3-15
月下、イリスとルキエは対峙する。
イリスはいつも眠そうに垂らしている目元を上げ、かつて無いほどに緊張させていた。
だが、あるいは殺気とも呼べるものを身に纏わせる彼女に対し、ルキエは自然体だ。
余裕、というより戯れているようでもある。
「……なぜ、おまえがここにいる?」
「ははは、まあ、それを聞くだろうね。君にとって私は、千年前に生きていた天敵なんだから。どうだい、アグレアスは元気かな?」
「なぜ、ここにいる?」
「おいおい。雑談も出来ないのかい、躾けのなってないペットだなぁ」
(……なにこれ、どうなってるの?)
飄々とイリスをからかうルキエ。
彼らの様子を見て、ティナは困惑を隠せない。
どう見ても、ただならぬ関係であるからだ。
「イリスちゃん? この人は一体?」
「ボクが説明しよう。この人はルキエ。ボクの親のようなモノだ」
「そうなの、クゥちゃん?」
相変わらず脳天気そうな顔で胸を張っているクーデリカに対し、ティナは問う。
だが、それに答えたのはルキエだった。
彼にしては珍しく、不快そうに顔を歪めて。
「親か……まあ、そういえなくもない。これを作ったのは私だからねぇ」
「つ、作った……?」
(……クゥちゃんのお父さ、ん? なんだかちょっと、普通とは違う気が)
常識外れな言動に、ティナは狼狽する。
元より、ルキエは常識には囚われない存在であるのだが、彼女には知る由もない。
と、その時。
唐突に動くものがあった。
イリスだ。
腕を前に伸ばし、電撃を身体に迸らせた彼女がルキエに向かって突貫したのだ。
常人では、受ける事すら不可能な一撃。
ルキエの心臓を狙ったそれは、寸分違わず目標を貫いた。
「そうやって、よそ見をするからころされ―――」
「―――殺されないよ、勿論ね」
「っ!? く、あぁッ!?」
攻撃が一瞬ならば、驚愕も一瞬。
イリスの貫手を受けたと思われたルキエが、彼女の細い首に手を掛けて高々と持ちあげる。
「イリスちゃん!?」
「ティ、ティナ、彼に近付くのはマズい……」
不可能な事だ。
心臓を貫かれ、電撃を流された人間が生きている道理はない。
しかし、現実の光景として、柔らかい肌にルキエの手が食い込み、イリスは苦しげに呻いている。
酸素供給が滞っているのか、彼女の口の橋から涎が一筋こぼれた。
「私の肉体は今、ここにはいないからね。触覚を残しているから痛みこそあるけれど、基本無敵なんだ」
その言葉通り、彼の胸にはデカい大穴が開いているものの、血は一滴も垂れていない。
上から下まで磨り潰していけば、あるいはダメージを与えられるかもしれないが、根本として常理を覆した存在なようだ。
「ルキエ、待ってくれ! 狙いはアグレアスのはずだ、彼女は関係ない!」
吊り下げられたイリスを見て、クーデリカが叫ぶ。
「……ふむ。君は確か、十だったか十一番目か。どうなんだい? 友達になったなら、この魔獣を助けてみるかい? 彼女はアグレアスの仲間だが」
「ッ!? そうなのか!?」
「気付いてなかったとは。やれやれ、少し反省していなさい」
ルキエがそれだけ言うと、クーデリカの姿が消える。
同時、イリスの姿も彼の手にはいない。
掴んでいたイリスをクーデリカに向かって投げ、受け止めた彼女が吹き飛ばされたのだ。
後方、帰る途中だった一般人もそれに巻き込まれたのか、幾人かの悲鳴が上がる。
(……なに、何なのこれ……?)
突然の事態に狼狽えるティナ。
そんな彼女を見て、ルキエは先程とは対照的に優しい表情を作る。
まったく安心出来ない、柔和な表情を。
「やあ、ティナ・マルキーニ。今日私は、君の為にここに来たと言っても過言ではない」
「ティナの……?」
「正確には、君のお母さんの事かもしれないねぇ。―――そう、十年前からアルトヒンメルを動かす電池となっている、彼女の事だ」
彼は笑って、言葉を吐いた。
ティナを惑わす、その一言を。
「……っ!? 今、なんて言ったんですか!?」
「簡単な話。君が自分の母親を見た最後の日、アルトヒンメルは初めて都市を浮かべる電池、人の命の交換を行ったんだ。その時に事故とか色々起こったみたいだけど、まあそんなこんなで今に至るわけだよ」
「……わけが、わかりません。この都市が人の命で動いているとして、なんでティナのお母さんなんですか!?」
「だって、君は魔女だろう?」
「っ、な、何でそれを……?」
「君の家系のようなタイプは珍しく、魔力の感知もされにくいが、この私なら容易い。容易く、君と君の母親が電子に特化した魔女だと分かるんだ」
「それは、それがどうして……!」
ティナは動揺していた。
自身の正体を言い当てられただけでなく、母の居場所をも仄めかされたのだ。
何が正しく、何が間違っているかの判断が混濁していく。
意識が明滅し、立っているかどうかの認識すら怪しくなる。
「お母さんが、アルトヒンメルの人に連れ去られた? ソーニャさん達が、それをやったの……?」
「さあ、信じなくとも結構。だが、母親の安否くらいは確認してみてはどうかな?」
「…………お母さんは、今、どこに?」
「アルトヒンメル最下層、その最深部―――『記憶の泉』」
「っ!!」
礼を言う余裕もなく、ティナは夜の街を駆けた。
それを見届け、ルキエは消える。
「……くっ、まて」
「ボクは……」
後に残されたのは、不甲斐なく崩れ落ちるイリスとクーデリカ。
この世でたった二人だけの、友達のみだった。