2-13 儀式2
アグレアスの意識は肉体を離れる。
一から千へ。
剛から柔へ。
アグレアスは魂の階梯を緩やかに昇り、エリナの幾何精神構造体と接触した。
「───んっ、……んぁ、っは……ぅ」
意識の半物理接触。
今まで感じた事の無い感覚に、エリナは思わず声を上げる。
その痛痒からか、眉をハの字に曲げ、荒く息を漏らしていた。
そしてそれは、段々と荒らさを増していく。
侵入が本格的なものへとなっていっているのだ。
「───魔王さまが、入って……くる……っ」
汗が、彼女のうなじを伝う。
髪は濡れ、頬に張り付いている。
繋いだ手には力が込められ、エリナが経験している痛みの激しさが伝わってきた。
やがて痛痒はピークへ達し、儀式も次の段階に入る。
遮蔽した感覚が開放され、暖かさを肌が受け取った。
「……む」
アグレアスが目を開けると、木で出来た一室。
雰囲気から察するに、小さな小屋のようだ。
アグレアスは居間らしきその部屋の椅子に腰掛けていた。
暖炉には火が煌々と焚かれ、棚に並べられた小物からは少女らしい可愛らしさが感じられる。
どうやら、この小さな小屋がエリナの心象風景、幾何精神構造体の表層らしい。
「しかし、肝心のエリナが見当たらないな」
「わんっ!」
「わん、ではなくエリナだエリナ……む?」
視線を下に下げると、木造の床に這い蹲り、目線を上にして魔王を見つめ、はぁはぁと息を荒げるエリナがいた。
何故か以前に着ていた奴隷用の服で、だ。
しかも頭には犬の耳、尻には尻尾を生やしている。
「エリナ?」
「わんっ!」
「イチ足すイチは?」
「わんっ!」
どうやら正真正銘エリナのようだ。
とはいえ幾ら何でもそれではあんまりなので、よく見て確認をする。
短めの銀髪、林檎のような赤い瞳、整った容姿と意外にも起伏に富んだ体型。
紛うこと無く、アグレアスの目の前で犬のような姿勢で犬のような鳴き声を上げるこの少女は、エリナだった。
「なんだ、エリナ。犬の物真似か? ほら、お手だ」
「わんわんっ!」
差し出した手の平に、弾むような笑顔で重ねてくる。
ノリノリである。
状況を一言で表せば、「エリナが犬になった」、ただそれだけのこと。
心配は杞憂であり、何も問題はないのだ。
しかし、本当にそうであれば幾何精神構造体間の接続が承認され、アグレアスは現実に帰還するはずである。
つまり、解決するべきエリナの心の問題が存在するという事だった。
(なんて面倒な……)
そうはいっても、大事な下僕第一号だ。
見放してしまっては魔王としての沽券に関わる。
「あー……なんだ。エリナよ、何か悩み事はないか?」
「わんー?」
「わんではなく、悩み事だ悩み事」
「わんわんっ!」
「二回言えばいい訳ではなーい! 馬鹿にしてるのか貴様ー!」
「くぅーん……」
うなだれ、瞳に涙を溜めるエリナ。
如何なる原理か、頭の犬耳も合わせて垂れていた。
スフィア内では、多少の物理法則が無視されるのだ。
「……とりあえず、その犬のような口調を止めろ。止めてくれ」
「はい。分かりました、ご主人様っ!」
案外素直に、エリナは口調を普通に戻した。
……否、普通ではない語尾が今、付けられていたような。
「ご主人様、だと?」
「はいっ! だって私はご主人様の下僕だって、ご主人様が仰ったんじゃないですか!」
晴ればれとする笑顔で、エリナはそう言った。