2-18
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「失敗しただと? 仕方ない、予備の死体を使え。鑑識は既にこちらの一員なのだ、体裁さえ整えばそれでいい」
男はそう言って、宙に浮かべた投影板を消した。
大きなつば広の帽子、顔に掛けたサングラス、身に付けた外套。
その全てを赤くした男は、ベインタワー内の式典用フロアで歩みを進める。
凡そ礼服とは言えない服装だ。
豪勢な料理、瀟洒なシャンデリア、彫刻等の調度品、そして人の群れ。
都市の運営を司る者達が集まる、懇親会会場。
赤い男は多くの者から不審げな目線を送られるか、コスプレか何かなのかと面白がられていたが、不思議な事に警備の人間は彼を追い出そうとしない。
そもそも、男はどうやってこの場所まで侵入したのか。
フロアの入口は警備によって固められ、タワーの一階、メインロビーからこの階層まで上がる為には専用の直通エレベーターを使用しなければならない。従業員用の階段を使用する方法も存在したが、普段は閉鎖されている。
警備の者達が居眠りでもしているのか、あるいは……。
「……もうすぐだ」
「ああ、準備しろ」
「……まだなのか?」
「これからだ、これから始まる」
懇親会を楽しむ者達は、注意深く警備の口元を見れば気付く事が出来ただろう。
赤い男と擦れ違う度、彼らは短く言葉を交わしていた。
何かを確かめるように、火照る気持ちを諌めるように。
そんな事を繰り返し、男は人波を掻き分けてとある人物の前に到達した。
「んん? なんだね、君は? おいおい誰だい、道化師を呼んだのは?」
肥満体型と豊かな鬚、そして醜悪な顔つき。
王国軍指揮官、ロバート・メサ中佐だ。
現在は白いスーツを着こみ、胸に薔薇の花を差している。
度重なる政敵の殺害、児童買春、賄賂横領着服、汚いと言われている事は全てやってきた男だ。
その胆力は並外れたものであり、彼を怖気づかせる物など彼以上の権力以外に無いだろう。
彼は今も、目の前に現れた赤尽くめの男を笑い飛ばし、周囲の反応を楽しんでいる。
全くもって余裕の表情だ。
そして、油断していた。
……宿敵が、眼前に現れたというのに。
「――――道化? いや……死神だよ、私は」
男はそう言うと、腕をゆっくり後ろへ引き、一気に前へと突き出す。
即ち、ロバートの胸へと。
「は?」
ロバートには何も分からなかっただろう。
自身の心臓が、人工筋肉による圧倒的な速度で放たれた拳によって、跡形もなく吹き飛ばされたという事が。
その生命の終わりが、かつて殺したと思っていた者によって告げられたという事が。
男の身体が、血で更に赤く染まった。
「きゃああああああ!?」
ロバートと男の傍にいた一人の女性が、叫び声を上げる。
釣られて、周囲の者も出口目指して駆け出し始めた。
それを、銃声が止める。
発生源は赤い男の手元だ。
どこから取り出したのか、男は旧式のハンドガンを手にしていた。
そして、投影板を呼び出し、口を開く。
「全部隊に次ぐ、作戦開始だ」
その言葉を契機に、赤が現れた。
群衆の中で、自身に掛けられたホログラムを取り払い、真の姿を晒した者だ。
髪、刺青、服。
身体のどこかに赤い色を入れた人間。
それが、総勢百余名。
巨大な式典フロアに火器を携え、その顔に笑みを浮かべて現れたのだ。
それだけではない。
タワーの外側、アルテリアの各地で潜伏し、雌伏の時を待っていた集団が決起を開始した。
集団の名は、人民軍。
人民の為、平和の為、王国打倒の為。
そうした目的を掲げ、犯罪行為を繰り返す悪党である。
だが、ただの悪党ではない。
防衛部隊や王国軍の行動を狭めていた膨大な量の犯罪は、この日の為のカモフラージュ。
彼らの目を逸らす手段でしかない。
全てはこの日、アルテリア占拠の為に。
「我々は人民軍であるッ! ヴェルセリオン王国全軍、ひいては王族を殲滅し、このマキア大陸に真の平和をもたらす者達だッ!」
あらん限りの声を以って、赤い外套の男……コルネリウス・ダウズウエルは叫ぶ。
周囲に展開した部下達が、その様子を幾枚もの投影板で拾ってアルテリア各所へと繋いだ。
「私は、前アルテリア防衛隊長コルネリウス・ダウズウエル! 多くの者は、私が事故で死んでいたと聞かされていただろう。だが、真実はそうではない! 実際には、卑劣な王国軍が私を貶め、暗殺しようとしたのだ!」
そう言うと、彼はサングラスをかなぐり捨て、つば広の帽子を地面へ叩き捨てた。
そこにあったのは、片方の目を無くした男の顔だ。
「だが、私は生きている。下層に潜伏し、王国が体制を改める日が来る事を待っていたのだ。しかしッ! 今宵、奴らは許し難い暴挙に及んだ! 現アルテリア防衛隊長アカネ・アンキエールを、事故に見せかけて殺害したのだッ! 故に、私は同胞達と共に、王国の不正を正す為に立ち上がった!」
聞く者が聞けば、その言葉に違和感を覚えただろう。
下層に潜伏していた人間が、今夜死んだ防衛隊長の情報をいち早く知り、決起の中心に立つ。
あまりにも早過ぎて、都合の良すぎる行動だ。
だが、アルテリアは王国打倒の熱気に包まれた。
その現状は、王国に対してアルテリア下層を中心に、それだけ不満が募っていたという事を示している。




