1-3 エリナ
「おのれ、勇者バルクラフトめ、なんと卑劣な事を……!」
憤るアグレアスの傍らで、少女は不安げな表情で彼を見ていた。
無理もない、彼女からすると一連の現象は悪夢のようなものだったのだ。
しかし、勇気を振り絞った風に恐る恐る口を開き、
「……えーっと、貴方は確か、レオさんでしたよね?」
「俺はレオさんではない、アグレアスだ。魔王様と呼べ」
「ま……まお?」
彼女は納得のいかないといった風に小首を傾げる。
手足に纏わりついた光牢さえ無ければ、それは可愛らしいものに見えたのかもしれないが、焦燥するアグレアスにはどうでもいい事だった。
(……どうやらこの女、覚醒前の俺を知っているようだが、親密な間柄というわけでもなさそうだ。使えるな)
「貴様、名前は?」
「エリナです」
「そうか。お前は今から、俺の下僕だ」
「ええっ」
魔王足る者、問答は無用だ。
しかし、エリナはどうにも意味不明と言った表情を浮かべている。
軽く調教でもしてやろうかと思った矢先、怒声が倉庫に響き渡った。
「ボルドー! 奴隷を売ると言われて来たが、この有様はなんだ!? 取引場所が台無しじゃねぇか!」
倉庫の外から聞こえてくる割には、妙に大きな声だ。
何らかの手段で音を大きくさせているのだろう。
そして話の内容から察するに、声の主はエリナ達を床に転がっている奴隷商から買いに来たらしい。
そこまで考えたところで、アグレアスは両手に魔力を集め、エリナの首根っこを掴む。
「え?」と声を上げる彼女を無視し、空いた方の手で壁をぶち破った。
開いた大穴を彼女と共に抜けると、そこは寂れた波止場だ。
見える空と海は澱み、打ち棄てられた船が虚しく漂っている。
「な、なんだ、あのガキ……?」
「今、素手で鉄を壊してた気が……」
ざわめく声は予想よりも多く、二十人といったところだろうか。
全員薄汚い服に身を包み、例外なくそれぞれが凶器を手にしていた。
そして彼らの奥には、何やら巨大で人型の鉄の塊が一体鎮座している。
どうやらボルドーという商人は、初めから抹殺される未来にあったようだ。
よほどこの暴漢達から恨まれていたのだろう。
そんな状況を確認し、アグレアスはエリナの襟元から手を放して座らせてやる。
「さて、エリナよ。どうする?」
「ど、どうするって……」
「このままではお前は奴らの手篭めとなり、陵辱なり解体なりされてしまう事だろう。だが、お前がこの魔王アグレアスに従うというならば助けてやる。そう言っているのだ」
そうこうしている内にも、暴漢達は事の次第を把握し始めていた。
つまり、ボルドーが奴隷の反逆に逢ったという事を。
「ぐはは! マジかよボルドー、馬鹿な奴だ!」
「まだ死んじゃあいねぇようだから、この奴隷共を拾った後に財産の在り処を聞き出しゃあいい」
ボルドーへの罵詈雑言と共に、アグレアス達に近付いてくる暴漢達。
もはや、一刻の猶予は無い。
にも関わらず、アグレアスは平然とした風にエリナを見つめている。
「おい奴隷共! 大人しくしていれば見逃してやる! そこを動くんじゃねぇぞ!」
「どうなんだ、エリナよ」
「おい、聞いてんのかコラァ!」
尊大な口調を崩さず、暴漢達など歯牙にも掛けない。
そんなアグレアスの様子に、暴漢達は苛立ちを覚え出したようだ。
中には鉄の筒……ボウガンのようなものを構え出す者もいた。
しかしてエリナはというと、へたり込んで狼狽えるばかりだ。
対するアグレアスは、彼女の頭へ無造作に手を置き、
「俺が、お前を助けてやる」
そう、宣言した。
かつて、幾億の命を奪った魔王アグレアスが、だ。
悪鬼羅刹、人類の天敵と呼ばれた彼の口から、そのような言葉が出たのは奇蹟と言ってもよい。
もっとも、態度自体はペットか何かに向けるものだったが。
だが、エリナはその行動と言葉に何か感じ入るものでもあったのか、顔を輝かせて頷いた。
「はい……私はこれから一生、アグレアスさんの味方です!」
「魔王様だ、馬鹿者っ!」
叫び(ツッコミ)つつ、アグレアスは先程から体内へ集めておいた魔力を属性変換させる。
全属性は元より、あらゆる派生の魔法を極めたアグレアスにとって、たかだか二十人を殺害するのは容易い。
変換した魔力を拳に溜め、撃ち込む。
この程度の魔法に呪文は不要、魔王ならば黙して殺す。
直ちに火属性魔法〈アグニ〉は成立し、極大の火炎が油断していた暴漢達を襲った。
「な、何だ!? ぎゃあああっ!」
「あいつ、手から炎が! ぐあああっ!」