2-4 墜落した男、堕落した街
「変わったのか変わっていないのか、よく分からんな。まったく、人間と言う奴は……」
ぼやいた魔王だったが、顔を前に向け直すと、すぐに口をつぐんだ。
間近に迫っていたのは、鋼鉄の庭。
頭上の太陽を突き刺さんとばかりにそびえ立ち、並ぶ幾つかの巨大な建造物。
それは、鉄で出来た全高数百メートルの木々だ。
かつて目にしてきたどの城塞をも上回るスケールだったが、アグレアスが言葉を失った要因はそれだけでは無かった。
飛行する船艇群が、虫のように摩天楼の間を飛び交い、時に取り付き、時に離れる。
意味するものは、恐ろしく高度な交通技術。
そして、それぞれに掛けられた鉄の橋が枝の役割を果たし、高速の車両が駆け巡っている。
そうした樹木の下を、雑草の如く小さな建造物が肩を並べていた。その様子から、下層に進むほど住民が貧しいという事情を察せられる。
まさしく、機械の森。
昨夜見た、都市を照らす無数の光こそ無いものの、十分に圧倒的な光景だ。
「王都に比べるとまだまだですが、開発がよく進んでいますね」
「……俺の城は今、一体どんな風なんだ……?」
心配をよそに、二人はアルテリアと都市外との境界上を通過していく。
気付けば、エリナは冷静さを取り戻していた。
過去に見慣れたらしい文明の姿を見て、安心したのかもしれない。
「私達から見て真っ直ぐ、奥に見えるあのビルがベイン・タワーです」
指で示されたのは、都市でもとりわけ長大な建築物。
白い塗装と鋭い先端、そしてその形状から、あたかも一本の巨大な剣であるかのような錯覚を受ける。
その頂上は遥か彼方、雲まで届きそうであった。
「さて、あの高さまで昇るのはなかなか骨だな……」
「最上階まで行ける内部のエレベーターは、一般開放もされています。タグさえあれば、怪しまれずに猫の像……『招き猫』に行けますね」
「……招き、なんだと?」
耳にした単語の奇妙さから、アグレアスが思わず聞き返した、その時。
轟音と共に、何かが後ろから近付いてくる。
顔を向けると、巨大な飛行する船艇。
既に、かなり近くまで迫っている。目と鼻の先だ。
二人もかなりの速度で移動しているものの、それを悠に上回る速さで追いつこうとしているという事は、よほど船に積まれた動力機関が優秀なのだろう。
「ふむ。エリナ、親指を立てればあれは乗せてくれるのか?」
「言ってる場合ですか! ぶつかりますよ!?」
もはや船体の前部、それを構成する鋼材の汚れすら見て取れる。
風圧により、魔法の結界が揺れる。
この距離まで接近に気付けなかったのは、この結界が外の音を通しにくいからだ。
故に、衝突したとしても魔王の落ち度ではない。
ぶつかる。
ぶつかった。
◇
女性が一人、部屋にて眉根を寄せていた。
隊長室と刻まれたプレートが掛かったドアの中。
広がっていたのは、敷き詰められた畳と掛け軸、そしてちゃぶ台だ。
とある地方の民話に伝わる部屋の形、「ワシツ」というらしいが、作らせた業者が夜逃げしたので詳細は不明だ。
同僚からはその様式を不思議がられたが、自身の名前と似た雰囲気を感じる事から、少女は密かに愛着を持っていた。
「ワの心」。
意味は不明だが、机の前で正座して茶を静かに啜る時、何か言い知れぬ満足感を感じる。
その時、掛け軸が揺れた。
「ん? 操縦席、今の衝撃は何だ?」
少女が声を飛ばす。
すると、ちゃぶ台に取り付けられた装置から言葉が発せられた。
『小さい生き物が船にぶつかったようです。恐らく、鳥か何かだと思われます』
「そうか、注意しろ。国軍の者共が乗ってからこんな事があれば、我々アルテリア防衛部隊が笑いものにされる」
『了解しました、アカネ隊長』
アカネと呼ばれた少女は、名前の意味する通り燃えるように赤い長髪を揺らし、不満げに腕を組んだ。
豊満な胸が形を変え、悩ましい。
(鳥が死んだ。こんな、何も果たせない私などが乗る船の為に)
黒を基調とした軍服は、王属都市を護る者達にのみ着用を許されたものだ。
そして、その襟元に着けられた装飾はアカネが部隊の最高責任者である事を示している。
しかし、彼女は若い。
アカデミーを卒業したての僅か十九歳の女性を抜擢した都市上層部、その意図は火を見るより明らかだ。
時折、待機命令を無視して治安維持を強行する部隊の傀儡化。
あるいは、資金を援助してくれる王国への擦り寄り。
あらゆる意味で、アカネは万人の笑いものとなっていた。