の光を帯びる。一方ロッシは失った右足から黒い刃を生やし、無理矢理立ち上がりレストに向き直った。
「俺がテルキオールに見えたかよ。全然違うな、俺はアイツに今でも全然追いつけてねえ、まだまだ何もかも不完全だ……」
「テル……キオール……グルアアアァァァっ!」
レストがロッシに語りかける、全身を痛めつけられ、体を揺らしながらようやく立っているロッシは、それでも憎悪の籠った唸り声を上げる。
「それでもまだ俺は生きてる。これからだ、これから死にもの狂いで越えてみせるさ、どんだけ現実を思い知らされても時間が経っても、俺の夢は俺の夢のままだった!ならもう突き進むだけだ、何があろうとな!」
レストが斧を振りかぶり投げ、直後に十字槍を両手で握り、ロッシのいる方へ向け刺突を繰り出す。レストとロッシの距離は遠く、一歩二歩の踏込で埋められるものではなかったが、緑の光の灯った十字槍のから発生した衝撃波がロッシへの攻撃を可能にした。突きだした十字槍の一直線上を衝撃波は飛び、先に投げた斧よりも早くロッシに至り大砲の着弾音に似た轟音と共にロッシの胸に大穴を穿った。灰色がかったロッシの肉片がばらばらとロッシの後方に散らばる。
「……ツギコソハ……キサマヲ……」
衝撃波の一撃で体勢を崩したロッシの頭部に追撃の斧が飛来し、ロッシの頭を縦に切断する。とたんにロッシの体から生えた黒い刃がぼろぼろと崩れ砕け、レストの手元に投げた斧が戻るよりも早くロッシは力なく倒れた。ロッシの体格からは考えられないほど小さい震動がようやく静寂の訪れた噴水広場に微かに響く。
「ようやく倒せた……のかな?鈍っちゃいないつもりだったけど……はあ……さすがにしんどいね……」
ノーシアが気の抜けた表情でつぶやき、その場にへたり込む。出血は多く、黒い刃のもたらした痛みが体のあちこちを苛んでいたが辛うじて意識だけは保っていた。
「普通の魔物ならやりすぎぐらいだけどな……心臓と頭の両方をぶっ壊す、こいつはこのぐらいしてようやくって感じだ……」
「いっ、つう……まあね、頑丈っていうか、無神経っていうのか、とにかくダメージ与えてるって実感がまるで感じられない奴だったよ」
手慣れた様子で傷口に布を巻き付け、その時生じる痛みに顔を歪ませ呻きながらノーシアはロッシの死体を見やった。
致命傷になっただろう頭と胸部の傷を無視したとしても、ロッシの肉体は先ほどまで戦えていたのが不思議なくらい傷ついていた。裂傷、爆破痕は全身に夥しく残り、レストが途中斧の投擲でつけたロッシの腿の傷は、骨の一部を削り取るほど深く、人間なら立ちあがることさえできないほどの深手だった。
「魔物は魔物だろうけどな……多分、死体だ」
「死体?」
「大戦中に何回か見たことがある、死んだ魔物を最低限の知能だけ与えて生き返らせる……生前より大分戦闘力は下がるみてえだけど、そのぶんしぶとく戦う」
喋りながらレストはロッシの亡骸に近づくと、ロッシの右腕に食い込んだままの斧を無造作に引き抜いた。斧には血の一滴もついていなかった。レストは無感情にロッシの死体に背を向け斧を背に仕舞い込むと、へたり込み立ち上がる気配を見せないノーシアへ駆け寄った。
「レスト、王城へ行って……こいつらみたいのが他にもいるならミルアーグちゃんたちがいても守りきれないかもしれない……竜人化は長くは続かないだろうけど、お願い……」
「……ああ、きっと来てるぜ……テルキオールそっくりの剣術使う野郎とその仲間の魔術師じみた女はきっと来てる」
「私は……救護兵に傷治してもらってから行くよ……歩けないほどじゃないけど戦うにはちょっとしんどいかな……一人で行かせることになるけど、任せていいんでしょ?」
汗で顔にへばりついた髪を横に寄せながら悪戯っぽい表情で、ノーシアがレストに言う。レストはノーシアから顔をそむけ王城の方を見やった。長くしなやかな尻尾が所在無さ気にゆらゆらと揺れる。
「……単純な話だっての、けが人が無理すんな、お前が来るころには全部終わってるかもしれねえけどな」
「はっ、そうなってることを期待するよ……」
「……」
レストは言い終えると一跳びで広場に面した民家の屋根の上に飛び乗り、そのまま王城へ向け走り去った。ノーシアは遠ざかるレストの姿をいつまでも眺めていたがやがて、立ち上がり、広場を後にした。




