戦の果て 弐
「「頼朝様っ!」」
怯えがちの瞳で訴える頼朝様の姿には、耐えられる男等いないのだろう。男共は、一斉に彼の名を呼んだ。
某は義経にのみ愛を捧げているが故、頼朝様の姿に胸を撃ち抜かれずに済んだ。頼朝様では無く、義経に仕える身だから。
然し、頼朝様の上品な美は確かな物。
「少し疲れたから、私はもう眠るね。今度こそ負けないように、一緒に頑張ろう」
彼も自分の美しさを理解している様で、態と愛らしく言い奥の部屋へと消え行った。
此の部屋に残って居るのは、そんな頼朝様に惚れた男共。其の中には、我が主も含まれて居た様だった。
「兄さまって、ほんとうにきれいだよね。あんなきれいな人がおれの兄だって言われても、信じらんないくらい」
見惚れる様に義経は言う。と言うより、見惚れていたのだろう。
そして其の横顔は、某にとって至上の美しさであった。瞳に映すのは某ではなく、頼朝様であるが、某はこうも思ったのだ。
頼朝様に恋をする義経に、某は惚れたのでは無いだろうか。
義経が某に愛を囁いてくれたとして、其れに某は応えるだろうか。
他の誰も愛さずして、義経が某だけを愛して居ると、告げてくれたとしよう。そうしたら、某は何をしよう。
恐らく、望むのは違うのだろうな。
自分以外の誰かに恋している、義経の横顔を眺めているのが某は好きなのだ。
「みんなも、もっとがんばろうね。兄さまはずっと、こわい人にいじめられてきた。もう傷つけないように、これからは守ってあげよう」
本当に頼朝様の事が大切らしく、義経は皆に訴え掛けた。
皆も皆で、義経の決意が本物だと見て取ったか、大きく頷いた。此の団結を乱せる者等、何処にも無いのだろう。
誰も頼朝様を信頼し、愛して居る。愛しているから、此処に居る。
其の共通点は圧倒的な強さとなり、乱れ始める平家の世を打ち破るのだろう。
「べんけーはさ、兄さまのことが好きじゃないの?」
某が熱く夢を語る皆を眺めて居ると、義経が問い掛けて来た。
「否。某も頼朝様の御姿に美は感じるのだが、其の誘惑の香りに惑わされては行かぬと思い……」
真っ直ぐな義経の瞳を前に、某は嘘を吐く事等出来ぬ。だから自分でも意外な程、正直に答えたのだ。
其れなのに、何故だか義経は其の答えを笑う。
「いいじゃん。兄さまのことがきれいだって思うなら、その気持ちのままで戦えばいいじゃん。なにも、がまんすることはないよ。惑わされちゃえばいいでしょ?」
此れは無意識なのか。
兄譲りの美しさで、今度は義経が某を誘惑して来る。
果たして、此の兄弟は如何にかならぬ物か。二人揃って、美しさを武器に某を誘惑して来るのだから、不動を気取っても理性が限界を迎えそうだ。
惑わされても良い。其の義経の言葉は、自分の虜になって、と言っている様にも取れた。
頼朝様の誘惑は、意図的に作られている。確かに何もしなくとも美しくは思うけれど、ふと見せる顔は何時も冷め切った顔。
対して、義経の誘惑は天然としか言い様があるまい。
感情を正直に顔に映す義経は、感情のままに無意識で某を誘惑するのだから困る。
本当に困る。
今だってもう、変になりそうだった。
「弁慶殿。貴方は興味も示さないのかと思えば、意外とあの麗人の虜なのだな」
鬼と呼ばれた某なのに、恐れる様子も無く、皆は友のように接してくれる。
鬱陶しい処か、揶揄う様な言葉の数々は嬉しく感じられて仕方が無かった。
相槌を返す位しか出来ぬ某だが、笑顔で声を掛けてくれる。其れが嬉しくて、敗戦後だと言うのに幸せを感じていた。
居心地の良い此の場所。
此処に居たい。戦等嫌だ。子供の様に、駄々を捏ねそうにもなった。
「もう夜も遅い。怪しまれぬ為、疲労回復の為にも、眠る事にせぬか」
暫くは話を楽しんでいたが、此れから戦続きなのだろうから、疲労が蓄積すると考えそう提案した。
其れなりに広い家ではあるが、人数を考えたら狭い家。雑魚寝にはなるが、無理に並んで寝転び乍ら眠りに付いた。
余裕のある頼朝様の方へ行ったら如何かと義経には言ったのだが、彼自身の希望により一緒に並んで居る。
翌日。其の様な寝方であった為、目覚めが良かったとは言えぬ。だが、思うより不快では無く、自分でも驚いていた。
何より、不思議な安心感があったのだ。
戦の中では、何だって起こり得る。此の仲間と互いに刃を向け合う事だって、無いとは言えぬ。
だが、今は其れでも此の場所が心地良かった。
万が一に、仲間と刃を向ける事も無く事が進んだとする。誰も此の儘頼朝様の為に生き続けたとする。
其れでも、最後に待ち受けているのは決して幸せな結末では無いだろう。
決まっている。幸せに辿り着く道が無い事位、当然である。
道中で必ず誰かが涙を流すのだと、決まっている。
全てが上手く行っても、何処かで悲しみは訪れる。誰も一度は悲しみの渦に呑み込まれる事だろう。
何故なら頼朝様が目指している場所が何処にせよ、通らなければならぬ辛い場所が在るからだ。
――戦の果て。




