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◇
金属の塊が、イリスに向かって叩き込まれる。
それが何であるのか、彼女には分からない。
知覚するよりも早く、張り巡らせた雷撃によって蒸発していたからだ。
しかし、敵意を向けられた事は察知する。
(……なに?)
白い体を揺らし、疑問を表す。
弓矢の発展のようだが、それにしては防御に強い魔力が必要になった。
集中的な攻撃を受ければ傷を負うかもしれない。
どうやら人間も、ただ安穏と生きているだけではなかったようだ。
(……でも、しょせんおおぜい)
攻撃が飛んできた方角、鋼鉄の巨人が手にする武器へ雷撃魔法を行使する。
大型の獣と化したイリスの上空から、魔力が掻き集められ、雷槌となって突き進んだ。
瞬間、爆発が生じ、武器どころか四肢を失った巨体が地面へ沈む。
彼女こそは、「雷虎」、リンドヴルム。
かつて繁栄していた魔獣の一体であり、何物にも心を許さなかった孤高の強者だ。
友好的であった者達などいない。
全てが幼き彼女を恐れ、殺す為に徒党を組み、そして敗れた。
最初は数人の村人だった。
洞穴に入り込み、幼き彼女を見つけ、軽い気持ちで討伐しようと思ったのだろう。
その次は自警団、次は討伐隊、遂には一国の軍隊と規模は膨れ上がるも、結果は同じだ。
イリスの勝利。
群れる者は弱く、独りは強い。
心の中でそう呟き、いよいよ無視出来るものでは無くなった傷に涙を流す。
失くしたものなんて無いはずなのに、ただただ喪失感だけが胸を支配する。
そして、彼がやってきた。
(…………アグレアス)
自身を魔王と名乗ったその男は、今まで洞穴を訪れた者達とは異なり、多数ではなく一人でやってきた。
ただ一人で、恐怖や敵意ではなく、出会えた喜びを目に満たして。
彼は言った。
「我が配下とならないか?」
正直、馬鹿なのかと思った。
確かに強大な力を有しているようではあったが、初対面の魔獣にそんな事を言い出す者など少なくともイリスの経験では彼以外にいない。
軽く雷撃を放って追い払う、いつものイリスであったならそうしただろう。
だがあの時、イリスは何故か彼の前で虎である事をやめ、人の姿で対話する事を選んだ。
「……あなたは、イリスがこわくないの?」
「逆に聞こう、何故、魔王である俺が小娘一人を恐れなくてはならない?」
傍目から見れば、それは奇妙な光景であったかもしれない。
なにしろ、裸身を惜しげも無く晒す少女がやたら偉そうな男と会話しているのだ。
だが、イリスにとってこれは興味深い事象であり、待ち望んでいたものでもあった。
「……まおう?」
「そう、魔王だ。世界征服をする者。この魔王アグレアスこそが世界最強なのだから、どうしてお前を恐れる必要がある?」
「…………そうかも。……でも、なんでイリス?」
「決まっている、お前が強いからだ。だから、俺と来い」
拒否しなければならない。
否定しなければ、自分の今までの行動が嘘になる。
だというのに、何かが嬉しくて、つい首を縦に振ってしまった。
後になって、イリスは気付く。
生まれて最初に会話した存在が、彼だったのだと。
正体を知りながら、たった一人で自分に向かって来たのが彼だけだった、と。
(……だから、まけない。……おおぜいじゃなきゃ、たたかえないひとたちには)
言葉を胸に秘め、しかし想いは咆哮となって戦場に響き渡る。
「───────!」
雷光が、駆け抜けた。
刹那、イリスの爪が次々とB-Raid達を引き裂き、大破炎上させる。
もはや彼女は独りではない。
だが、弱くなったとは感じない。
(……こんどこそ、アグレアスのねがいをかなえる)
彼女の白い毛並みを、炎が赤く染めた。