3-16
人工物も灯りも一切無い、月光のみが足元を照らす大地。
草木は消え失せ、ただ荒れた肌の山岳が続くのみ。
そんな中で、地殻変動の為か山肌の一部が崩れ、洞穴を形成している。
その入り口の真正面に、アグレアスは立ち尽くしていた。
腕を組み、不機嫌そうに眉を潜めながら。
(……勇んで来たものの、よもやこんなものに足止めされるとはな)
アルトヒンメルから降下したアグレアスは、かつての四天王が一人、シャロンの魔力反応を頼りに暗闇の荒野を進んできた。
そこでこの大きな洞穴に辿り着き、侵入しようとしたところ、思わぬ足止めを喰らってたのだ。
「おい、貴様! どうやラ魔物の類のようだガ、この地に脚を踏み入れる者は許さン!」
「この場所は先祖代々、我らが守り継いできたのだからナ!」
「そうダ! 出て行ケ!」
巨大な蛆虫。
どこをどうやってかは分からないが、甲高い声を発しているそれらの外見は、まるでそれのようだった。
数百匹程の人間サイズの蛆虫が、ひしめき、蠢きながら洞穴の奥からアグレアスを糾弾している。
てらてらと光る触覚と白濁色の肌、そして無数の歯を先端に備えた円筒状のボディが実にグロテスクである。
「ふむ、この俺が分からんのか? 魔王アグレアスだぞ?」
「ハァ? 何を言っていル? 魔王などお伽話だろうウ!?」
「……そうか、そうなのか。薄汚い虫とはいえ、魔物の端くれにすら俺は忘れ去られているのか……少しショックだ」
昔は違った、ブイブイいわせてた等と脳内で自己弁護を始めてみるが、現実は変わらない。
さっさとシャロンの封印を解除してしまうべきだろう。
「おい貴様ら、その奥に祠か石像のようなものがあるだろう?」
「御神体の事を、何故知っていル!?」
「さてはこ奴、御神体の魔力を狙ってやって来たのカ!?」
「あー……間違ってはいないがな、ともかく貴様らのような虫けらには過ぎた力だ。早く消えるがいい」
心からの良心を込めた言葉。
少なくともアグレアスにとってはそうだったのだが、どうやら蛆虫達はそう思ってくれなかったらしい。
今まで以上にせわしなく動き回り、分泌液をぐしょぐしょと噴き出し始める。
「貴様ァ! 我らレギオンを愚弄するカ!?」
「我らこソ、この地を毒で犯シ人間を誅する凶魔なるぞゾ!」
「然リ! 我らがいなくなれバ、この地の毒は消えてしまうのだからナ!」
カチカチと歯を鳴らしながら、レギオンと言うらしい生物は怒りを露にした。
たった今、自分達の生きる価値が無くなった事にも
気付かずに。
「そうか、教えてくれてありがとう。仕事が省かれて何よりだ」
ひょひょいと、手から炎弾をぶち込むアグレアス。
洞穴の内部を炎が舐め、巨大蛆虫達が苦悶の声を上げた。
(……なるほど、シャロンの封印から零れる魔力を使って生きていたわけか。あるいは、汚染とやらもそれで引き起こしていたに違いない。人間が気づかぬのも無理のない話だ)
「ギャあああああアァ!? 炎魔法だとォ!?」
「くっ、こうなってハ! あやつを使うしかあるまイ」
「最終兵器起動ダ!」
何やら愉快な事を言い出すレギオン達に、思わずアグレアスは攻撃の手を止める。
「ほう、最終兵器か。どんなものが出てくるのだ?」
「出てこイ!! イシュドラッ!!」
応えるように、大地が震動を始めた。
危険を感じ、アグレアスが飛行魔法で空に退避すると、地面が割れ、何か巨大な生物が飛び出す。
岩すらも砕きそうなほど頑強で大きな顎。
目を合わせただけで相手を射殺す瞳。
そして、普通の人間であれば身体が溶けてしまうであろう毒性の息。
そうした巨大な蛇の頭が、合計九個。
九頭龍ならぬ、九頭蛇とでも言えば良いのだろうか。
とにかく、そうした化け物が現れたのである。
「イシュドラか……化物退治は勇者の仕事と相場が決まっているのだがな」
「ほざくナ! やレ! アイツを殺セッ!」
蛆虫の指令を受け、蛇……イシュドラは九つの頭をもたげ、アグレアスを殺さんと向かってきた。
ただそれだけで堅い地面が容易く砕け、極わずかに残っていた植物すらも崩れていく。
汚染の真の原因は、間違いなくこれだろう。
「イシュドラこそハ! 伝説に謳われた勇者すら殺し得る、最強の魔獣ダ! 有象無象如きが叶わぬと知レ!」
「なるほどそれは……相手にせんわけにはいかんなっ!」
勇者という言葉を聞き、アグレアスは狂った笑みを浮かべる。
同時、その身に炎を纏わせ、近付いたイシュドラの頭を一つを瞬く間に焼却した。
「ナッ!?」
「勇者を殺せるのは、このアグレアスだけなのだからなァッ!!」
「ぐァァァッ!?」
愚かにも楯突いた蛆虫達を片手間に焼き殺し、魔王としてイシュドラに対峙する。
その様子を一万年前に生きた人類が見たならば、一人の例外もなく恐怖しただろう。
「おい、イシュドラとやら。貴様はこのアグレアスを覚えて───」
「ギシャァァァッ!!」
「……ふむ、そうか」
しかしそれも今は、過去の話なのだった。