2-15 儀式4
「魔王様?」
エリナの声が間近に響き、アグレアスは意識を回復させた。
そこはもう、童話に登場するような小屋の中ではない。
機能性を追求した、現代のホテルの一室だ。
二人は大きなベッドの上に向かい合って座り、片方の手を握り合っていた。
両者とも汗に濡れ、息は荒い。
「……エリナか、待たせたな。儀式は成功だ」
「いえ、全然すぐでしたよ? ……あの、私の中はどうでした?」
顔を伏せ、視線を上にして彼女は聞く。
明かりを消した中でも、その緊張と紅潮が分かった。
そして、握った手を自然と胸元へやる。
よほど不安なのだろう。
「それは、エリナが一番よく知っている事だ」
「えぇー! 私、手を繋いで待ってただけですよ? ……でも、なんとなく、魔王様の印象が変わった気もします。少しだけ、安心出来るみたいな」
どこか惜しそうに手を放し、エリナは笑った。
別段、目に見えて二人の仲が深まったわけでもない。
ただ少し、認識を改めただけ。
二つの生命が心を許し合う距離は果てしない程に遠く、まだ互いが一歩を進んだに過ぎない。
それでもこれは、大きな一歩と言えた。
「……御託はいい、さっさと服を着ろ」
「魔王様が脱げって言ったんじゃないですかー! もう……」
眉を立てたエリナは、そそくさとベッドの上から退散し、部屋の隅で着替え始める。
その様子を観察するが、特に異常は見当たらない。
強いて言うなら、おおよそのヒップのサイズが判明したくらいだ。
精神の均衡を崩し、深層心理が表出してしまう危険性もあったが、そうした心配は必要ないだろう。
窓の外を見れば、時刻は既に夜。
少し休息を取った後、タワーへ出かけるべきだ。
「そういえば魔王様、私はもう魔法が使えたりするんでしょうか!?」
着替えを終えたエリナが、興味津々といった表情でアグレアスに迫る。
使える事には使えるが、あまり複雑な魔法を使おうとしても、幾何精神構造体間に繋げられたラインの深度からいって使用出来ないだろう。
よくて低~中級、派生も低めと考えるべきだ。
とはいえ、使用の工程は大幅に簡略化されるのだから贅沢は言えない。
為そうと思い描いた魔法の図式と魔力が、アグレアスのスフィアからラインを通ってダウンロードされ、エリナのスフィアにインストール、自動的に発動される。
即ち、強い想いが魔法を引き起こすのだ。
「ええと、火よ出ろー! って一生懸命思ったら、魔王様のおかげで本当に出るみたいな」
「まあ、そういう事だ。だが無闇に使おうとするなよ、必ず後悔する」
「魔王様のおかげ……えへへ」
釘を刺しておくアグレアスだったが、当のエリナはよほど嬉しいのかよく聞いていない。
「ありがとうございます、魔王様っ! それじゃあ、お返しに何か料理を作ってあげますね!」
エリナは台所へ向かうが、食材なんてほとんどこの場にない事を忘れているようだ。
アグレアスは諦めて、エリナに教わったリモコンという機械を操作し、テレビの視聴を再開する。
(他人の為に働くのがそんなに嬉しいとは、つくづく度し難いやつだ)
いくら心を繋げても、魔王の嘆息は届かない。
心を繋げる。
その行為に、複雑な想いを感じていた時、ふと思い立ったかのように声を上げる。
「おい、エリナ」
「? はい、なんでしょう?」
エリナはフードサービス用のディスプレイをタッチしつつ、返事をした。
自分で作るのはやめたのだろうか。
「この先どうなるかは知らんが、俺は今のところ魔王様であって、ご主人様ではないからな! 気をつけろ、そこら辺!」
「……な、何を言って!? ご、ごごごご主人様だなんてそんな! よよよ呼びたい訳、ないじゃないですかあ!」
腕をブンブンと振り、赤面して否定するエリナ。
しばらく適当にあしらうと、知りませんと怒った風に言って背を向け、しかし楽しそうに口元をにやけさせる。
後悔も不安も、アグレアスにとっては恐るるものではない。
いつかエリナの過去も、笑って話せるようになるだろう。
ご主人様……否、魔王はこれからの事を想い、笑った。