3-20
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刻一刻と崩壊が進む、市街地。
黒煙が上がる度に市民が犠牲となり、王国軍兵士が闊歩している。
もはや、壊滅は時間の問題と言えるだろう。
そんな中で、キャスケット帽を被った少女、クーデリカが逃げ回っていた。
意識を無くしたイリスを小さな背中に背負い、その表情は必死だ。
(……何だ、アレは!? あんな魔獣、ルキエから聞いた事もない……!)
ビルからビルへと飛び移り、そのまま空を駆ける。
先程までは市民の救助活動を行っていたが、もはやそんな余裕はない。
彼女の後方から、得体の知れない怪物が迫っていたからだ。
『■■■■■■■■■■■ッ!!!!』
耳をつんざくような咆哮。
ソレは、障害となる建造物を体から生やした無数の触手で粉砕し、中央に巨大な顎を据え、並んだ十の脚で進撃する。
ともすればムカデのようにも見えるソレは、何も初めからこうだったのではない。
最初は確かに、エリナと呼ばれた少女の姿だったはずなのだ。
(……イリスが目を覚まさないっ、これもあいつの仕業なのか?)
黒い泥。
怪物を構成している材質は、そう表現するしか無い。
増殖を続け、不気味な胎動を繰り返す泥だ。
先程、エリナはイリスを攻撃した。
そしてすぐに、あの泥が彼女の身体から湧き出て、全てを呑み込んだのだ。
彼女を取り込むように、あるいは守るように。
「ええいっ!」
クーデリカは気合を入れ、拳を振りぬいて魔力の塊を撃ち放つ。
光弾は弧を描き、怪物の胴体へ吸い込まれた。
だが、
『■■■■■■■■■■■……ッ!!!!』
(……くっ、駄目か!)
目標へ着弾する直前、光弾は掻き消すようにして消えてしまった。
あの泥が厚い装甲のようにエリナを守り続けている。
「魔力を弾く……いや、削っているのか。これじゃ、埒が明かないっ!」
悔しそうに歯噛みをするクーデリカ。
攻撃が効かないどころか、あの泥は魔力による感知も出来ない。
故にこそ、イリスが容易く倒されてしまったのだろう。
仲間が倒れる。
その事実に、ふと昔の事を思い出した。
勇者に希望を抱いた義勇兵として、戦場を駆けた在りし日の記憶。
魔獣によって1人が倒れ、また1人倒れ、結果として多くを失った時の事だ。
あの日と同じ事を繰り返すというのか。
(違う、今のボクはもう、ただの弱者じゃないっ!)
しかし、現実にはこうして逃げ回っている。
市民も助けられず、ティナという友人も救えない。
自分は、勇者になるのでは無かったのか?
「────なら、その荷物を捨てちゃえばいいのさ」
声がした。
悪魔のような、声が。
「っ!? ルキエか!?」
「そう、その通りさ」
どのような魔法か。
突然、空を駆けていたクーデリカの傍に、薄ら笑いを浮かべた賢者が現れる。
しかし、彼女が真に驚いたのはそこではない。
彼が語りかけた言葉が、あまりにも受け入れ難いものだったからだ。
提案自体が、魅力的であったが故に。
「……馬鹿な、彼女は友人だ」
「しかし、敵だ」
「今は違うっ! 違うんだ、ルキエ!」
「クーデリカ。ソレは魔王の仲間だ。かつて君の仲間を殺し、きっと未来も殺す者。ソレを君は、市民や友人よりも優先するのかい?」
「でも……でもルキエ、きっとイリスは……」
クーデリカの知る限り。
ルキエは、いつだって正しかった。
戦場で死にかけていたクーデリカを助け、勇者の道を築いてくれたのが彼だ。
不安定なこの身体を改造し、勇者の肉体の一部を与え、人格を繋いで生き抜く術を示してくれた。
何回記憶を失っても、人格がどれだけ喪われても、彼とクーデリカが共に歩いた一万年は確かである。
言うなれば、彼はクーデリカにとっての父親だったのだ。
(……分からない、ボクには分からないよ)
「っ! しまっ!?」
怪物の猛攻を受け、着地しようとした足場のビルが崩れる。
クーデリカは慌てて体勢を立て直そうとするが、強い衝撃が身体を襲った。
怪物の触手。
背負ったイリスが視界を塞ぎ、背後からの攻撃を察知出来なかったのだ。
クーデリカはバラバラになりそうな打撃を浴びて吹き飛び、華奢な身体が宙へと飛ぶ。
そして、地上へとボールのように落ちていった。
地上15階ほどからの落下。
勢いよく地面に叩きつけられた彼女は、しかしイリスから手を離してはいない。
彼女を魔法で包むことにより、衝撃から守ったのだ。
「……あ、ぅ……っ」
代わりに、クーデリカの身体はところどころが奇妙にねじ曲がっていた。
折れた肋骨が内臓を突き破り、血がとめどなく溢れてくる。
これらは落下よりむしろ、打撃を受けた時によるものが大きい。
彼女が落ちたのは、広い交差点。
かつてはそれなりに人で賑わっていたのだろうが、今はもう死体が寝ているだけだ。
銃で頭部を撃ち抜かれ、ロボットで何もかもを踏み潰され、老いも若いも区別なく殺されている。
身体は大半が生身ではなく、義体化されたものだったが、死んだ時の苦悶の表情が機械である事を忘れさせた。
たすけてくれ、と。
誰も彼もが、そう言っている。
これが、自分の守りきれなかったものだ。
(……ああ、どうすれば、わたしは勇者に……)
倒れたクーデリカの視線の先には、意識を失ったイリス。
そして、轟音を立ててビルを蹴散らし、こちらへ向かってくる異形の怪物の姿。
その身体は大きく膨れ上がり、新しく鍵爪の生えた細い腕を数本用意していた。
恐らくあれで、クーデリカ達を引き裂くつもりなのだろう。
このままでは、二人とも死ぬ。
だが、イリスを……魔王の部下をこの場に置いて犠牲にすれば、多くの人を避難させる事が出来る。
それはとても簡単な事のように思えた。
「いいかい、クーデリカ?」
ルキエが、優しく諭すように言う。
怪物が迫る。
あと数秒で辿り着く。
「勇者とは、魔王を倒す者のことを言う」
「…………うん、そうだね」
足に力を込め、立ち上がる。
そしてそっと、魔王の手下から手を離す。
ああ、これでやっと自分は勇者に、
「─────違うわ、戯け」
言葉は、怒りと共に放たれた。
「勇者が、魔王を倒す者? まるで違うわ、話にならん」
「……なん、で」
クーデリカの目の前で、怪物の侵攻が止まっていた。
いや、正確には止めさせられていた。
ただ一人の男の、腕一本によって。
「この俺が、愚かな貴様らに教えてやる。いいか? 勇者とは、勇者とはなぁ! ただひたすら、助けたい奴を助け続けた馬鹿者の事だっ!」
その背中を覚えている。
誰よりも前に立ち、倒れた者を助け、全ての希望であり続けた背中。
いつか、自分がそうなりたいと願ったはずの。
どうしたらなれるだとか、こ難しい理屈はいらなかったはずの……遠い光景が、目前で広がっていた。
(……なんで、こいつが、勇者と重なってみえるんだ)
「……魔王、アグレアスッ!!」
「魔王様と呼べ、馬鹿者」
一万年間想い続けた存在は、今、目の前にいる。




