2-20
◇
「ふむ、大変な事になっているな」
「……ええ。いつか、こんな事になるとは思っていましたが」
アグレアスは赤い髪の少女を背負い、エリナと共にベイン・タワー手前に存在する広場の大型モニターを眺めていた。
映像では、人民軍によるベインタワー占拠に関するニュースが流れている。
そして驚くべき事に、アグレアスが背負う少女の事も。
「しかしこの幼女、死んだ防衛部隊のリーダーとか言われているが」
「……ええ。そっくりさん……じゃないんですよね。こんなに小さい子が……」
「いや、胸はデカいぞ?」
「魔王様っ!」
エリナは真っ赤になって怒るが、魔王は気にしない。
しかしアグレアスもエリナと同じく、少なからぬ驚きを覚えていた。
まさか、偶然助けた少女が防衛部隊の隊長であるとは。
彼女の怪我は既に完治し、後は目を覚ますのを待つばかり。
アグレアスの背中でスヤスヤと眠るその様子からは、とてもそのような職に就いているとは思えない。
「俺達、一体どうすればいいんだ!」
「王国軍は何をやっているの!? 人民軍を早く追い払ってよ!」
「防衛部隊の役立たず共め! 私の家を返せ!」
広場に集まる群衆が、口々に不満を叫びだす。
集まっているのは上層に住んでいる中でも裕福な層の者達だ。
人民軍の都市占拠が本格的な段階に入った時、彼らの命が保障されるかは怪しい。
資産を奪われて殺されるか、自由を大幅に制限されてしまうだろう。
「……変わらんな、民衆というものは」
「魔王様は、誰の味方なんですか?」
「さてな。強いて言うなら、人民軍とやらを利用してやってもいい。あれの理念は実に単純だ」
しかし、現状で取るべき行動はベイン・タワーの最上階、「招き猫」の像に魔力を注ぎ込む事だ。
そうする事で、征服は随分と楽に進むようになる。
その旨を伝えると、エリナは首を傾げた。
「『招き猫』って結局何なんです?」
「逆に、エリナは何だと思っている?」
「そ、そう来ましたか……えっと、都市伝説の一つにもなっている有名な石像ですね。ベイン・タワーが建設された当時に、発掘場所から移動させたらしいです。なんでも、幸運とか悪運とか勉学とか色々なものを招くから『招き猫』って言うんだとか」
「あの、無礼な猫がそんな風に言われているとはな。一度死んでみるものだ」
転生ジョークを交えつつ、アグレアスは笑う。
「無礼……? 石像相手に、不思議な言い方ですね」
「ああ、あれはまだ生きているからな」
「え?」
「俺が死ぬ以前、奴は……四天王が一人、イリス・リンドヴルムは勇者達に生きたまま封印された。五つに分けた俺の「力の欠片」を一つ持っていたからな、人間などにはイリスを絶対に殺せない。故に、奴は現在も生きているのだ」
「欠片」の分配は、四天王に一つずつ、そして魔王自身に一つという形だ。
与えられた四天王達は持ち前の力に加えて、絶大な加護を得ていた。
もっとも、何故に周辺一体の外的魔力を吸収しているのかまでは分からなかったが。
そこまで語った時、アグレアスの背中で眠っていたアカネが身体をもぞもぞと動かせた。
どうやら、目を覚ましたようだ。
「…………おとーさん?」
「ま、魔王様!? お子さんがいたんですか!?」
「落ち着け、馬鹿者」
アグレアスが動揺するエリナを叱責したところで、アカネが本格的に意識を取り戻す。
とはいえ、まだ痛みやふらつきがあるようで、万全といった様子ではなかったが。
「……失敬。……私は、貴方達は一体……?」
「俺の名前はアグレアス、そこの女はエリナだ」
「……ああ、思い出した。……貴方達は、倒れていた私を見つけて下さったのですね。……私はアカネ、礼を言います……しかし、私の怪我はどうして」
「魔王様が治したんです」
「……まおう?」
聞き慣れない言葉に疑問を覚えたアカネを降ろし、地面に立たせる。
ふらついているものの、生来の気丈さ故か、彼女の眼差しはしっかりとしている。
そして、頭上の大型モニターを見て、絶句した。
「……なんだ、……なによ、これ……?」
「人民軍とやらの占拠だ。アルテリアを自分達のものして、王国と戦うらしい」
「……そんな、私のせいで? ……私が油断して、殺されそうになったばかりに……っ……こうしてはいられない、早く本部に行って無事を知らせなければ!」
一瞬絶望に沈みかけるも、すぐに瞳に意思を携えてどこかへ歩きだそうとする。
だが、すぐにバランスを崩し、地面に片膝をついてしまった。
息は荒く、痛みに顔を歪ませている。
アカネがいくら意思の強い人間であろうと、もう少し休まねば歩行もままならないだろう。
「くっ……私が、弱いばっかりに……っ!」
少女は慟哭する。
何故、自分には力が無いのか。
都市を変える力、民を護る力、自分自身の進むべき道を決める力。
何もかもが、足りない。
……力が、欲しい。
みんなを護る事の出来る、力が。
しかしそうそう都合のよい存在など現れない。
非力な少女を救う存在など、手を差し伸べるヒーローなどいない。
その通り、真実この世界にヒーローなど存在せず、いるのは魔王だけ。
だが、
「―――――助けてやろう、我が配下よ」
「……え?」
魔王は、力を求める人間にこそ手を伸ばす。
それが愉快で、面白くて、救われないからだ。
故に、人は覚悟する。
魔王の誘いを受けた時、人は人でいられない。
その身は魔人へと、堕ちるのだ。
そして、アカネは答える。
「……いや、私は貴方の部下になった覚えは無いが」
冷静に返す辺り、彼女は流石であった。