2-17
アグレアスは、尚も暗がりへ這って進もうとする少女に対し問うが、彼女はもはや意識も朦朧としているようだ。
「…………て、迂闊……王国め……ここまで腐って……」
「聞こえていないのか? なら、勝手に決めるぞ。お前はこれから魔王、レオ=アグレアスの配下だ。今後ともよろしく、だな」
一方的に言い切って、アグレアスは魔法の為に意識を集中し始める。
と、その時だ。
「……おい、いたぞ。あんなとこにいやがる」
「ちっ、女を見られたのか。手早く済ませるぞ」
それぞれ赤いマフラーとスカーフが特徴的な二人組が現れ、狭い路地への入り口に立つ。
言葉から察するに、ついさっきまで車の事故現場付近でこの少女を探していたようだ。
アグレアスは大体の事情を察した。
(なるほど、この幼女はこいつらに狙われていたわけか。だとすれば、こいつらが取る行動は……)
エリナを下がらせ、声を掛けるアグレアス。
「なんだ、貴―――」
男達の内、スカーフを口元に覆った方が、身を屈ませた。
と思った瞬間、男の姿が掻き消える。
(ふむ、前だな)
独特の勘から、男の行動に見当を付け、視線を下に落とす。
何らかの増幅機関を利用した加速移動。
地面には焦げ目が刻まれ、煙すら上がっていた。
男が凄まじい速度でアグレアスの懐に潜り込み、小ぶりの刃物を振りかざしたのだ。
機械によるアシストを利用した、一呼吸する間の襲撃。
常人であれば、目に捉える事すら出来なかっただろう。
だが、
「―――遅い」
魔力を心臓から引き出し、幾何精神構造体へのアクセスをパス。
体外、前方へ魔力を直接放射した。
不可視の重圧が、スカーフの男の身体へ襲い掛かる。
「があっ!?」
男は後方へ吹き飛ばされ、相棒とぶつかって崩れ落ちた。
刹那の迎撃。
アグレアスは眉すら動かさず、全ての所作を完了させていた。
「馬鹿め。一呼吸など生ぬるい。人を殺すならば、瞬きすら許さぬ間に殺せ」
とはいえ、先ほどの魔力攻撃は相手が「ほぼ」生身だったからこそ通用したものだ。
彼らが全身を機械でアシストしていれば、魔王とて傷を負っていたかもしれない。
「……あの男の人達、さっきの機動から考えて恐らく、『バレット・ドレス』と呼ばれる機械の簡易版を着けていたと思います。服で巧妙に隠されていますが、独特の駆動音がしました」
エリナは淡々と語るが、先ほどの動きが視えていたとでもいうのだろうか?
だとすれば、彼女は尋常ならざる神経の持ち主という事になる。
……しかし、今はそんな事を考える必要はない。
アグレアスは、エリナの言葉をただ聞き返した。
何か忘れているような気もしたが。
「『バレット・ドレス』……だと?」
「はい。機械と装甲で出来た、人間の動きを補助する鎧みたいなものですね。正規品は全身に装着するもので、今の数倍は早いです」
「フ、ハハ……! 魔力強化も無しに、あれ以上の早さを可能にするとはなあ! この世界は、まだまだ俺を飽きさせんという事か! ハハハハ!」
世界には、自分を殺す可能性に溢れている。
それは、なんて愉快。
なんて期待に満ちた、夢のような場所。
魔王なら、魔王だから、そう思って笑うしかない。
そうしてアグレアスがひとしきり哄笑していると、倒れていたはずの赤いマフラーの男が動き出す。
迅速な行動だった。
片方の腕で気絶したスカーフの男を掴み、大地を強く蹴って上昇。
ビルの外壁に到達し、蹴りつけ、また違うビルの外壁へ。
そんな高速機動を繰り返して、男達は離脱を目論む。
「おい待て、何処へ行く?」
「魔王様っ! この子が!」
アグレアスは飛翔魔法で追いかけようとするが、エリナに制止された。
見れば、倒れ伏した少女の傍らで血相を変えている。
「早く治さないと、この子が死んじゃいますっ!」
少女は今や譫言すら上げず、ただ浅く呼吸を繰り返すのみだ。
目の焦点は当然の如く合っていない。
急いで対処せねば、確実に死亡するだろう。
「ふむ、分かった。口惜しいが、今はこの幼女の命が優先、か」
アグレアスは意識を切り替え、幾何精神構造体へのアクセス、及び魔法の詠唱を開始した。
この街で何かよからぬ、あるいは楽しい思惑が動いている事を感じながら。




