3-1 黒を告げる病
生まれた時から、幸福であった。
何不自由の無い暮らし。
暖かい家庭。
輝ける未来。
ああ、自分はなんて幸せなのだろう。
少女は、そう思う事にした。
そうしてからは楽だった。
幼児の頃から毎日繰り返されてきた、全身がバラバラになりそうな痛みも平気になった。
自分の事を心配しつつも、結局は助けてくれない両親も気にならない。
あと数年しか生きられない事だって忘れられる。
全部、心の奥底にしまい込んで封をした。
「ああ、幸せだなぁ」
そう呟いて、ふと我に返る。
ここは小さな木製の小屋。
黒く濁った汚らしい泥に囲われた、不可侵領域。
ここにいる限り、少女は安心だ。
誰かを殺したいなんて思わないし、死んでしまいたいとも思わない。
だけどどうしてか、一人でいる事が堪らなく怖くなってしまう。
少女は寒くもないのに、ガタガタと震え出す。
そしてついに、自らの肩を抱いて、床に崩れ落ちた。
「…………誰か…………誰か、私を……ころしてっ!」
そして、小屋のドアが開け放たれ、黒い奔流が入り込んでくる。
みるみるうちに、小屋は黒い泥で埋まり始めていく。
そして、少女は泥に呑まれながら呪詛を放つ。
「助けて……! 痛い、痛いんです……! もうこんな、身体が裂けてしまいそうなのは嫌! 助けて、おかあさん……!」
いつからか、母の名を叫びだすものの、その声に答える者はいない。
当然だ。
他でもなく。
少女自身が、殺してしまったのだから。
◇
そして、エリナは目が覚めた。
(……夢、でしょうか)
何か、とてつもなく嫌な夢を見ていた気がする。
まるで、自分の中の何かが、壊れてしまうような。
(……出来れば、もう見たくは無いですね)
気分をリフレッシュする為に、ひとまず現状を確認してみる事にした。
時刻は早朝。
部屋の窓から、未だ薄暗い光が漏れている事からそれが分かる。
更に、山々が流れていく光景から相当高い高度を進んでいる航空艦船の中にいる事が分かった。
しかし問題は、そうした事に気付ける窓がエリナ達が連日使っていた来賓室には取り付けられていなかった事だ。
そして、布団と呼ばれる大きい布を被っている事から、自然とこの場所の名前は限定される。
即ち、
(……アカネさんの部屋で、魔王様達と一緒に寝ているんでしたね)
自覚すると、急に意識が覚醒し出した。
続いて、今の自分の体勢を知る。
誰かの腕を抱き抱えるようにして、両脚と両腕の間に通してしまっていた。
どうやら、夢の中で切羽詰まった挙句、現実で行動を起こしていたようだ。
エリナの記憶では、就寝する前、自分の隣の布団で寝ていたのはアグレアスだ。
ならば当然、胸どころか色んなところを押し付けているこの部分は、彼の物ということになる。
(……わ、わーっ! わーっ! なんだかこれはアウトなんじゃ……!)
顔は火照り、胸は高鳴る。
そして、闇に慣れてきた目を恐る恐る隣の人間に向けた。
すると、
「……うーん、あによー? ……あたしに構ってくれたっていいじゃない……」
アカネの身体であった。
なるほど、腕に柔らかい部分が当たるとは思っていたが、彼女の体ならば納得だ。
エリナはひとまず、彼女の腕を放してから眼前の双丘を拝む。
アカネは確か、エリナ達が寝入るまで報告書を書いていたはずだ。
それがこうした行動を取ったという事は、彼女もなかなかどうして寂しがり屋なのかもしれない。
(ていうか、所帯じみてきているのは気のせいでしょうか……?)
半分身を起こして、金髪の男と傍らで丸まって眠る猫耳の少女の顔を見る。
アグレアスとイリス、ここ何日か密接に関わり続けた者達だ。
だが、アグレアスはさておき、イリスは本当に掴めない性格をしている。
飄々としている、というか気まま過ぎるのだ。
(……本当に猫みたいな人ですね、虎ですけど)
その時、部屋に設置された投影板が起動し、電子音を響かせた。
それは即ち、北部に唯一存在する王属都市「アルトヒンメル」への接近だ。