2.5-1
アルテリア内の航空艦艇専用ポートにて、一隻の船が塗装し直されたばかりの赤い肌を露出させていた。
航空巡視艦「ゲッコー」だ。
今は所属する組織の名を、「ヴェルメリオ」と変えてはいたが。
「なあおい、聞いたかよ?」
「……ああ、ショックで死にそうだ」
船橋では、いつものように男達が噂話で盛り上がっている。
実に気の抜けた光景だ。
だが、彼らは待機任務とはいえ、どんな雑談でも仕事中に許されているわけではない。
もはや暗黙の了解となっている、その話題とはつまり、この度「ヴェルメリオ」のナンバー2となったアカネ・アンキエールの事であった。
「まさか、まさかなぁ……」
「いや、話自体は前から聞いてたぜ。だからよぉ、俺達はただお祝いをするだけにしようや……」
彼らは嘆息し、涙を拭う。
その様子からは、彼女への労りと忠誠が感じられる。
しかし、アカネ当人は何をしているのか。
端的に言うと、彼女はぶちキレていた。
「ちょっといい加減にしなさいよ、あんた達! 何でいつもあたしの部屋に来て、仕事を邪魔するのよ!?」
彼女はちゃぶ台の前に座って赤い髪を振り、腕を上下に動かして怒りを顕にする。
連日のストレスが溜まり、ついに爆発した形だ。
そしてその言葉に、一人の少女が反応した。
「ほら、魔王様! やっぱりアカネさんの迷惑になってますから、戻りましょうっ!」
「それを言いながら、エリナは何故微動だにしないのかしら……?」
「えっ、あ、いえこれは、お茶! お茶を飲み終わろうとしていてですね? おや、こんな所にお菓子まで」
意外なしたたかさを持ち、畳に置かれた座布団の上に尻を乗せる彼女はエリナだ。
短くも美しい銀色の髪と、白い裾の長い服がよく似合っている。
しかし、良く見れば服はところどころが糸で補修され、先日の一件からか元の高級感が損なわれてしまっていた。
それでも尚、着用を続けるのは贈られた者への義理立てだろうか?
「エリナよ、俺達も別に好き好んでこの部屋を占領しているわけではない。外に出かけないでくれと言われたから、ここぐらいしか行くところが無いのだ」
「……あれは部屋の外に、って意味だったんだけど…ねぇ」
「なんと、ではこの船の外に出ていいのか?」
エリナに服を贈ったらしい金髪の青年、アグレアスはアカネの目の前で、空の湯呑みを置きつつ聞いてくる。
「駄目よ。放送からまだ三日しか経ってないんだし、迂闊に外に出たら誰かに襲われる危険がある」
「そんなもの、返り討ちにすればいいだろう?」
「早々に悪評が広まるわよ……それに、あと少しであたし達はこのアルテリアを出なくちゃならないんだし、何もないに越した事はないわ」
そう、これはただの羽休め。
準備が整い次第、彼らは西から北を目指さなければならない。
逆S字の大陸の頂上、アルテリアと並んで厳しい自然環境にある地域だ。
それ故に王都の連中から冷遇され、反感も多いはず。
「北か……だとすると」
「……うん、シャロンがいるね」
アグレアスの言葉を継いだのは猫の耳を頭から生やした少女、イリスだ。
小さい体躯を更に小さく丸め、アグレアスの膝の上に乗っている。
エリナがそれを見て、軽くそわそわしているのが面白い光景だとアカネは思う。
「シャロンって誰よ?」
「俺の配下だ、とりわけ俺に忠実であった優秀な将でもある。どこぞの不敬な猫とは違って、礼儀も弁えていたしな」
「…………むぅ」
膝から降ろされたイリスが不服そうに唸るが、彼は特に気にしない。
しかし、魔王と名乗っている彼の部下なのだから、きっとシャロンという人物もトンデモ人間なのだろう。
「へぇ。その人、今は何してるの?」
「ああ、多分石になっているはずだ」
「……あたしは理解できるけど、普通だったら狂人の言葉よねこれ」
ようするに、また四天王とかいう者達の一人というわけだ。
イリス以外にも、そうした常識を覆す存在があと三人もいる計算になる。
「この世も大概広いわよね……話を戻すけど、あんた達が寝泊まりしてるあの部屋は一応、来賓用のものなんだからね。そりゃちょっと殺風景にし過ぎたかなってのはあるけど」
この巡視船に来賓として来るのは大概、とある王国軍指揮官だったりしていた。
故に嫌がらせの目的で、極端に家具を少なくしたのだ。
無論、抗議を受けないギリギリの範囲で。
(……今にして思うと、この船の皆チキンレース楽しんでたわ、あれ)
半目で過去の自分達に反省を加えていると、唐突に電子音が響く。
某流行アイドルの歌がアカネへのメッセージを知らせているのだ。
アカネは投影枠に表示させ、そこに浮かぶ名前を確認すると、そそくさと部屋の隅へ移動する。
「な、何でしょうか、お母様? 実家に戻れという話でしたら、もう何回も……え、違う? おめでとう? 何を言って…………はい? こ、ここここ婚約ぅ!?」
巡視船「ゲッコー」を現在、駆け巡っている噂。
それは、アカネが婚約をしたという話だった。