2-2 事前準備1
「魔王様は良く分からない人ですね……」
呆れた風に言って、ふむむと目を閉じながら唸る。
馬鹿になったのかとアグレアスは危惧したが、どうやら彼に与える知識を選別しているようだった。
「そうですね。まず、アルテリアは『王属都市』の一つです」
「王属都市?」
アグレアスが聞き返すと、エリナはトーストを皿に置いて説明を始めた。
曰く、ここマキア大陸には現在、大陸全土を治める国家「ヴェルセリオン王国」が王政を敷いているらしい。とはいえ、歪んだ逆S字を描くこの大陸は広大だ。全てを直接統治出来るはずもない。故に、東西南北各地方に「王属都市」を設置し、周辺各都市の統治を任せているのだ。
そして、矮小な都市が王属都市とされる事は無く、総じて強い軍事力、自警力を持っていた。つまり、侵入は容易ではない。
「西の王属都市は三つありますが、アルテリアが一番大きいですね。そしてこれは王国全土で行われている事ですが、脊髄に埋め込んだ凄く小さい機械『タグ』で人間を管理しているんでふ」
「でふ?」
「すみません、噛みました……」
長話に慣れぬ生活を送っていたせいだろう。
ともあれ、機械で人間の管理とは物騒な話である。それを体に入れなければならないとするならば、街への侵入はやや攻撃的なものに変更せざるを得ない。
「あっ、大丈夫ですよ。人間の管理といっても情報を持ち歩かせるだけですから」
「情報を? ふむ、つまり、住んでいる場所や名前をいつでも統治者が確認出来るという訳か」
「その通りです、よく分かりましたね」
「当然だ、俺は魔王アグレアスだぞ」
胸を張るが、この時代の人間は一部の貧民を除いて大抵知っている事なのであまり意味はない。
「ん? エリナよ、一つ聞いていいか?」
「はい、なんでしょう?」
「よくよく考えれば、お前は何故、都市の情報を知っている? 貧民の生まれではないのか?」
「えーっと、私はレオさんとは違って都会で生まれて、それからここまで来たというのが理由の一つです」
皿の縁を指でなぞるエリナの目は伏せられ、胸の内を伺い知る事は出来ない。
ふと窓の外を見ると、荒れ果てた荒野。乾いた風は水分を奪い、高い気温は生きる気力を削る。
このような場所で奴隷をやっていたというからには、かなり複雑な事情が絡んでいるのだろう。
「それで、もう一つの理由は?」
アグレアスはなるべく早くこの話を終わらせてやろうと、エリナを急かした。
「ええ。私は都会にいた頃、都市の事情をよく知る事が出来るお仕事をしていました。なので、大抵の都市の事は分かります」
「そうなのか、凄い事だな。誇っていい」
「……いえ、私はもう、お仕事に戻る事は出来ませんから」
エリナは笑うが、その顔には陰が差している。よほど辛いことでもあったのだろうか。
「───エリナ。一つ、言うぞ」
「は、はい?」
突然、真剣な面持ちで声を掛けるアグレアス。対するエリナの声色は困惑に満ちていた。
真っ直ぐに、視線を決してエリナの目から外さない。そんな彼の態度に、エリナの頬はみるみる紅く染まっていく。
空気は張り詰め、呼吸の音がやけに大きく聞こえた。
「な、な、なんですか?」
「ああ。……エリナ、そのパン、食わないなら貰っていいか?」
「はい……はい?」
アグレアスの指は真っ直ぐにエリナの前に置かれた、食べかけのパンを差している。
腹が減っては戦は出来ない、いつの時代も共通の言葉であった。
「あ、あげません! ……もう、せっかく少しは優しい人なのかと思ったのに」
「エリナよ」
「なんですか? パンならもう食べちゃいますからね?」
「過去に何があったかは知らんが、過去は過去。今のお前は俺の下僕だ。だから、エリナは俺について来い。それだけでお前は、正しい」
多くの人は、それを非道な言葉と捉えただろう。
しかし、エリナにとって。
指針を失った彼女にとっては、それは確かに暖かな慰めであったのだ。
「……ありがとう、ございます」
そう言って、エリナは少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「礼などよい、当然のことを言ったまでだ。それより、話をずらしてしまったな。つまり、アルテリアで活動する為にはタグとやらを入手せねばならないのか」
「ええ、短時間の手術が必要になります。かといって、昨日まで奴隷だった私達がすぐに受けられるようなものでもありません」
奴隷は基本的に物であり、人間と見なされていないからだ。
吐き気を催す、と思う程の嫌悪を感じる魔王ではない。そういった制度はかつてから存在していたものであったし、経済的構造としては一定の評価を与えてすらいる。