2-12 儀式1
二つのスフィアを接続するには、精神を内包する肉体がなるべく衣類等で邪魔されていない方が好ましい。
エリナに脱衣を要請しているのは、別にいやらしい理由からではないのだ。
「そうなんですか……うぅ、恥ずかしい」
「やめるか?」
「……いいえ、やめません」
目に強い意思を込め、エリナはアグレアスを見つめ返す。
思いの外、彼女は強情なのかもしれない。
「そうか。では、覚悟しろ。俺はこれからお前の奥底に侵入する。スフィア……心の中のエリナに出会うんだ」
「心の中の、私?」
「ああ。エリナの心、それを象徴するエリナだ。それと対話し、接続する許しを貰う。つまりこれは、お前の心を覗く行為に等しい」
普段隠している面が露わになるのだ。
人は誰しも知られたくない自分というものがあり、簡単に侵入を許す者などいるわけもない。
「……それはすごく、怖いですね」
目を伏せ、エリナは躊躇うような素振りを見せる。
比較的裏表が無い方の彼女ですら、他人に見られたくない過去はあるのだ。
幾何精神構造体接続。
完全な接続を果たした者達の数は、この数万年間においてあまりにも少ない。
「だけど、やります」
「いいのか?」
「はい。……私は、アグレアスさんを信じます」
魔王様だ、とは言わない。
震える手で純白の服をするりと解き落とした、彼女の覚悟に余計な言葉は要らない。
アグレアスもシャツのボタンを外し、続いて部屋の照明を落とす。
「とはいえ、エリナよ。なにも俺は、お前の心の一番奥に侵入するのではない。いきなりそのような深度に赴いても、結果は見えているからな。今回の侵入は、ごく表面的な部分に過ぎない」
「なるほど、……ちょっと緊張が抜けました」
はにかむエリナは、既に下着姿だ。
白く、張りのある肌が薄暗闇の中でもまぶしい。
値段の割に、ややカジュアルとも言えるスタイル。
薄桃色の生地が、歳相応に膨らんだ胸を覆い隠していた。
鼓動とともに、大きく上下している様子が見て取れる。
「……ん」
彼女の指が、胸を隠す下着へと伸びた。
掛かった幾房の銀髪を払う。
そして裾を持ち上げ、形の良い臍が見え、更にその先が―――
「いや、脱げとは言ったが、下着までは要求してないぞ?」
「早く言って下さいよぉ!!」
白い肌を赤く火照らせて叫ぶ。
勝手に勘違いしておいて酷い言い草である。
「分かった分かった、さっさとこっちに来て目を瞑れ」
「ちょ、ちょっと魔王様……!」
エリナの手を引いてベッドの上に座らせる。
アグレアスも彼女の前に座るが、不服そうに顔を歪めた。
「力を抜け、緊張していては仕損じる」
「そ、そんな事言っても」
エリナはもじもじと落ち着かず、胸を腕で隠そうとしたり、かと思えば火照った顔を手で覆う等していいる。
彼女はまだ少女だ。
歳の近い男と半裸で、しかもベッドの上で向かい合うなど羞恥心が持たないのだろう。
(ここは一つ、世間話で気を紛らわしてやるか)
「あー……エリナ」
「な、なんでしょう?」
「お前は、どんなところで生まれた?」
いきなり過ぎただろうか、アグレアスはそうも思ったが、彼女は微笑んで表情を和らげた。
思いつきは功を奏したようだ。
「私はここよりもずっと田舎の平原で生まれました。でも、しばらくすると王都へ」
「王都、アルグレイブか」
「はい。とても綺麗で、お母さんやお父さんとの暮らしは凄く楽しくて……だけど、辛いことも沢山ありました。……だから、今はもう行きたくないです」
辛いこと。
それがどういった事であったのかは、今は聞くまい。
魔王アグレアスは理不尽ではあるが、人心を理解出来ぬ王ではなかった。
「魔王様は、どうだったんですか?」
それは、された事のあまり無い質問だった。
魔王の出自。
誰もが気にしながら、逆鱗に触れる事を恐れ、あるいは邪悪な魔物の一種であると断じて避けていた質問だ。
それを、エリナという少女が事も無げに口にした。
なるほど、時代は確実に流れている。
そして魔王は思案げに顎に手を当て、眉根に皺を寄せた。
その目の見る物は、虚ろだ。
「……ふむ。俺は……俺は、魔王だ。生まれてから、既に魔王にだったのだ。親もいないし、故郷などもない」
「そう、なんですか? 本当に?」
「無論だ。嘘を吐く理由が無い。……だが、まあそうだな。軍を集めてからは、とても楽しかった」
決闘を仕掛けてきた馬鹿共を集めて四天王としたり、見た事もなかったような場所に行って観光したり、たくさんの戦争を仲間達と楽しんだ。
その言葉にだけは、偽りは無い。
「魔王様も、誰かと一緒にいて楽しいって思えるんですねっ」
どこか嬉しそうに、エリナは笑う。
短い銀の髪を揺らし、喜ぶ彼女が何を思い、どんな風に世界を見ているのか。
そろそろ、それを知る儀式に移ってもよいだろう。
アグレアスとエリナは目を瞑り、手を握り合う。
「これより、エリナとのファーストリンクを開始する」
そして、
「―――逸脱言語、『ExEphLia』」
その単語は、エリナの耳では単なる雑音としか聞こえなかっただろう。
分かる者が聞いたならば、……そう、かつて魔王と共に肩を並べ、しかし何の戦闘力も持っていなかった彼女ならば、意味するものを理解出来たはずだ。
今はもういない、彼女ならば。