3-21
◇
「アグレアス、何故、お前がボクを助ける……!?」
「ふん。勇者への勘違いを正してやろうとしただけだ。それに、これは身内の問題でもある」
アグレアスは背後の少女……確か、公園で自身を襲撃してきた少女にそう告げた。
名は知らないが、勇者の魔力を感じたのでよく覚えている。
そして、その傍らには倒れ伏した少女、イリス。
『■■■■■■■■■■■ッ……!!』
尖った触手を突き立て、しかしアグレアスの腕に阻まれた怪物が低く唸る。
その力は鋼鉄を容易く裂くはずであったが、やはり人智を超えた存在であるアグレアスには届いていない。
やがて単純な力押しでは勝てぬと悟ったのか、触手を更に増やし、周囲のビルに足を突き刺して固定。
攻撃の量で押し潰しに掛かる。
だが、アグレアスは削り切れぬほどの魔力を一気に放出。
怪物の身体を遥か遠くへと飛ばす事に成功した。
「……その魔力……力の欠片を回収したのか」
「ん? まだいたのか、小娘」
「小娘じゃない! ボクはクーデリカだ!」
クーデリカは立ち上がりつつ、怒った風に眉を立てる。
身体へのダメージは深刻そうだが、とりあえずは動けるようだ。
とはいえ、もうあの怪物と拳を交える事は出来ないだろう。
「やあ、久しぶりだねアグレアス」
その時、唐突に男が現れた。
壊滅した交差点の中央、折れた信号機の傍に立つ男性だ。
まるで旧い友人にでも会ったように笑うその男を、アグレアスはよく知っている。
白い髪に白い儀礼用のローブ。
間違いなく、賢者ルキエだ。
かつて、魔王が勇者と争っていた時代において。
人間の域を超えた、魔法士の極限と謳われた賢者。
不死の力を持っていた魔王軍四天王を封印する魔法を作り出した事からも、その名声に偽りが無い事は証明済みだ。
もっとも、彼の持つ最大の武器は「人を惑わせる話術」なのだが。
「一万年ぶりだねぇ。元気かい? そうでないと嬉しいんだけれど。しかし魔王アグレアスともあろう者が、こんな所で油を売っていていいのかな? 君はむしろ────」
「そうか、消えろ」
その賢者を、アグレアスは腕のひと振りで掻き消した。
「なっ……!?」
クーデリカの顔が驚愕で歪む。
それもそのはず。
長く共にいた中で、そもそもルキエが攻撃を受けた事すら無いのだから。
だが、アグレアスは苦々しげに眉間に皺を刻んでいる。
「ふん。小僧め、なかなか面倒な事をしてみせる」
「魔法で空間ごと押し潰す魔法……既に四天王の封印を開放し、力の欠片を取り戻していたのか」
「そうだとも。まあ依り代をいくら潰しても、意味は無いようだがな。あの小僧は恐らく、この世にはいない」
「……まあ、あのルキエなら不思議はない」
奇しくも、奴が手に掛けたシェリエルと同じように。
生きていなければ、死んでもいない。
現世から弾き出されている、はぐれ者だ。
それはつまり、ルキエが神の領域に至った事を示していたが。
しかしだからこそ、彼はもう現世にほとんど干渉出来ない。
せいぜい、都市一つを滅ぼすくらいだろう。
魔王基準では大したことない。
と、ここで大きな咆哮が上がった。
怪物と化したエリナだろう。
しばらく大人しくして貰いたかったが、もうじき再び攻撃を始めるはずだ。
「さて、クーデリカよ。貴様は確か、友を救いたいのだろう? エリナはこの俺が対処する、貴様は早くイリスを連れてその場所に行かんか」
「でも、ボクは街の人達を救わなくては……!」
「そうかそうか、では貴様。我が配下となれ」
「話の繋がりが見えないぞ、アグレアス!?」
クーデリカは困惑するが、魔王としては筋が通っている。
「なに、話は単純だ。我が配下となる代わりに、この街の人間を救ってやろう。まあ、折角この魔王がついさっきまで、害虫駆除に協力していた街なのだからな。乗りかかった船というやつだ」
「……ボクは、敵だぞ?」
「フハハ、魔王の敵を名乗るのなら、友の1人や2人は救って見せろ! さあ、行け」
そう言って、歯を見せて笑うアグレアス。
その笑顔に偽りは無く、クーデリカもそれを悟ったのか、黙ってこくりと頷いた。
そして、未だ意識の覚めぬイリスを抱えて、駆け出す。
「……ありがとう。この恩は、必ず」
目的地はアルトヒンメル最下層、地殻フレームの遥か下。
急がなければ、友人の危機とやらにも間に合わないだろう。
それもあってか、クーデリカの姿はあっという間に見えなくなった。
それを確認した後、アグレアスは虚空に向かって声を掛ける。
「……シャロン?」
「はい、アグレアス様」
するとあろうことか、何も無かったはずの空中から、インクが染み出すようにして1人の少女が現れた。
まるで、アグレアス達がアルトヒンメルを訪れた際にソーニャ市長が見せた光学迷彩のようであるが、目の前の彼女に機械らしきものは認められない。
ウェーブ掛かったブロンドの髪、見惚れるほどに美しく凛々しい顔、そして起伏に富んだ体つき。
時代錯誤な赤と黒のドレスからは大きく肩と胸元が出ており、かといって下品さは全く感じられない。
一見すると、貴族が下界に迷い混んだようだったが、彼女の身体は宙を浮いている。
どう考えても普通の人間ではない。
やがて、シャロンと名乗った少女はゆっくりと地上へ足を降ろし、アグレアスに向けて跪いた。
そして、告げる。
「四天王が1人、シャロンはここにいますの」
そう。
彼女こそが、イリスと同じく魔王の忠臣であり続けた魔物。
つい先ほど封印から開放された四天王だ。
「ふむ。シャロンよ、聞いていた通りだ。敵を殺し、街の人間を救え」
「承知しました。アグレアス様の御命令、身命を賭して完遂致しますの」
「ああ、頼む」
「……ときに、アグレアス様?」
と、ここで伏せていた顔を上げるシャロン。
何故か、その目はジト目だ。
「……どうやら、また配下を増やされた御様子ですの」
「否定はせん」
「もしや、女性ですの?」
「それも否定はせん」
それを聞いたシャロンは、極めて不服そうに嘆息した。
緩慢に立ち上がり、重量感のある胸を組んだ両腕の上に乗せる。
一体、何がそこまで不満なのだろうか。
「アグレアス様のご意思に不満はありませんのよ? ですが、わたくしとしては栄えある魔王軍に無秩序に人が増えるのは看過できない問題と言いましょうか……ついうっかり、手が滑りそうというか……」
「この俺の配下として、貴様が1番だ。それでいいだろう」
「あ、あら? そうですの? そうですのねっ! ふ、ふふふ。わたくしが1番……? なら、何も問題はありませんの!」
シャロンは頬を赤く染め、両手を添えて照れている。
具体的に何がどう1番かなのかは言っていなかったが、シャロンが満足ならそれで良いだろう。
「さあ、そろそろ行け。行って、魔王軍の威信を見せて来い」
「はい、アグレアス様!」
勢いよく頷いて、彼女は地上から飛び立つ。
シャロンに任せておけば、とりあえず王国軍という脅威は無力化されるだろう。
ならばアグレアスも、しかるべき相手と対峙せねばならない。
「さて、ここまで厄介な配下になるとは思わなかったぞ。エリナ」
『■■■■■■■■■■■ッ!!!!』
今や虫のような形態を捨て去り、それぞれ2本の脚と腕を持つ獣の姿となった黒い怪物に対して笑い掛ける。
魔王と配下の相対が、間もなく始まろうとしていた。