2-32
そして現在、エリナと防衛部隊副隊長は兵士達によって引きずり出され、地面に転がされていた。
ベイン・タワーの正面玄関前、手足を縛られた彼女達に銃が突き付けられる。
赤い外套に身を包んだ男、コルネリウスだ。
その周りには兵士達が並び、更にはB-Raidの姿も見えた。
「さて、手っ取り早く処刑したいところだ。貴様ら防衛部隊を黙らせねばならんからな」
「……コルネリウス・ダウズエル。まさか、生きていたとは」
声に苦渋を滲ませ、男は言う。
それを、コルネリウスはただ見下すばかりだ。
「隊長、とは呼ばんのか?」
「私達にとって、隊長はただ一人。……いえ、もういません」
「そう、だったな。我々に殺された、あの憐れな女か」
「っ!? ……今、なんと!?」
男が目を見開いて驚き、這ったまま食って掛かろうとする。
周囲の兵士達が手にしたライフルを構えるが、コルネリウスはそれを手で制した。
「気付かなかったのか? 王国軍が手を下したにしては、少し早過ぎる」
「コルネリウス……そこまで卑劣な事を!?」
このような話を部下に聞かせれば士気が下がるだろう。
しかし、どうやらこの場にいる兵士達は所謂側近と言われる者達のようだ。
「何が卑劣か! 貴様らこそ、王国の暴虐に目を背け、看過してきただろう!」
「確かに、そうです。ですが、私達は貴方達のように市民を無駄に犠牲にするやり方は容認出来ない! 隊長を殺したと言った貴方達を!」
「王国を潰す為には、犠牲が必要なのだ! 犠牲無くして勝利は得られない、例えそれが無辜の民であろうとも!」
激論を交わす男達を他所に、エリナは一人蚊帳の外で暇をしていた。
(……うーん、アカネちゃんが生きている事、伝えた方がいいんでしょうか?)
とはいえこの様子では、両者が相容れる事は無いだろう。
ならば自分が今する事は、ただアグレアスの行動を待つだけだ。
(……信じてますよ、魔王様。この事態をどうにかしてくれるって)
◇
先程の映像に映っていた光景では、エリナ達が縛られた上に人民軍に囲まれ、今にも処刑されそうになっていた。
魔王は「招き猫」へ走りながらも、疑問していた。
何故、自分はこうも焦っているのか。
昔からそうだった。
四天王が封印され、シェリエルが殺され、多くの配下達が倒れていった時、魔王は顔を曇らせていた。
それだけならまだ、自分の物を奪われる苦しみであると解釈出来る。
だが、さっきのアカネの問いかけは別だ。
何故、助けるのか。
四天王も元はといえば何かしらの悩みを抱えていたし、多くの配下も騎士団の討伐に苦しんでいた。
それらを導き、魔王軍として率いたのはアグレアスだ。
何故、自分は彼らを助けたのか。
分からなかった。
だが、助けたからには責任がある。
ならば最後まで全力を尽くし、助けを求める彼らと彼らに敵対する者達との戦争を、心ゆくまで繰り広げようと楽しんだ。
(……つまり、逃げだな)
分からない事から逃げた。
目を逸らし、別の事に没頭した。
その結果、自己を糾弾し、否定したとしてもおかしくはない。
だが、アグレアスは魔王だ。
魔王は悪を行い、非を由とする。
(……そう、知った事か。俺はただ、俺のやりたいようにやる。それだけだ! 答えなんて出なくていい!)
「だからさっさと……起きろ、クソ猫ォ!!」
叫び、体に残った全ての魔力を、手の先へ集める。
そして、一気に石像へと叩き込んだ。
今回もまた、誰かを助ける為に。
それが楽しみを生むと信じて。
助けを求める者を見捨てる、という選択肢が最初から無かっただけ。
そんな簡単な事に、アグレアスは今でも気付けていない。
他でもなく、自身が魔王である故に。
そして、強烈な光が最上階に瞬いた。
続いて、暴風が吹き荒れる。
魔力を伴った風だ。
何らかの理由で、四天王を封印する為の仕掛けが無限に外的魔力を吸収し続ける装置に変わっていた。
それが破壊された事により、一気に魔力が開放されたのだ。
魔力は魔王の身体を満たし、それでもなお足りぬという風に物質を透過してタワーの外へと流れ出す。
これで、この周囲の魔力不足は解決されただろう。
「…………ねむい」
風と光が晴れた時、石像の代わりに立っていたのは一人の少女だ。
青みがかった美しく長い黒髪、碧眼、異国風の衣装、そしてなんといっても、髪の間から除く猫の耳。
どこからどう見ても、普通の少女ではない。
「…………アグにゃん?」
「誰がアグにゃんか!」
頭頂部へ軽くチョップを食らわせると、彼女はようやく意識をはっきりとさせる。
「…………このちょっぷは、たしかにアグレアス」
「魔王様だ、と言っている時間はあまりない。起きたなら俺とまた共に来い」
「……わかった。イリス、ついてくね」
見た目は十を超えるかどうかといった少女だが、これでも魔王の配下、四天王の一人、イリス・リンドヴルムなのだ。
いつもぼんやりとしてる点は不安だが、彼女の力は何者にも変え難い。
「えっとさ……その子があんたの仲間なわけ……?」
フロア中央の柱に寄りかかっていたアカネが尋ねる。
その表情は訝しげだ。
「そうだ、というかお前を治さなくてはな。イリス、以前渡した物を返してくれ。……覚えているな?」
「……ん、わかってる。……じゃあ、すわって」
「? ああ、まあ座るが、何の必要性がある?」
疑問しつつ、アグレアスは膝をついて座る。
目線はちょうど、イリスと同じ高さだ。
彼女はしげしげとアグレアスの顔を眺めた後、小さな手を振り上げ、
「……えい」
アグレアスの目へと高速で近づけた。
すわ目つぶしかと瞼を閉じてガードしたアグレアスだったが、意外にも数瞬後に感じた感触は遅く、柔らかいものだった。
恐らく、手で彼の目を覆っているのだろう。
そして、肉体の中でも特に柔らかい部位が、魔王の口に押し付けられた。
一秒、二秒、三秒、六秒程が経過してようやく、それと手が放される。
「イリス。何故、口づけをした?」
「……そのほうが、いいかとおもって」
「普通に渡せ、馬鹿者……」
「あのー、治すなら早くしてくれません!? あっついわー! すごいあっついわー!!」
アカネは傷に呻きながらも、服の前の部分をパタパタと仰ぐ。
そこまで元気ならいっそ何もしないでいいかもしれないが、アグレアスは手をアカネへかざし、魔力を心臓から引き出す。
そして、幾何精神構造体にアクセスし、治療魔法を行使した。
その間、僅かゼロコンマ四秒。
一瞬でアカネの傷は完治し、以前のような術後の痛みも無い。
魔法の速度、威力、そして貯蓄魔力量が、先程イリスの口づけによって移された「欠片」によって強化されていた。
「……これ、凄いわね」
アカネは立ち上がり、軽く飛び跳ねて身体の調子を確かめている。
心なしか赤い髪も艶を取り戻したようだ。
「まあ、まだ本気ではないがな。『欠片』があと三つ揃えばこんなものではない」
「欠片」とは、魔王の力の欠片だ。
かつて戦況の悪化に伴って四天王に与え、彼らを不死身としていたものでもある。
元来魔王の身体にあったものに加え、現在二つを手にしている事になった。
「さて、では早々にエリナを助けに行かねばならん」
「……エリナ? ……イリス、しらない?」
「まあ、そこのアカネ共々後で教えてやる。───では、飛ぶぞ」
傍に寄ったアカネが、は?と声を上げた時、アグレアスは片手を上げ、炎の魔法でシャッターごと窓をぶち壊す。
気圧差で突風が生じるが、瞬時に防御魔法でカットし、アカネの手を掴んで、
「とう!」
「とう、じゃないわよ馬鹿ァァァ!?」
数百メートルはあろうかという巨大建築物の頂上からダイブを敢行したのだった。